カップ麺開発編とは? わかりやすく解説

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カップ麺開発編(昭和45年5月‐)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 06:35 UTC 版)

まんぷく」の記事における「カップ麺開発編(昭和45年5月‐)」の解説

まんぷくラーメン発売され11年経った昭和45年1970年)、大阪では万博開催され一家元いた家で暮らしていた。源は23歳になりまんぷく食品入社し、幸は21歳になり大学通っていた。即席ラーメン飽和状態倒産する企業もあり、まんぷく食品焦り感じていた。新し商品開発していたものの、まんぷくラーメン売り上げ超えるものはできていなかったのだ。世良にも画期的な商品開発するよう言われ、萬平画期的な商品考え始める。しかし、即席ラーメン国内販売はもう頭打ちで、輸出伸び悩んでいた。そのこと萬平福子に言うと、福子はかつてまんぷくラーメンアメリカ営業行った際のことを思い出す。アメリカにはどんぶりも箸もなかったため、アメリカ担当者紙コップに麺を割り入れ湯を注ぎ、それをフォーク食べたのだ。その話から萬平は「容器入ったラーメン」を開発することに決めまんぷくラーメンとは麺も味も変えることを決意。家でスープ開発した開発チームには若手採用した新商品の名前は、世界市場視野入れていることやこれまでの概念覆すという意味で「まんぷくヌードル」とした。 その日の夜、立花家には幸が万博知り合った外国人レオナルドビリートム来ていた。萬平は麺はそのままであるが、新しく開発したスープラーメン試食させる。しかし、麺がうまく巻けない、欧米人には麺をすする文化がないため食べにくいなど問題多く発生萬平は麺をまんぷくラーメン長さ半分にすることを決めた会社では、開発難航していた。萬平は家で麺の揚げ方を研究する福子が「天ぷらは油の中から浮かび上がったころが食べ頃」と呟いたことをヒントに、型と麺に上部すき間ができた状態で揚げたところ、成功同時にの上下の密度変わり、麺が戻りやすくなるという利点発生。しかし、会社では開発進んでいなかったため、萬平激怒開発チーム面々不平言い始める。それを見た真一福子萬平諭すように頼み福子は「あなたが足を止めてあげるべきだ」と諭す。その言葉聞いた萬平は、開発チームに「一緒にまんぷくヌードル作ろうと言う。 同じころ、幸はレオナルド良く会うようになるが、鈴は彼女が立花家玄関前でレオナルド抱き合うのを目撃福子相談するなどしてやきもきしていたが、福子見守ることにした。ある日世良が『白薔薇』でマスター夫妻レオナルド別の女性と肩を組んで歩くところを見た話した。その数日後、源はヌードル具に入れ食材製造方法探していたところ、フリーズドライという製法発見開発チームには後日フリーズドライ食品製造する機械導入された。その直後、幸の様子がおかしいことから福子が彼女の部屋行き事情聞くと「レオナルドアメリカ帰国する」ことと、「彼に本国婚約者がいる」ことを福子打ち明けた。幸の初恋は、終わった翌日吹っ切れた様子朝食を取る幸の姿に一安心する福子だった。 福子萬平と共にヌードル入れ具材一つ・肉の製造・加工自宅で行うように。一方源たち開発チーム神部が大急ホテル食べたシュリンプカクテル中にフリーズドライしても崩れないプーバランというエビ発見。その他、スクランブルエッグなどを入れてようやく商品の形ができた。ところが、製造ラインからある問題明かされた。「麺を容器入れ工程で、麺が中で崩れる」というのだった自宅で麺をカップ入れ作業繰り返す萬平同時期、突然鈴が病に倒れた医師診察によると「腸に異常がある」とのこと見舞い来て仕事の話ばかりする萬平対し、鈴は不満顔その後、腸が破裂したことで鈴の容態急変し緊急手術をすることになり、萬平連絡する福子手術成功したが、手術の結果から鈴は大腸憩室症という重病だったことが判明するヌードルどうやって容器入れるか試行錯誤繰り返す日々の中、萬平不思議な夢を見た突如部屋の中がひっくり返り逆回転する夢だった。目覚めた萬平容器入れ方法思いつき台所降りて実践成功したパッケージデザインは、忠彦弟子名木純也手がけることになるが、気が弱い性格である彼は、プレッシャー悩みデザイン思い浮かばず苦悩していたが、『白薔薇』のママから励まされデザイン完成萬平からも合格点をもらい感激していた。ついに『まんぷくヌードル』は完成発売の日を迎えたのだった。 しかし、発売したはいいものの、当初予想3分の1ほどと売り上げ伸び社員たち困惑する小売店からは「100円は高すぎる」との声も来ており、やはり問題値段であることが分かる他の社員値下げ提案するが、萬平100円にこだわる。しかし、小売店値引きして売っていることが分かる。それを知った萬平は、小売店では売らず他の販売ルート考えることを宣言夜中に働く人のいるタクシー会社ホテル営業をし、売り込むことを決定するまんぷくヌードル在庫が相当たまっており、製造ストップするまでになっていた。 営業結果タクシー会社が買うなど好評を博すまんぷくヌードル夜中に働く人に好評なら、夜中買える店があればいいと福子考え付くが、現実的に不可であった萬平はそこから着想し、お湯まで注がれその場食べられるような装置付けた自動販売機での発売決定するまた、まんぷくヌードル他の利点聞いて回っていた福子は、「古い世代にはまんぷくヌードル良さ伝わりにくい」ということを牧から聞く。 皆がまんぷくヌードル売り方悪戦苦闘する中、鈴は咲と夢で話す。「最後にみんなに『ありがとう』と言えたため悔いはない」という咲の言葉聞き、鈴は生前葬あげたいと言い出す。福子萬平例の少な生前葬難色を示すが、幸や源が賛成したこともあり鈴の生前葬は無事と行われる。 鈴の生前葬終わり一段落したところで、福子今までのことを思い出し、「まんぷくヌードル良さ分かるのは、頭の柔らかい人たちだ!」と気づく。そこで若者狙って売り出すことにする。同じころ、歩行者天国大阪でも11月29日行われること明らかになった。新聞知った萬平歩行者天国出店することを決意歩きながらでも食べられるまんぷくヌードルを、歩きながら食べてもらうことにした。また、萬平福子に、「歩行者天国きっかけまんぷくヌードル成功したら、次の商品考えるために、一、二仕事休んで二人で世界麺料理食べ旅行行こう」と提案し福子快諾する歩行者天国でのまんぷくヌードル販売大成功萬平福子改め感謝の気持ち伝える。二人は無事旅立つ季節変わり、春。福子萬平は「今はクアラルンプールにいて、次はタイに向かう」ことを鈴への手紙で明かす二人屋台で麺を食べながら、おいしさ楽しさかみしめるであった

※この「カップ麺開発編(昭和45年5月‐)」の解説は、「まんぷく」の解説の一部です。
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