セルベラ艦隊の回航とは? わかりやすく解説

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セルベラ艦隊の回航

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 15:16 UTC 版)

パスクワル・セルベラ」の記事における「セルベラ艦隊の回航」の解説

キューバをめぐるアメリカスペインの関係が悪化する中で1898年米西戦争勃発したセルベラ艦隊指揮して4月8日装甲巡洋艦2隻を率いて本国出港14日ポルトガル領カーボベルデのサン・ヴィセンテ港へ進出した同地で更に装甲巡洋艦2隻と駆逐艦3隻を加えた23日にはアメリカスペイン宣戦布告行った29日艦隊出港して大西洋渡り5月11日フランス領マルティニーク島フォール=ド=フランス近海達したセルベラ艦隊機関不調駆逐艦1隻を分離し、更に14日にはベネズエラ北方沖のオランダ領キュラソー島(クラサオ島)へ渡ったアメリカ艦隊スペイン領キューバ封鎖したり、プエルトリコサンフアン艦砲射撃するなど、迎撃態勢整える中、19日にはキューバサンチャゴ・デ・キューバ入港することに成功した

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セルベラ艦隊の回航

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 06:11 UTC 版)

サンチャゴ・デ・キューバ海戦」の記事における「セルベラ艦隊の回航」の解説

キューバ方面スペイン海軍戦力ハバナ巡洋艦アルフォンソ12世砲艦インファンタ・イザベル、コンデ・デ・ベナディートー、マルケス・デラ・エンセナーダ、水雷砲艦ヌエバ・エスパーニャ、マルケス・デ・モルニス等。カルディニャスに水雷砲艦ビンケンテ・ユネス・ビンソン、シエンフエゴス水雷砲艦ガリシアサンチャゴ・デ・キューバ巡洋艦レーナ・メルセデス、プエルトリコのサン・ホアンに砲艦イザベル2世所在していたがアメリカ艦隊の有力艦に対抗できる戦力ではなかった。 1898年4月7日スペインキューバ総督エレーナス中将からR.ヒロン植民地省大臣軍艦派遣催促があり、スペイン海軍大臣セヒスムンド・ベルメッホ(前大西洋艦隊司令長官)はパスクワル・セルベラ提督ポルトガル領カーボベルデ進出命令した4月8日セルベラ提督大西洋艦隊2隻(インファンタ・マリア・テレサとクリストバル・コロン)を率いてカディス出港海軍大臣装甲巡洋艦2隻に加えてプエルトリコ派遣予定魚雷艇小艦隊プルトンフロールアリエテ、アソールの4隻)と石炭船シウダ・デ・カディス号を本国から、ニューヨークキューバから帰国中の装甲巡洋艦ビスカヤとアルミランテ・オケンドーもセルベラ艦隊合流させことにした。14日セルベラ艦隊カーボベルデのサン・ヴィセンテ港に先着。この航海テレサコロン熱効率悪いこと判明合流したアリエテとアソールのボイラー劣化しており、艦隊随伴失格判定された。 4月15日アメリカ戦争備えて対応策として五個艦隊の編成発表した北方パトロール艦隊、JAハウエル提督デラウェア州からメーン州までの警備モスキート艦隊沿岸警備退役海軍軍人組織遊撃艦隊WSシュレイ提督ハンプトンローズ起点に重要海域へ展開) 北大西洋艦隊WTサンプソン提督キューバプエルトリコ封鎖任務アジア艦隊、Gデューイ提督香港基地マニラ攻撃4月19日ビスカヤとオケンドーがカーボベルデ諸島のサントビンセント港へ入港長く航海しているビスカヤ船底整備が必要。20日プエルトリコ総督マシアスが植民地省大臣救援艦隊所在問い合わせ言外応援迫った同日セルベラ艦隊幹部会が行われた。プエルトリコ行き艦隊滅亡意味しカナリア諸島艦隊集めて防備する案で一致し海軍大臣具申した異例ながらセルベラ副官にしてテレサ艦長のコンカスも海軍大臣直接具申行った。また駆逐隊司令のヴィジャアミル大佐もサガスタ首相宛て出撃の否を建策したが、政府実力者で前植民地省大臣P.S.モレ(サガスタと共に1885年自由民主党結成した実力者、後に1905年から1906年首相)によって握り潰された。ラサガ艦長野党保守党のフランシスコ・シルヴェラ党首(後の1907年首相)に泣訴し、サガスタ首相に訓令撤回上申しもらった不首尾に終わった。更にセルベラからの具申21日22日連続して上申された。この意見具申各所たらい回しにされてしまった。(根回し結果5月12日海軍大臣より艦隊が必要と判断した場合本国への帰還ありえるとの訓令出されたが、時既に遅く大西洋を渡る前にセルベラのもとに届かず手遅れとなった。) 21日アメリカ最後通牒送り海軍キューバ封鎖命令した北大西洋艦隊サンプソンキーウエスト出港してハバナ封鎖向かった22日封鎖受けたキューバ総督スペイン艦隊派遣をコルレア陸軍大臣要請した23日にはキューバ島西部北海岸のマタンサスカルデナスマリエル、カバーニャス等が封鎖された。 23日アメリカスペイン宣戦布告行った25日マッキンレー大統領23日の対スペイン宣戦布告承認議会求め即日承認された。27日には南海岸のシエンフエゴス封鎖したスペイン側セルベラ艦隊では21日22日海軍大臣よりプエルトリコ防衛命令されており、準備入り29日カーボ・ベルデのサントビンセント港を出港して大西洋渡った。しかし出港まで宣戦布告があったことはセルベラ艦隊通知されなかった。 フィリピン方面では、5月1日マニラ湾海戦が行われ、スペイン・アジア艦隊海軍戦力壊滅した本国ではベルメゾッホ海軍大臣責任を取らされて後に更迭された。しかし、この情報タイムリーにセルベラ艦隊には伝わらなかった。フィリピン増援のためにスペイン本国では新たにカマラ少将指揮する艦隊編成し6月末にエジプトポートサイド着。7月初めに紅海まで進んだが、後述サンチャゴ・デ・キューバ海戦敗報により8日スペイン政府から本国帰還命令受けてカタルヘナ目指し地中海引き返した。このカマラ艦隊攻撃するため、アメリカではワトソン代将指揮東方艦隊編成されつつあった。元々、ジョン・C・ワトソン代将キューバ北岸封鎖艦隊を率いており、主力艦サンチャゴ封鎖使われていたため、巡洋艦ニューアークモンゴメリー、マーブルヘッド、その他の艦艇構成された。この他サンチャゴ沖以外では巡洋艦コロンビアミネアポリスサンフランシスコ大西洋東北海岸警備にあたっていた。 セルベラ艦隊装甲巡洋艦4隻(マリア・テレサビスカヤ、オケンドー、コロン)と駆逐艦3隻(プルトーンテルロールフロール)の構成であり、大西洋西進し5月11日フランス領マルティニーク島フォール=ド=フランス近海達したテルロールフロールの2隻を偵察出し、翌13日フォール・ド・フランス入港させて機関不調駆逐艦テロール艦長ファン・デ・ロチャ)を分離したこの前日の12日にはアメリカサンプソン艦隊ニューヨークアイオワインディアナ海防艦アンフィトライト、テラー巡洋艦デトロイトモンゴメリー水雷艇ポーターの7隻)がプエルトリコサンフアン艦砲射撃するなど迎撃態勢整える中、セルベラ艦隊は更に南進して14日ベネズエラ北方沖のオランダ領キュラソー島(クラサオ島)に入港した一方サムソン艦隊ハイチ島北岸ポルトー・プランス集合15日夜にセルベラ艦隊出港して北上18日夜にジャマイカ東端のモーラント岬沖通過したサムソン艦隊キー・ウェスト基地シレイ艦隊合流したセルベラ艦隊ではカリブ海入ったものの主要港ハバナシエンフエゴス封鎖されプエルトリコ方面砲撃受けて危険と判断されたため、緊急的に5月19日夜明けキューバサンチャゴ・デ・キューバ港に到着した。この2時間前まで仮装巡洋艦セントルイス海底ケーブル切断作業をしていたが入港発見されることはなく、待ち構えていたアメリカ艦隊セルベラ艦隊捕捉失敗した。こうしてセルベラ艦隊の回航は所要42日の航海要して成功したセルベラ提督サンチャゴ・デ・キューバへの到着ハバナ所在キューバ総督ブランコ海軍工廠司令官マンテローラ、本国のアウニョン海軍大臣新任)等の関係各所連絡した

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