ヴァンダル族との戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/20 23:21 UTC 版)
「アンテミウス」の記事における「ヴァンダル族との戦争」の解説
北アフリカのヴァンダル族は西帝国にとっての最重要の懸案であった。467年後半にアンテミウス帝はマルケリヌスを指揮官とする西ローマ軍を編成させ、ヴァンダル族に対する戦争を仕掛けたが、悪天候によって作戦を終える前に艦隊が引き返さざるをえず、失敗に終わった。 468年、東ローマ皇帝レオ1世そして西帝国のアンテミウス帝とマルケリヌス将軍による大規模なヴァンダル王国攻撃が計画された。総司令官はレオ1世の義弟のバシリスクス(後にゼノン帝に対する対立皇帝となる)が務めた。東西合同軍を輸送するための大艦隊が編成され、その戦費のほとんどは東帝国が負担したが、西帝国の財務も相応の負担をしていた。作戦はエジプト軍区督軍のヘラクリウス(英語版)がトリポリタニアを制圧するとともにマルケリヌス将軍の西ローマ軍がサルディニア島を確保し、そして1013隻の船団によって運ばれるバシリスクスの東ローマ軍本隊10万がカルタゴへ上陸することになっていた。だが、カルタゴ近くのボン岬半島まで到着したバシリスクスの船団はガイセリックの偽りの降伏申し出によって休戦を受け入れてしまい、その隙を突いたヴァンダル軍の火船攻撃によって船団の半数を失う大敗を喫した(ボン岬の戦い(英語版))。バシリスクスはコンスタンティノープルに逃げ帰り、マルケリヌスは(恐らくはリキメルの指金により)部下に暗殺された。 レオ1世はガイセリックとの単独講和を決めた。アンテミウス帝は同盟国を失い、この作戦の失敗によって帝国の国庫も窮乏しており、アフリカ奪回を諦め、帝国にとっての第二の問題である西方領土の確保に取り組むことになり、その目標は西ゴート族であった。
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