ビッグサーの芸術家と大衆文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 07:01 UTC 版)
「ビッグサー」の記事における「ビッグサーの芸術家と大衆文化」の解説
20世紀半ば、ビッグサーが比較的孤立している立地と自然の美しい景観があることで、異なる種類の開拓者、すなわち作家や芸術家をあつめるようになった。その中には詩人のロビンソン・ジェファーズ、小説家のヘンリー・ミラー、写真家のエドワード・ウェストン、作家のリチャード・ブローティガン、ジャーナリストで俳優のハンター・S・トンプソン、芸術家のエミリー・ノーマンおよび作家のジャック・ケルアックがいた。その中でもジェファーズが最初の者だった。その詩は1920年代からビッグサーの自然で野生のままの空間を全国の読者に紹介しており、それが後に多くの追随者を呼ぶことになった。ヘンリー・ミラーは1944年から1962年までビッグサーで生活した。1957年に著した『ビッグサーとヒエロニムス・ボッシュのオレンジ』は、現代生活の「空調が効いた夜」から逃れることからくる楽しみと苦難を表現している。ヘンリー・ミラー記念図書館はミラーの生活と作品に捧げられた文化センターであり、多くの観光客が訪れる場所になっている。ハンター・S・トンプソンは1961年の8ヶ月間、エサレン協会となる直前のビッグサー温泉の警備員と世話人として働いた。ここにいる間に全国に配布された雑誌「ローグ」の創刊号の記事を書き、ビッグサーの職人とボヘミアンの文化を紹介した。ジャック・ケルアックは1960年代初期にビッグサーにある友人の詩人ローレンス・ファーリンゲッティの丸太小屋で数日間を過ごし、そこでの経験を元に『ビッグサー』という題の小説を書いた。ビッグサーはこれら新参者と共にボヘミアンの評判を獲得した。ヘンリー・ミラーは、ある旅行者が「セックスとアナーキーのカルト」を探して彼の家のドアをノックしたと回想している。明らかにどちらも見つけられず落胆したその旅行者は自宅に戻った。ミラーはブローティガンの著作『ビッグサーの南軍将軍』の中で言及されており、その中で一組の若者が憧れのビッグサー生活を小さな掘っ立て小屋で試み、ハエ、低い天井、神経衰弱のビジネスマン訪問者、およびうるさい泣き声があらゆる人々を眠らせない2,452匹の小さな蛙に悩まされる情景を描いている。 ビッグサーはまた研究と瞑想の場所がある所にもなった。1958年のカトリック教会の男子修道院であるニュー・カマルドリ・ハーミテージ、1962年の作業所と退役者のセンターであるエサレン協会、および1966年の仏教者の修行所タサジャラ・ゼン・マウンテンセンターと続いた。エサレンには発生期の「ニューエイジ」世代の人物が多く訪れ、1960年代にはアメリカ合衆国で東洋哲学、「人間性回復運動」およびゲシュタルト療法を広める重要な役割を果たした。 この地域の人気が増し、その景観の美しさのために間もなくハリウッドの注目を引くようになった。オーソン・ウェルズと当時の妻リタ・ヘイワースは1944年に海岸を下って旅行したときにビッグサーのキャビンを衝動買いした。夫妻はそこで1夜も過ごしたことはなかったし、その資産は現在人気のあるレストランネペンセがある場所となっている。エリザベス・テイラーとリチャード・バートンは1965年の映画『いそしぎ』に出演し、ビッグサーの多くの場所でロケし、ネペンセに似せて建てられたスタジオでダンスパーティのシーンを撮影した。『いそしぎ』はビッグサーで撮影されたスタジオ映画の中でも数少ないヒット映画であり、筋の一部としてビッグサーという名前が出てくるものとしては唯一のものである。2006年に発売されたDVDでは、バートンがナレーションを務めるビッグサーに関する短編映画が入っており、ロビンソン・ジェファーズの詩を朗読している。もう一つビッグサーで撮影された映画として1974年の『Zandy's Bride』があり、ジーン・ハックマンとリヴ・ウルマンが出演した。リリアン・ボス・ロスの小説『The Stranger in Big Sur』の映画版は1870年代のロス家とビッグサー近傍の生活を写している。 音楽の世界では、ザ・ビーチボーイズが1973年のアルバム『オランダ』のカリフォルニア・サーガ3部作をビッグサーの岩だらけの荒々しさとその住民の文化をノスタルジックに表現することに捧げている。その第1部はこの地域のアウトドア環境を叙述し、第2部はロビンソン・ジェファーズの詩『The Beaks of Eagles』を使い、第3部は土地の文学と音楽界の人物を論じている。レッド・ホット・チリ・ペッパーズによる2000年のシングル『Road Trippin'』でもビッグサーが言及されている。この歌はリードボーカルのアンソニー・キーディス、ギター奏者のジョン・フルシアンテ、およびベース奏者のフリーが、ジョンのバンド復帰後にビッグサーでサーフィンを行うことになる自動車旅行について歌っている。その他音楽でビッグサーが歌われているものとしては、バケットヘッドのアルバム『Colma』に収録された『Big Sur Moon』、アイルランドのインディーバンド、ザ・スリルズのアルバム『So Much for the City』に収録された『Big Sur』がある。カティの歌『Bixby Canyon Bridge』に出てくるデス・キャブはジャック・ケルアックが滞在したキャビンに近い橋、ビックスビークリーク橋についてのものである。
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