カップ暴動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 17:06 UTC 版)
「エルンスト・フォン・ザロモン」の記事における「カップ暴動」の解説
展望のない戦いに見切りをつけ、政府に対する「背後短剣」に似た感情を心に抱きながら再び祖国の土を踏んだ彼らが1920年3月13日におけるカップ一揆にそのまま参加したのは当然の成り行きである。 3月17日、一揆が失敗に終りザロモンはかろうじて民衆のリンチを脱して工兵隊の兵舎に逃げ込み、この挫折はザロモンに反省の機会を与えることとなる。 「カップ暴動は反動ではなかったか? 我々の運動は国民から浮いてはいなかったか? 民衆をも含めたもっと幅広いナショナルな革命を目指すべきではなかったか? バリケードから革命を始めるのは間違いではなかったか? 精神の蜂起から革命を始めるべきではなかったか?」 等の総括のすえ、精神的な革命を志向したザロモンは昔の活動仲間達から別れ、読書と思索の世界にしばしば沈潜してゆく。運命の皮肉というべきか、この時彼が手にした愛読書のひとつがラーテナウの著作だった。 一揆の失敗後、ザロモンは半ばインチキの両替屋や駅の店員などで食いつなぎ、保険会社で働く平穏な市民生活を営みながら裏で、右翼諸団体の集会に顔を出し、共産主義者達と乱闘したり、また時には、彼らとスクラムを組んでSPDやUSPDの集会に殴り込みをかけたり、フランス軍の監視所を爆破して捕らわれている仲間を解放したりして、レジスタンス活動を続けて行く。エアハルト旅団以外の他のフライコールも同じような状態にあり、部隊の中枢は地下に潜り、非合法の武装組織へと変貌していく。オーバーシュレジェン地方の「アンナベルクの丘の戦い」の後、エアハルト旅団もまた「コンスル(執政官)組織」と呼ばれる非合法の地下組織となる。
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