カッペル戦争とカッペル和議とは? わかりやすく解説

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カッペル戦争とカッペル和議

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 03:54 UTC 版)

ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の記事における「カッペル戦争とカッペル和議」の解説

1528年1月盟約者中でも有力なカントンであるベルン福音主義転じ1529年2月にはバーゼル民衆蜂起起こり、こちらも福音主義転じた。さらに盟約者団の外部であるが、近隣ザンクト・ガレンコンスタンツでも福音主義影響力増し福音主義カントン軍事同盟結んだ一方インターラーケン修道院廃止後の修道院継承者ベルンからの自立図ろうとしていたが、修道院長支配権都市引き渡して修道院内の財宝銀器ベルン持ち去られたことを契機に、憤激した農民カトリックに再び戻り、それをカトリック諸邦が支援するという事態も生じたカトリック派のカントン宿敵であったはずのハプスブルク家巻き込んで軍事同盟結成し両者同年6月にカッペルの野で対峙した(第一次カッペル戦争)。一触即発危機迫ったが、ここで両者歩み寄りグラールス調停もあって「現状維持」を約束して和睦した。この第一次カッペル和議ドイツ語版)では、福音主義転向したカントンはその信仰認められるが、カトリックカントンへの布教許されず、その逆も然りとされたのであった。ここに信仰の「属地主義」、すなわち「一つ支配あるところ、一つ宗教がある ("Cujus regio, ejus religio")」が認められスイスは他のヨーロッパ諸国先駆けて改革派カトリック共存する地域となった上述したアウクスブルク和議より20数年前のことであり、スイスヨーロッパにおける宗教多元化最初の例となったのである第一次カッペル和議スイスに平和と安定もたらしたかに見えたが、ツヴィングリ現状維持に不満で、福音主義宣教軍事的拡張によってでも実現すべきと考えるようになっていた。一方ドイツではルター派皇帝圧迫受けて存亡の危機迫っていたため、同盟者を必要としていた。ここにルターツヴィングリ利害一致点があり、1529年10月にはヘッセン方伯フィリップ斡旋により、マールブルク城で会談開かれルターツヴィングリの間で軍事同盟教義一致検討された。この会談において、両者教義多くの点で一致見たものの、最終的に聖餐理解巡って鋭く対立した聖餐論)。カトリックでは、パンと葡萄酒聖別されると、実体的にキリスト身体と血に変化するという「化体説」を公認していたが、ルターキリスト身体と血は聖体拝領パンと葡萄酒中に、その下にそれとともに実在するという「両体共存説」をとってカトリック痕跡とどめた。それに対しツヴィングリは「象徴説」を採用しパンと葡萄酒にはいかなる意味においてもキリスト身体と血は実在せず、彼の死を象徴する記号であるにすぎないとしており、ただこの1点について折り合いがつかなかったため、物別れ終わったのである。これは、プロテスタント内部分裂一因となったツヴィングリその後強硬にカトリック諸州の軍事的制圧主張したが、ベルンはじめとする同盟諸邦の賛同得られず、ベルン提案にしたがってカトリック諸州に対し経済封鎖実施されるとどまった。この経済封鎖によってカトリック諸州はたちまち困窮したため、軍事力訴えざるをえなくなり1531年10月4日カトリック諸州はカッペルに再度進軍し第二次カッペル戦争ドイツ語版英語版))、これに対してツヴィングリチューリヒ市民軍率いて邀撃した。この当時カトリック側の兵8千に対してチューリヒ市民軍数百過ぎず乱戦ツヴィングリ戦死した。これは、スイス傭兵制に対してツヴィングリがかつて厳しい批判おこなったため、チューリヒ傭兵充分に用いなかったことにもよっていた。 しかし、その後ベルンとする福音主義派が反撃し第一次カッペル和議をほぼ踏襲した第二次カッペル和議ドイツ語版)が締結されスイスにおける宗教属地主義再確認された。ツヴィングリの死により、福音主義運動後継者ハインリヒ・ブリンガー受け継がれその頃にはツヴィングリ信仰告白受け入れ都市スイスとどまらずドイツ南部にまで広がっていた。これらは、やがてカルヴィニズムのなかに解消されていくこととなった

※この「カッペル戦争とカッペル和議」の解説は、「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の解説の一部です。
「カッペル戦争とカッペル和議」を含む「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の記事については、「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の概要を参照ください。

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