ゲーベン (巡洋戦艦)とは? わかりやすく解説

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ゲーベン (巡洋戦艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/17 18:23 UTC 版)

ゲーベンドイツ語:Goeben)は、ドイツ帝国海軍 (Kaiserliche Marine) の巡洋戦艦[2]モルトケ級巡洋戦艦の2番艦で[3]姉妹艦モルトケ (SMS Moltke) [注釈 2]。 1912年7月に竣工したが、間もなくドイツ地中海戦隊に配属されて地中海に展開し、砲艦外交をおこなった[5]第一次世界大戦勃発直後、イギリス海軍地中海艦隊の追跡を受けてダーダネルス海峡を通過、オスマン帝国の領海に逃げ込む[6][注釈 3]ドイツ帝国からオスマン帝国に売却され、16世紀スルタンセリム1世にちなんでヤウズ・スルタン・セリムトルコ語: Yavuz Sultan Selim)と改名された[注釈 4]。「ヤウズ」は、スルタン・セリム1世のあだ名で、トルコ語で“冷酷な者”の意味である。


  1. ^ 装甲巡洋艦ゲーベン[1] 進水1911年3月28日/建造所プローム、ウンド、ボス會社(ハンブルグ)/排水量23,000噸/全長186米/速力29節/兵装 五〇口徑二十八糎砲十門 四十五口徑十五糎砲十二門 四十五口徑八.八糎砲十二門 發射管四門/乗員1013人
  2. ^ 巡洋戰艦ヤゥーズ・サルタン・セリム(一九一二年七月竣工)[4] 排水量二二六四〇噸、時速二五節半。一九〇九年度獨逸海軍計畫の下に築造されモルトケ號の姉妹艦なりしも一九一四年土耳古へ譲渡された。大戰中五回に渉つて水雷にかゝりし大被害を蒙る。
  3. ^ 今回ノ戰爭中東部地中海方面ニ於ケル作戰ノ梗概[7](中略)戰爭ノ初メニ獨逸ノ地中海艦隊デ御座リマシタ巡洋戰艦「ゲーベン」、巡洋艦「ブレスロウ」ノ二隻カ英佛艦隊ヨリ遁レテ「ダーダネルス」海峡ニ入リマシテ以来聯合與國ノ海軍ニ於キマシテハ地中海ニ於テモ北海方面ト同様敵ノ艦隊ヲ其根據地ニ封鎖スルノ策ヲ立テマシタ(以下略)
  4. ^ a b トルコ當局は敵諸國大使に對し、軍艦ゲーベン及ブレスローの入航は、トルコが之を買上たるによるものなり、との説明を與へ、兩艦を以てかねて英國に於て建造中なりしトルコの新建造艦ズルタン・オスマン及レシャト五世の二隻が開戰と同時に、英海軍に徴發せられたるを以て其の代艦たるものなり、と主張せり。茲に於て英國はトルコに對し、戰後同價値なる代艦を引渡すべしと誓約したるにも拘はらず、トルコは兩艦はトルコの所有に轉じたりとの口實を設けて敢て動かざりき。兩艦は八月十六日トルコ旗を掲げ、同日首都の沖合に投錨し、トルコ人士官及兵員若干を配乗せしめたる後、海軍大臣は艦上に嚴粛なる儀式を擧げて兩艦の虚構なる移管を行ひ、軍艦ゲーベンにはヤブス・ズルタン・ゼリムなる艦名を ブレスローにはミデイリなる艦名を與へ、戰隊司令官ズーホン提督を、トルコ海上諸艦艇の指揮官に任命せり[8]。(以下略)
  5. ^ 新編時の司令官はコンラッド・トムラードイツ語版少将であった。1913年10月よりスション少将となった[14]
  6. ^ 第二次世界大戦でドイツ海軍 (Kriegsmarine) を率いたカール・デーニッツ元帥が、海軍中尉として勤務していた[17]。ブレスラウも1912年11月上旬にドイツを出発し、マルタに先着していた[18]
  7. ^ 第一次バルカン戦争の敗北とロンドン条約によりギシリャ領になったレスボス島の、オスマン帝国側の呼称である[8]
  8. ^ 欧州列強の仲介により停戦協議がはじまり、ローザンヌ条約 (1912)イタリア語版トルコ語版によりオスマン帝国の敗戦で終わった[41][42]
  9. ^ バルカン同盟を締結したのは、ギリシャ王国ブルガリア王国セルビア王国モンテネグロ王国の4ヵ国であった[43]
  10. ^ 武装巡洋艦アヴエロツフ(一九一〇年三月進水)[45] 排水量九四五〇噸、時速二二節半。伊太利の同種艦ピサの姉妹艦。三六吋探照燈二基を有す。
  11. ^ トルコ側が希望したのは「其ノ語氣ヨリ察スルニ伊吹鞍馬型巡戦生駒筑波型巡戦)ノ如キモノヲ希望シ居ルカ如シ」であったという[46]
  12. ^ (珍田在ドイツ日本大使報告より抜粋)[48](中略)以上ハ軍艦ノ譲渡並ニ外交官ノ交換ニ関シ土耳古大使ト為シタル談話ノ要領ニ有之尚土耳古政府ハ軍艦ノ譲渡ニ付其後再ヒ独逸国政府ト交渉ヲ遂ケタルモノト見ヘ本月五日終ニ「ヴイセンブルグ」及「クールフェルスト、フリードリッヒ、ウヰフヘルム」ノ二艦ヲ千八百萬麻克ニテ買入ノ契約ニ調印致候而シテ當國ノ諸新聞紙ハ独逸國ガ之ニ依リテ何等戰闘力ヲ減殺スルコトナク土耳古ノ戰闘力ヲ増加シタルモノツィテ政府ノ措置ヲ齋シク具認致居候 右及報告候 敬具 
  13. ^ ○希土兩國ノ軍備現況(大正三年六月十九日附報告)[51](中略) 二、土國海軍 土國海軍ノ製艦計畫ハ希國ノ計畫程ニ大規模ナラサルモ大艦ヲ多ク含ムニ於テ之ニ優レルモノアリ即チ先ツ最大級「ドレットノート」型戰闘艦三隻ヲ算シ内一隻Reshadieh號ハ客年九月進水シテ目下武装中ニ属シ第二ハ即チ伯剌西爾政府ノタメニ英國ニ於テ建造シタル前記「リオ・デジャネロ」號ニシテ客年十二月末ヲ以テ購入目下武装中ニシテ第一ト共ニ本年中ニ竣功スヘシ亦第三ハ近ク英國Vickers會社ニ注文セラルヘシ
    更ニ製艦計畫ハ輕巡洋艦二隻及水雷驅逐艦十八隻ヲ含ミ内驅逐艦十二隻ヲ佛國Normand會社ニ注文シタル外他ハ何レモ英國Armstrong-Vickers「シンジケート」ニ建造契約ヲナセリ現在海軍力ハ戰闘艦五隻 甲装巡洋艦二隻 水雷砲艦二隻 水雷驅逐艦八隻 水雷艇八隻ニシテ詳細ヲ表示スルコト次ノ如シ(以下略)
  14. ^ ○希土兩國ノ軍備現況(大正三年六月十九日附報告)[54] 最近希土關係ハ著シク緊張シ來リタルカ兵力ノ優劣ハ形勢ノ推移ニ重大ナル關係ヲ有スルヲ以テ左ニ兩國陸海軍軍備ノ現況一班ヲ叙述セントス 一、希國海軍 希國海軍ノ製艦計畫ニ據ルニ未成戰闘艦(又ハ戰闘巡洋艦)三隻中第一「サラミ―」號ハ昨年中獨逸「ステッチン」ニ於テ第二ハ本月六月十二日佛國「セント、ナザール」ニ於テ何レモ建造ニ着手シ第三ハ近ク英國ニ於テ建造セラルヽ筈ニテ右三隻ハ既成甲装巡洋艦「オーエロッフ」號ト併セテ将來同國ノ海軍ノ主力ヲ形成スルモノナリ此外既成又ハ建造中ニ係ル軍艦ノ購入ヲ盡シ伯剌西爾ノ「ドレッドノート」型戰闘艦「リオ、デ、ジャネロ」號ハ昨年十二月遂ニ土耳古ノ手ニ奪ハレタルヲ以テ當時亞爾然丁智利ニ對シテ新造艦譲渡ヲ交渉シタルモ成ラス最近更ニ北米合衆國ヨリ其戰闘艦アイダス」及「ミッシシッピ」ヲ買受ケントシ同國政府トノ交渉略纏リタルモ議會ノ反對ニヨリテ破レ僅ニ紐育造船會社ニ於テ支那政府ノタメニ建造シタル一巡洋艦(二千六百噸)ヲ購入シ得タルノミ(同艦ハ六月十三日希國ニ向ケ出發シタリ)
    製艦計畫中ニハ更ニ三巡洋艦ヲ含ミ一隻ハ既ニ英國一「シンジケート」ニ注文セラレ他ノ二隻ニ關スル契約ノ成立亦近キニアリ何レモ英國巡洋艦Chathaur號型ニシテ速力二十五浬ヲ有スヘシ
    此ノ外水雷驅逐艦十二隻、潜水艇六隻、水上飛行機十個ヲ計上シ驅逐艦中ノ四隻(三十五浬)ハ前記英國「シンジケート」ニ注文ヲ了セリ現在ノ海軍力ハ甲装巡洋艦一隻 戰闘艦三隻 水雷驅逐艦十四隻 水雷艇六隻 潜水艇二隻ニシテ現在ノ海軍力艦種其他表示スルコト次ノ如シ(以下略)
  15. ^ 地中海及び黒海に於ける海戰[58] 開戰當初、獨逸地中海隊に属するゲーベン及びブレスラウの二艦は、ダーダネル海峡に遁入せしが、英佛兩國の抗議嚴しかりし爲め、土耳古政府は購入の名義を以て右の二艦を其の黒海艦隊の中に加へぬ。此の一事は、明かに土耳古が獨逸の同盟關係に在るを證せり。又匈國艦隊は、英佛艦隊の爲めに、アドリヤ海に封鎖せられ、英佛側は、墺匈國の領海たるダルマシヤ海岸諸島間の水道に機械水雷を布設せり。其の後千九百十五年五月下旬に至り、伊國の對墺開戰後、墺匈國艦隊は、アドリヤ海より伊國海岸に出動せしにぞ、伊國艦隊及び英艦二隻は之と交戰して敵の小艦三隻を撃沈せり、其の後墺匈國の潜水艦は、地中海に活動するの形勢ありて、シヽリー島附近に於て、十月六日、希臘の商船を撃沈し、又同月十七日には、佛國汽船一隻を撃沈せり、次ぎに黒海に於ける露國艦隊は、千九百十四年十一月十八日、セバストポール沖に於て、土國が先きに獨逸より購入せりと稱せる巡洋艦ゲーベン及びブレスラウと交戰し、ゲーベンは損傷を受け、火災を起して遁走せり。千九百十五年一月十八日、露艦側は土耳古の商船數隻を撃沈し、更に同廿四日には、飛行機十六臺を載せたる商船數隻を撃沈し、其後又ブルガリヤ沿岸を砲撃せり。されど、此方面に於ては遂に目覺ましき海戰を見ずして終れり。
  16. ^ インペラトリッツァ・マリーヤ級戦艦は[66]、本艦に対抗するため黒海艦隊に配備された[11]
  17. ^ モニター艦ラグランの主砲は、ギリシャがドイツ帝国に発注した戦艦サラミス (Salamis) のためにアメリカが製造し、その後イギリス海軍が引き取った45口径14インチ砲である[75]
  18. ^ 對土協約議定書の調印[88](中略)次ぎに、賠償問題に就いては、土耳古が獨墺兩國の中央銀行に寄託せる五百萬土耳古磅の金貨と、土耳古が英國に注文せる軍艦手附金五百英磅の金貨とを聯合國に提供し、之にて土國と聯合國間の一切の損害を相殺する事に一旦協定せるを、其の後、英國は、内政上の理由により、右の手附金を聯合國間に分配しがたき事となりし爲め、其の代りとして、軍艦購入資金として英國にて募集せる土耳古の國際證券九十三萬土耳古磅に相當する額の提供を申出て、依つて、更に聯合國間の意見纏まり次第、賠償分配協約が聯合國間に調印せらるべき決せり。其他經濟篇、交通篇等も、別段の難問題なく解決せられたり。(以下略)

脚注

  1. ^ a b 地中海戦隊 1928, p. 18.
  2. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 210a-211巡洋戦艦ヤウズ(トルコ)/ドイツとの絆を強めた譲渡戦艦
  3. ^ 世界の艦艇完全カタログ 2019, p. 33モルトケ級巡洋戦艦
  4. ^ a b 世界海軍大写真帖 1935, p. 69土耳古
  5. ^ a b 死闘の海 2004, pp. 130–131ドイツ地中海戦隊
  6. ^ a b c トルコ近現代史 2001, p. 146.
  7. ^ #地中海方面作戦梗概 pp.8-9
  8. ^ a b c 地中海戦隊 1928, p. 41(原本49頁)
  9. ^ 死闘の海 2004, pp. 60–63トルコ海軍
  10. ^ a b ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 210b.
  11. ^ a b ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 211.
  12. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 112a-113トルコ/ヤヴース級
  13. ^ ドイツ海軍魂 1981, p. 54.
  14. ^ 地中海戦隊 1928, pp. 306–308附録第一 士官以上配員表
  15. ^ 世界の艦艇完全カタログ 2019, p. 91マクデブルク級小型巡洋艦
  16. ^ ドイツ海軍魂 1981, pp. 35–37マルタ寄港
  17. ^ ドイツ海軍魂 1981, pp. 30–31ブレスラウに配備される
  18. ^ ドイツ海軍魂 1981, pp. 33–34地中海派遣命令が下る
  19. ^ ドイツ海軍魂 1981, pp. 58–60.
  20. ^ a b ドイツ海軍魂 1981, p. 73.
  21. ^ a b 地中海戦隊 1928, p. 19.
  22. ^ a b ドイツ海軍魂 1981, p. 69.
  23. ^ 地中海戦隊 1928, p. 21.
  24. ^ 死闘の海 2004, pp. 131–132開戦直後の地中海を巡る動き
  25. ^ ドイツ海軍魂 1981, p. 71.
  26. ^ 地中海戦隊 1928, pp. 350–351軍艦ゲーベン及ブレスローのダーダネルス侵入(自一九一四年八月三日 至仝年仝月十日
  27. ^ 死闘の海 2004, pp. 132–134トルコへ向かうゾーヒョン隊
  28. ^ ドイツ海軍魂 1981, pp. 77–79メッシナ港脱出
  29. ^ ドイツ海軍魂 1981, pp. 79–80英艦を追い払う
  30. ^ ドイツ海軍魂 1981, pp. 80–81コンスタンチノープル入港
  31. ^ a b c ハワード、第一次世界大戦 2014, p. 72.
  32. ^ a b 死闘の海 2004, pp. 215–217開戦直後の黒海を巡る戦い
  33. ^ a b ドイツ海軍魂 1981, pp. 87–88.
  34. ^ 死闘の海 2004, pp. 134–136トルコに編入されたドイツ軍艦
  35. ^ 通俗的世界全史、16巻 1928, pp. 147–151(原本251-259頁)第十章 老衰國土耳古の革命/青年土耳古黨の出現/モナスチールの血祭り
  36. ^ 通俗的世界全史、16巻 1928, pp. 151–153(原本259-262頁)憲政土耳古成る
  37. ^ 通俗的世界全史、16巻 1928, pp. 153–154(原本259-265頁)土耳古革命と英國の對獨政策
  38. ^ 通俗的世界全史、16巻 1928, pp. 155–157(原本266-270頁)第十一章 土耳古民族中心主義/土耳古帝の廢位
  39. ^ 通俗的世界全史、16巻 1928, pp. 157–158(原本271-273頁)土耳古の新憲法發布
  40. ^ 通俗的世界全史、16巻 1928, pp. 180–182(原本316-319頁)伊土戰爭
  41. ^ 通俗的世界全史、16巻 1928, pp. 181–183(原本319-322頁)歐洲列強の態度
  42. ^ 通俗的世界全史、16巻 1928, pp. 184–186(原本325-327頁)土耳古の敗軍、英國の仲裁
  43. ^ 通俗的世界全史、16巻 1928, pp. 183–184(原本322-325頁)バルカン同盟成る
  44. ^ 通俗的世界全史、16巻 1928, pp. 189–190(原本335-337頁)バルカン戰爭の結果
  45. ^ 世界海軍大写真帖 1935, p. 70希臘
  46. ^ #土国譲渡 pp.2-4(珍田大使より小村外務大臣へ報告)
  47. ^ #土国譲渡 p.9(官房機密第417号、明治43年7月14日、財部彪海軍次官より石井菊次郎外務次官へ)
  48. ^ a b #土国譲渡 pp.12-16
  49. ^ 死闘の海 2004, pp. 265–268(7)トルコ海軍の総括
  50. ^ ハワード、第一次世界大戦 2014, p. 71.
  51. ^ #大正3、希土軍備 pp.1-2
  52. ^ 世界の艦艇完全カタログ 2019, p. 38aエリン
  53. ^ 世界の艦艇完全カタログ 2019, p. 38bエジンコート
  54. ^ #大正3、希土軍備 p.1
  55. ^ a b #大正4、英土国交断絶 pp.1-2〔 ○英土國交斷絶顚末ニ關スル英國政府白書摘要(大正三年十一月二十一日報告) 〕
  56. ^ 世界の艦艇完全カタログ 2019, p. 38c.
  57. ^ 通俗的世界全史、16巻 1928, pp. 286–289(原本522-525頁)獨逸土耳古を籠絡す
  58. ^ 通俗的世界全史、16巻 1928, p. 334(原本618-619頁)
  59. ^ 通俗的世界全史、16巻 1928, pp. 286–287(原本522-525頁)獨逸土耳古を籠絡す
  60. ^ ドイツ海軍魂 1981, pp. 90–91対ロシア開戦
  61. ^ 通俗的世界全史、16巻 1928, pp. 287–288(原本525-527頁)汎囘教運動
  62. ^ ドイツ海軍魂 1981, pp. 92–93.
  63. ^ a b ドイツ海軍魂 1981, p. 93.
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  65. ^ 死闘の海 2004, pp. 217–222ロシアとトルコが抱える問題
  66. ^ 世界の艦艇完全カタログ 2019, p. 40インペラトリッツァ・マリーヤ級戦艦
  67. ^ 死闘の海 2004, p. 219.
  68. ^ 死闘の海 2004, pp. 192–193, 220ロシア、水上機母艦を投入
  69. ^ 死闘の海 2004, pp. 249–250ロシアの国内情勢と海軍への影響
  70. ^ 死闘の海 2004, pp. 251–252黒海の状況
  71. ^ a b c d Battle on the Seven Seas, p.209
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  73. ^ Battle on the Seven Seas, pp.210-211
  74. ^ Battle on the Seven Seas, pp.212-213
  75. ^ 福井、日本戦艦物語(I) 1992, pp. 276–277.
  76. ^ Battle on the Seven Seas, pp.213-214
  77. ^ Battle on the Seven Seas, pp.215-216
  78. ^ Battle on the Seven Seas, p.217
  79. ^ Battle on the Seven Seas, pp.219-220
  80. ^ トルコ近現代史 2001, p. 151.
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  83. ^ トルコ近現代史 2001, pp. 151–158首都の混乱と抵抗運動の準備
  84. ^ 通俗的世界全史、17巻 1928, pp. 348–350(原本651-654頁)希土戰爭
  85. ^ ハワード、第一次世界大戦 2014, pp. 193–196オスマン帝国
  86. ^ トルコ近現代史 2001, pp. 180–188ローザンヌ条約とトルコ共和国の成立
  87. ^ 通俗的世界全史、17巻 1928, pp. 351–353, 353–355.
  88. ^ 通俗的世界全史、17巻 1928, pp. 355–357(原本665-669頁)
  89. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 112b-113.
  90. ^ トルコ近現代史 2001, pp. 228–233第二次大戦とトルコ
  91. ^ トルコ近現代史 2001, p. 232.





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