七十回本:金聖歎による腰斬とは? わかりやすく解説

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七十回本:金聖歎による腰斬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/28 15:54 UTC 版)

水滸伝の成立史」の記事における「七十回本:金聖歎による腰斬」の解説

一方七十回本は、金聖歎著した比較新しい文繁本である。明末崇禎14年1641年)に出版されている。 李卓吾が『水滸伝』を称揚し宋江忠義の士と評価したに対して金聖歎は『水滸伝そのもの高く評価するものの、宋江盗賊であるにもかかわらず善人ぶる偽善者最たる者と軽蔑した金聖歎盗賊朝廷帰順して功を上げるという筋立て無知な人々による安易な模倣招き盗賊行為助長するとして徹底的に批判。そのため、招安以後梁山泊軍朝廷帰順して遼や他の賊を征伐する部分は、羅貫中が後から創造した虚偽であるとし、自ら所持する古本復刻することで施耐庵本意再現する称して、百二十本の後半第72回以降(第III部分以降)をすべて削除した。もちろんそんな古本実在せず、金聖歎自らが書いたのである金聖歎施した主な改変以下の通りである。 百二十本の第72回以降をすべて削除し招安以降無かったことにした。 全71回では不自然なため、第1回楔子プロローグ)とし、第2回以降前にずらし、第71回第70回とした。 梁山泊108人が結集した直後全員斬罪になるという盧俊義梁山泊の副頭領)が見た夢で話が突然終了する物語の進行上に関係しない無駄な美文や詩を削除した施耐庵の原序なるものを創作して付け加えた。 自らの価値観に基づく批評大量に挿入したり、部分的に文章技巧的なものに書き改めた金聖歎本文中に挿入した批評は、自ら改作した部分褒め称える自画自賛多く、また宋江が「忠義」と発言するたびに「権詐」「奸詐」と注釈入れるなど、露骨な依怙贔屓傾向が強い。金聖歎登場人物ランク分けし、呉用関勝林冲花栄魯智深武松楊志李逵阮小七らを「上上」の人物として評価する一方戴宗楊雄らを「中下」、宋江時遷を「下下」と評した宋江は百二十回本でも偽善者傾向若干鼻につく造形であるが、七十回本ではそれがさらに強調して描かれ、さらに金聖歎注釈でそれが酷評されるという自作自演的な記述見られるこうした増補結果文章量はむしろ百二十回本よりも増え文飾後半部丸ごと削除したにもかかわらず従来版本よりページ数が多いほどであったこのような金聖歎大胆な改変賛否両論激しく、特に結末にいたる後半部分を削除した点を否定派は「腰斬」と批判した。ただしそれ以前から『水滸伝後半部分は前半比べる甚だ興趣劣り文章精彩を欠くため、退屈と感じていた読者多く、また金聖歎批評過激ながら人々共感呼んだこともあり、徐々に受け入れられていくようになっていった。幸田露伴は「金聖歎は百二十回を七十回で打ち切ってけしからぬことをした」「聖歎の批評自分言いたい三昧ならべたもの」「聖歎を良い批評家だと思ったり、聖歎本で水滸伝論じたりなんぞしてゐるのは、おめでたい話」と七十回本とそれを高く評価する者を厳しく批判する一方で、「後半人気のある人物が死ぬ描写削ったのは、読者にとって好ましいことだった」とも評価する。また周作人金聖歎批評によって、水滸伝がより面白くなったと評価し白キクラゲスープ一緒にむようにうまい」といい、正岡子規も「これがために本文に勢がついてくる」と高く評価している。次第七十回本は他の版凌駕するようになっていった。 ただし、水滸伝影響受けて清代前期著作された『水滸後伝』(陳忱によって康煕3年1664年)に書かれた『水滸伝続篇一つ後述)『説岳全伝』(銭彩・金豊ら作。康煕23年1684年成立後述)などが、百回本を元にして作られている形跡認められることから、この時期にはまだ七十回本はそれほど隆盛していなかったことが推定されるいっぽう乾隆57年1792年)に『続水滸征四寇全伝』と称する七十回本で削除され後半41回分にあたる部分を文簡本から単独抜き出した書物出版されている。これは七十本の盧俊義の夢」という唐突な終了違和感覚える声が多かったことから、それに応えて本来の後半部単独出版したものであり、このことから逆に、この時期すでに七十回本が標準的な地位得ていたことが分かる清代中期乾隆年間1736年 - 1795年後期あたりから、次第七十回本が他の版本を淘汰ていった思われる。この時期の後、兪万春1794年 - 1849年)によって書かれた『蕩寇志』(『水滸伝続篇一つ後述)が、いきなり第71回から始まる構成金聖歎本の続きとして書かれていることからもうかがえる。この後七十回本は中華民国時代にかけて地位独占し他の版本の存在忘れ去られるほどになったという。民国18年1929年)には、鄭振鐸が『水滸伝的演化』の中で「金聖嘆七十回本は他のあらゆる文繁本・文簡本を葬り去ってしまい、『水滸伝全書』(百二十回本を指す)なるものが存在することを300年もの間、覆い隠してしまった」とまで評した

※この「七十回本:金聖歎による腰斬」の解説は、「水滸伝の成立史」の解説の一部です。
「七十回本:金聖歎による腰斬」を含む「水滸伝の成立史」の記事については、「水滸伝の成立史」の概要を参照ください。

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