大唐三蔵取経詩話
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『大唐三蔵取経詩話』(および、同内容の『新雕大唐三蔵法師取経記』。以下『詩話』と記す)は、南宋時代(1127年 - 1276年)に刊行された「『西遊記』の原型」となった物語であり、現存する刊行物としては、最古の白話文学(口語文体で書かれた作品)である。初版がいつ刊行されたかは不明であるが、南宋期であることは疑いなく、『水滸伝』の原型となった説話『大宋宣和遺事』や、同じく『三国志演義』の原型となった『三国志平話』が、それぞれ元代に成立したのに比べ、かなり早い時期に成立したのが注目される。『詩話』の分量はそれほど多くないものの、それまで語られてきた様々な三蔵伝説を採り入れ、途切れていたエピソード群を初めて体系的なストーリーとしてまとめたものである。刊行は南宋であるが、話の内容は北宋時代にはすでに流布していたらしく、北宋の都開封や西夏などで内容を反映した絵画が残っている。 刊行された『詩話』の原本は中国では早くに散佚し、日本の高山寺に長く保管されていたものが復刻されている(寛永10年(1633年)の『高山寺聖教要録』に記載されており、それ以前に高山寺に将来されたものとみられる)。上中下3巻から成り、3葉が散佚している。ほぼ同内容の『新雕大唐三蔵法師取経記』の方も、高山寺で所蔵していたものを徳富蘇峰が入手し、羅振玉が借覧して1955年に『詩話』とともに影印本として刊行している。こちらも3巻立てであるが、1巻は半分、2巻は全部が失われている。 巻末には「中瓦子張家印」と刻されている。瓦子(瓦市とも)は都市の盛り場のことで、様々なジャンルの講談(説話)が、勾欄と呼ばれる寄席・見せ物小屋で語られていた。中瓦子はその中でも首都杭州(臨安)で賑わいを見せた瓦子だったらしい(『夢梁録』)。『宣和遺事』や『三国志平話』と同様に、瓦子で営業した講釈師の種本として使われたと見られ、文言(文語文)に近い白話文体で書かれている。「詩話」の書名の通り、一連の話の後に詩が記載されている体裁をとる。ただし後代の白話小説においては、地の文で作者が状況に合った詩を挟み込むスタイルが普通だが、『詩話』においては、登場人物の口から直接詠じられているのが特色であり、この形式は散文である「長行」と韻文である「偈頌」が交互に現れる漢訳仏典の影響が見られるという。なお『詩話』では後の明代通俗小説と同様に話の区切りを巻とは別に全17章に分けているが、これも漢訳仏典(「巻」のほかに「品」を区切りとする)の影響と見られ、章回小説の嚆矢であるとまでは言えない(同時代の物語に章回を区切ったものはなく、章回小説の成立は明代後期と見られる)。
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