ヴァンダル人の起源とは? わかりやすく解説

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ヴァンダル人の起源

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 02:19 UTC 版)

ヴァンダル人」の記事における「ヴァンダル人の起源」の解説

19世紀研究により、ヴァンダル人全体としてプシェヴォルスク文化属することが判明したまた、リュージイ族(ルギイ、Lygier、Lugier、Lygians)との関係も議論されており、リュージイ族(ルギイ族(英語版))が後にヴァンダル人呼ばれるようになったか、もしくはヴァンダル人複数部族連合体で、リュージイ族はその一つであるスラヴ系部族だったとするなど諸説ある。 スカンジナビア起源説によれば、のちにヴァンダル人のうちの一部構成することになる部族紀元前2世紀バルト海渡って現在のポーランド地域到着し紀元前120年頃からシレジア定住するようになったとされる名前の類似性からノルウェーのハリングダール(Hallingdal)、スウェーデンのヴェンデル(Vendel)、デンマークのヴェンドシッセル(Vendsyssel)が彼らの故郷ではないかという意見出されたことがあり、近世ゴート起源説ブームではヴァンダル人スカンジナヴィア起源説盛んに唱えられた。 しかしプシェヴォルスク文化はほぼ同じ一帯広がっていたポメラニア文化直接発展形態であり、ポメラニア文化ゲルマン系でもスラヴ系でもなくイリュリアとされるラウジッツ文化基礎として、ウクライナから西へ進出して来たスラヴ系文化チェルノレス文化)の2つ文化系統混合してできたものである事実から、ヴァンダル人からスラヴ系系統排除するスカンジナビア起源説近現代ドイツスカンジナビア諸国人々による民族主義的極論の類に過ぎずこのような政治的主張学術的価値全くない。さらにゴート人スカンジナヴィア半島から来たという説(いわゆるゴート起源説)についても、発端ゴート人という部族名とスウェーデンゴトランド島の名前が似ているというただそれだけのことであり、この説が事実であることを示唆する証拠全くないため、この説が妥当である可能性ほとんどない当時でもバルト海越えた人の頻繁な往来はあったはずで、その意味では地理的名称関連性考えられないともない。しかしオクシヴィエ文化存在から、政治的な集団としてのゴート族起源スカンジナヴィアではなく、このオクシヴィエ文化広がっていたバルト海南岸地方であると推定される。 またゲルマン語派起源スカンジナヴィアではなく現在のドイツ北部一帯広まっていたヤストルフ文化地域であった可能性濃厚である。ゲルマン語派決定するグリムの法則による言語変化ヤストルフ文化起こった指摘する者もいる。オクシヴィエ文化は、ヤストルフ文化ポメラニア文化進出した地域現在のポーランドポモージェ県西ポモージェ県)で両者融合して発生するが、このオクシヴィエ文化こそが最初期ゴート族文化考えられるゴート族実際異な文化をもつ部族連合体であったらしく、ゲルマン系特徴である埋葬法加えポメラニア文化プシェヴォルスク文化チェルノレス文化にも共通するスラヴ系特徴的な埋葬習慣もある。そしてポメラニア文化のうちヤストルフ文化影響を受けなかった、ヤストルフ文化影響希薄だった地域現在のポーランド中部南部一帯)でポメラニア文化そのままプシェヴォルスク文化移行したことから、このプシェヴォルスク文化ヴァンダル人文化考えられるプシェヴォルスク文化埋葬形式火葬で、独特の骨壺使用しており、かつ他の考古学的特徴東方ザルビンツィ文化のものと酷似している。これはヴァンダル人当時スラヴ人のうちの西方集団であった可能性濃厚であることを示唆するヴァンダル人98年に、ゲルマニア地方流れオーデル川ヴィスワ川の間に彼らが居たことが、ローマ歴史家タキトゥス後の歴史家によって記録されている。 ヴァンダル人は、シリンジイ(Silingii)とハスディンジイ(Hasdingii)の2つ系統分けられる。シリンジイは、ゲルマニア・マグナ(いわゆるゲルマニア)のうち、後にシレジア呼ばれるようになった地域その周辺に何世紀にも渡って住んでいた。2世紀に、ハスディンジイは、王のラウスラプト率いられて南に移動し、西隣のサルマタイ人協力得てドナウ川下流ローマ帝国攻撃しはじめたマルコマンニ戦争発端)。その後ローマ帝国和睦しルーマニアの西ダキアハンガリー定着したヴァンダル人ローマ帝国内にも移住し、それらの家族なかにはローマ高官となった者もいる。西ローマ帝国最高司令官務め数々大戦争勝利した名宰相のフラウィウス・スティリコは、父がヴァンダル人、母がローマ人であったスティリコはその華々しい活躍を妬んだ宮廷内の政治的敵対者たち陰謀いわれなき罪を着せられホノリウス帝への弁明のために赴いたラヴェンナ粛清され悲劇名将として知られている。彼は、自分がいくら懸命にローマのために働いても他のローマ人から常にどこか差別的な目で見られていたことを自覚していたという。 400年から401年にかけて、おそらくフン族侵入によって、ゴディギゼル(イタリア語版)王のもとヴァンダル人スエビ族サルマタイ人アラン族一緒に西方への移動開始した。シリンジイはのちに彼らに加わったこの頃、すでにハスディンジイはキリスト教化されていた。ゴート族初期同じように彼らも、イエス・キリスト父なる神等し存在ではないとするアリウス主義取り入れていたが、イエス・キリストは神に最も近い存在として特別に創造されたものだとしていた。これは、ローマ帝国において主流であったキリスト教の信仰とは正反対のものであったヴァンダル人ドナウ川沿いに西方へと移動したが、ライン川にたどりついた辺りで、北ガリアにあるローマ帝国属国にいたフランク族抵抗にあった。この戦いによって、ゴディギゼル王を含めて2万人のヴァンダル人死亡したが、アラン族助け借りてなんとかフランク族負かすことができた。 406年12月31日ヴァンダル人凍結したライン川渡りガリア侵入した。ゴディギゼルの息子グンデリク(イタリア語版)王率いヴァンダル人は、ガリアの西や南へ略奪して回った409年10月ピレネー山脈越えてスペイン入った。そこは、ローマ帝国から建国許され土地であったアラン族ポルトガルカルタヘナ一帯領有しヴァンダル人ガリシアアンダルシア得た。しかし、スエビ族ガリシア一部支配し続け、また西ゴート族ローマ帝国からフランス南部土地受け取前にスペイン侵入しヴァンダル人アラン人との紛争の原因となっていた。

※この「ヴァンダル人の起源」の解説は、「ヴァンダル人」の解説の一部です。
「ヴァンダル人の起源」を含む「ヴァンダル人」の記事については、「ヴァンダル人」の概要を参照ください。

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