パンチェン・ラマ6世とは? わかりやすく解説

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パンチェン・ラマ6世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/25 04:19 UTC 版)

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パンチェン・ラマ6世
1738年 - 1780年
尊称 ロサンペルテンイェーシェー
生地 チベット
宗派 チベット仏教ゲルグ派

パンチェン・ラマ6世ロサンペルテンイェーシェー師(1738年 - 1780年)は、第6代のパンチェン・ラマである。

生い立ち

帝国チベット出身。チベット人

パンチェン・ラマ

著書に「シャンバラへの道案内書」があり、翻訳されてヨーロッパに紹介された。

清朝の招聘を受けて1779年北京を訪れて清帝国の乾隆帝と謁見した。冊封を受けて清朝のチベットに対する宗主権を認めたとともに、乾隆帝にチベット仏教の戒を授けた。しかしながら、間もなく天然痘を発病し、1780年に北京で入寂した。

2人の兄弟

1780年のパンチェン・ラマ6世の死去後、その2人の兄弟で会計係のドゥンパ・リンポチェとシャマルパ10世が相対立するようになった[1]。彼らは、タシルンポ寺の財産およびパンチェン・ラマが受け取った捧げものに対する遺産相続を求めた[1]

脚注

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注釈

出典

参考文献

先代:
ロサンイェーシェー
パンチェン・ラマの転生
6世:1738年 - 1780年
次代:
テンペーニマ




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