ヴァンダービルトの時代 1867年 - 1954年
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「ニューヨーク・セントラル鉄道」の記事における「ヴァンダービルトの時代 1867年 - 1954年」の解説
オルバニーのリビングストン・アベニュー橋にまつわる駆け引きもあって、ヴァンダービルトは1867年にニューヨーク・セントラル鉄道の支配権を握った。1869年11月1日に、ニューヨーク・セントラル鉄道と彼が以前から所有していたハドソン・リバー鉄道を合併させて、ニューヨーク・セントラル・アンド・ハドソン・リバー鉄道とした。これにより鉄道網はオルバニーから南へハドソン川野東岸に沿ってニューヨークまで延長され、またオルバニーから北へトロイ・アンド・グリーンブッシュ鉄道からの借受区間も含むようになった。1914年には会社名を再度変更して、ニューヨーク・セントラル鉄道となった。 ヴァンダービルト所有のほかの路線もニューヨーク・セントラル鉄道の一部として運営された。そうした路線としては、ニューヨーク・アンド・ハーレム鉄道、レイク・ショア・アンド・ミシガン・サザン鉄道(英語版)、カナダ・サザン鉄道(英語版)、ミシガン・セントラル鉄道(英語版)などがあった。 シュピュイテン・デュイビル・アンド・ポート・モリス鉄道は1869年に路線特許を受けて1871年に開通し、ハーレム川の北側でハドソン川に沿って南東へニューヨーク・アンド・ハーレム鉄道へ、そしてグランド・セントラル駅までの列車を走らせる経路となり、またポート・モリス(英語版)にある貨物施設にもつながっていた。開通時点からニューヨーク・セントラル鉄道が借り受けていた。 ジェニーバ・アンド・リオンズ鉄道(英語版)は1877年に設立されて1878年に開通し、開通時点からニューヨーク・セントラル鉄道が借り受けていた。これはシラキュースとロチェスターを結ぶ南北の接続路線で、本線からリオンズで分岐して南へオーバーン鉄道のジェニーバまでを結んでいた。この会社は1890年にニューヨーク・セントラル鉄道へ合併された。 1900年7月1日に、ボストン・アンド・オルバニー鉄道(英語版)はニューヨーク・セントラル鉄道に借り受けられたが、独立した企業としての存在は維持した。 クリーブランド・コロンバス・シンシナティ・アンド・インディアナポリス鉄道(英語版)、シンシナティ・インディアナポリス・セントルイス・アンド・シカゴ鉄道(英語版)、およびインディアナポリス・アンド・セントルイス鉄道 (Indianapolis and St. Louis Railway)の合併により1889年6月30日にビッグ・フォーとして知られる、クリーブランド・シンシナティ・シカゴ・アンド・セントルイス鉄道(英語版)が発足した。その後、インディアナ・ブルーミントン・アンド・ウェスタン鉄道(英語版)の支配権も握った。1906年にビッグ・フォー自体もニューヨーク・セントラル鉄道に買収された。 ニューヨーク・セントラル鉄道は、主要なライバルであったペンシルバニア鉄道の山がちな路線と比べて際立って異なる特徴を持っていた。ニューヨーク・セントラル鉄道はウォーターレベルルートとして知られ、ニューヨークからシカゴまでの重要な本線のほとんどは川に沿っており、ウェスト・オルバニー丘陵以外に特にきつい勾配はなかった。このことは広告戦略や有名な機関車の設計など、多くのことに影響を及ぼした。 ニューヨーク・セントラル鉄道の蒸気機関車は、勾配区間での牽引力ではなく、平坦な本線での速度に最適化されていた。有名なハドソン型のJクラス(特に1937年から1938年にかけてのJ-3a)や、第二次世界大戦期のモホーク型(英語版)のL-3/L-4、そして大戦後のナイアガラ型のSクラスなどは、蒸気機関車愛好家からはその速度特性に特化した性格を受け継いだそのものであると評されている。 蒸気機関車の中でももっとも近代的な設計のものを保有していたにもかかわらず、ニューヨーク・セントラル鉄道は財務的な問題に当時直面していたこと、ディーゼル機関車が経済的なメリットを持つと考えたことから急速にディーゼル化を進めた。当時の経営幹部であったアルフレッド・パールマン (Alfred Perlman) が、ニューヨーク・セントラル鉄道の優れた蒸気機関車の保存という考えにまったく賛成しなかったため、ニューヨーク・セントラル鉄道の蒸気機関車で残されているのはほんのわずかである。ハドソン型もナイアガラ型もすべて1956年までに解体されてしまった。2010年時点でニューヨーク・セントラル鉄道の大型蒸気機関車で保存されているのは、モホーク型の2両のみで、セントルイスの交通博物館(英語版)にあるL-2d型2933号と、インディアナ州エルクハートのナショナル・ニューヨーク・セントラル鉄道博物館(英語版)に保存されているL-3a型3001号である。L-2d型2933号は1955年から1957年にかけての解体作業において見落とされており、数年間にわたって同情的な従業員によってニューヨークのセルカークヤードの扇形庫の奥で大きな箱の後ろに隠されていた。1962年1月にこの機関車の解体問題が世論の関心を引いて広告宣伝上の問題となりそうであったため、セントルイスの博物館に寄贈されることになった。ニューヨーク・セントラル鉄道でニューヨーク州内における最後の蒸気機関車運行は1953年8月7日であったので、この機関車がここまで残ったのは信じられないことである。1940年にアメリカン・ロコモティブで製造された、唯一の保存された第二次世界大戦期のニューヨーク・セントラル鉄道の蒸気機関車であるL-3a型3001号は、テキサス州ダラスへ売却されて残った。ダラスでは、ステートフェアの開催会場に置かれていたテキサス・アンド・パシフィック鉄道の638号機関車が1949年に寄贈されて保存されて以来、ヴァンダリズムによって大きく傷んでいたために、これを置き換えるために3001号が購入された。そのかなり後に、ナショナル・ニューヨーク・セントラル鉄道博物館がペンシルバニア鉄道の電気機関車GG1形4903号と引き換えに3001号を入手した。この機関車は良好な状態にあるとされており、運転に適当な線路が見つかれば修復して運行する候補となるだろうとされる。 北東部鉄道会社の経営状況は悲惨なものとなり、ディーゼル機関車の経済性でも事態を変えることができないほどになった。
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