ヴァンダレイ・シウバとの闘い - PRIDE離脱とは? わかりやすく解説

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ヴァンダレイ・シウバとの闘い - PRIDE離脱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 16:48 UTC 版)

桜庭和志」の記事における「ヴァンダレイ・シウバとの闘い - PRIDE離脱」の解説

2001年3月25日PRIDE.13ヴァンダレイ・シウバ初対戦し、この大会から解禁されサッカーボールキックTKO負け再起戦となったPRIDE.15では初参戦のクイントン・"ランペイジ"・ジャクソン対戦ジャクソンパワー苦戦するも、最後スリーパーホールド一本勝ち収めた2001年11月3日PRIDE.17PRIDEミドル級王座新設され同時にPRIDEミドル級設定93 kgルール追加された。当時桜庭通常体重85 kg前後で、桜庭希望していたミドル級90 kg以下だったが、以後PRIDEで、桜庭はこの条件戦っていくことになったPRIDE.17ではミドル級王座賭けてヴァンダレイ・シウバ再戦するが、シウバ投げマット叩きつけられた際に左肩を脱臼しTKO負け王座獲得失敗した。翌2002年8月28日にはDynamite!メインイベントミルコ・クロコップ対戦、下からの蹴り上げ眼窩底骨折追い込まれドクターストップによるTKO負け喫した総合格闘技でのキャリア初の連敗となったその後も膝と肩に慢性的な故障抱え出場不安定な時期が続く。 ホイス破った2000年からこの時期にかけては、後述ローカルミニ番組ながら冠番組の『39 LOVER'S』を持ち、『情熱大陸』や『トップランナー』、CMにも出演し国税庁発表高額納税者公示制度では2001年度納税額2638万円推定年収7755万円に。2002年度にも納税額1014万円で、推定年収3336万円ランクインした。 2002年11月24日PRIDE.23左足断裂、右目眼窩底骨折完治しないまま強行出場。ジル・アーセンに勝利した2003年3月16日、肩と膝の負傷乗り越え完全復帰PRIDE.25で、ニーノ・シェンブリ対戦激し打撃でシェンブリの顔面裂傷起こしたが、1R膝蹴りTKO負け喫した2003年8月10日ミドル級グランプリ出場シウバ3度目対戦が行われた。この試合桜庭大幅に体重増量させて挑んだ一戦であった試合スタンド打ち合う展開が続くが、1R5分、桜庭ローキックシウバカウンターの右フック打ち込まれ失神KO負け、対シウバ戦3連敗となった2003年12月31日PRIDE SPECIAL 男祭り 2003メインイベントアントニオ・ホジェリオ・ノゲイラ対戦した負傷中の身ながら時間切れまで追い込んだが、判定負け喫した開催前には、UWFインターナショナル時代先輩である田村潔司との対戦オファーがあるも、田村準備期間の短さ理由拒否したため実現しなかった。 2004年6月20日PRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUNDにおけるワンマッチ2004年唯一の出場ニーノ・シェンブリ再戦3-0判定勝ち。 2004年12月31日PRIDE 男祭り 2004ではヴァンダレイ・シウバとの4回目試合予定されていたが、膝と肩の状態が悪く欠場した2005年2月20日PRIDE.29で、アリエフ・マックモドと対戦し精彩欠いた勝利終わった田村潔司対しリングサイドから「こんな試合じゃつまらないでしょう田村さん、僕と勝負してください」とマイクアピールをしたこともあったが、田村無言うつむいたままリングから去っていくなど、対戦何度申し込むもなかなか実現には至らず2005年ミドル級グランプリ出場し1回戦ではユン・ドンシクを1R26秒で破り2回戦ではヒカルド・アローナ対戦パワーと体重差の影響もあり劣勢に追い込まれアローナ膝蹴り連打により流血2R終了時には顔面大きく変形する程のダメージ負った自力起き上がることもできず、タオル投入された。試合病院搬送された。この試合契機主戦場としていた「ミドル級(-93 kg)」は桜庭適正体重比べて重すぎるので「ウェルター級(-83 kg)」に転向すればいいのではないのか、というファン関係者からの声があがった。だが桜庭は「ミドル級より軽い階級には興味はない」と語っていた。 2005年8月ブラジル渡航しシュートボクセアカデミー40日間渡り出稽古を行う。PRIDE.30においてケン・シャムロックシュートボクセ仕込み打撃TKOした際は、CBA会長のフジマール・フェデリコと抱きあって共に勝利を喜んでいる。 2005年12月31日PRIDE 男祭り 2005美濃輪育久対戦しアームロックTKO勝ち。この試合最後PRIDE出場となった2006年株式会社39設立2006年3月31日8年2か月所属した髙田道場契約満了により退団フリーランスとなり、高田道場時代後輩豊永稔高橋渉佐藤豪則行動共にする

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