深沙神と三蔵の前世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:55 UTC 版)
「西遊記の成立史」の記事における「深沙神と三蔵の前世」の解説
また後の沙悟浄につながる深沙大将(深沙神)と玄奘が関連する説話も、唐代にすでに現れている。日本の僧侶覚禅(1143年 - ?)による図像集『覚禅抄』に載せる9世紀末の説話では、玄奘の旅の途中に訪れた流沙で、深沙大将(毘沙門天もしくは泰山府君と同じとされる)が、玄奘の前世7度に渡る取経失敗を示す七髑髏を示し、玄奘に対してすみやかに東土に帰らねば死ぬぞと脅したと記されている。それ以前の『慈恩伝』においてもすでに、玄奘が沙河で矛を持った巨大な神の夢を見たという記述があり、それが当時広く信仰されていた毘沙門天に仮託され、深沙神に代わったものと思われる。やや時代を下った三蔵画も、髑髏を首に提げている図が多く、この伝説が広まっていたことがうかがえる。この話が宋代の『大唐三蔵取経詩話』第8話では、深沙神は二度まで前世の玄奘を食らって頭蓋骨を首に下げていたが、今回は過ちを悔いて金の橋となり一行を渡したという話になっており、さらに後の明代の戯曲では深沙神は沙和尚に変わることになる。 また、玄奘が取経の旅に出る前に滞在した蜀(四川)の地でも、早くから玄奘三蔵に関わる伝説が各地で生じていた。これらは現在の『西遊記』とは異質な伝説が多いが、後の宋刊取経詩話の形成を促す素材となっていく。これら各地に拡散した三蔵伝説は唐末から五代にかけての時期にはまだ体系だった物語としては構築されていなかったが、本来玄奘と関連の薄かった江南地方で、地元の別系統の伝説と結合し、「唐三蔵西天取経」物語が形成されていったとみられる。
※この「深沙神と三蔵の前世」の解説は、「西遊記の成立史」の解説の一部です。
「深沙神と三蔵の前世」を含む「西遊記の成立史」の記事については、「西遊記の成立史」の概要を参照ください。
- 深沙神と三蔵の前世のページへのリンク