じっぺんしゃ‐いっく【十返舎一九】
十返舎一九
江戸後期の戯作家。駿府生。姓は重田、名は貞一、通称は与七、別号に酔斎。初め小田切土佐守に仕えたが、致仕し義太夫作者となった。のち書肆蔦屋重三郎の食客となり、戯作の道に入る。滑稽本作家として有名であった。天保2年(1831)歿、67才。
十返舎一九(三世)
十返舎 一九 (じっぺんしゃ いっく)
| 1765〜1839 (明和2年〜天保10年) |
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【戯作者】 歯切れのよいユーモアと諷刺で、傑作『東海道中膝栗毛』を著わす。 |
| 駿河国生まれ。本名は重田貞一。もとは奉行所に勤めていたが、で役職を辞し、浄瑠璃を修行。江戸の版元「蔦屋」の食客となり、黄表紙・合巻・洒落本・滑稽本・中本型読本・咄本など約400種を多作した作家。代表作は弥次さん北さんの滑稽な旅もの語り『東海道中膝栗毛』。江戸町人独特の歯切れのよい洒落とユーモアを描いた。戯作以外にも往来物、案文類などの実用書を著す。 |
年(和暦) |
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| ●1772年 (安永元年) | ■目黒行人坂火事 | 7才 |
| ●1783年 (天明3年) | ■浅間山噴火 | 18才 |
| ●1789年 (寛政元年) | ■棄捐令 | 24才 |
| ●1790年 (寛政2年) | ■石川島に人足寄場を設置 | 25才 |
| ●1791年 (寛政3年) | ■江戸市中銭湯の男女混浴を禁止 | 26才 |
| ●1797年 (寛政9年) | ■湯島聖堂を昌平坂学問所と改称 | 32才 |
| ●1803年 (享和3年) | ■江戸開府200年 | 38才 |
| ●1806年 (文化3年) | ■芝の大火 | 41才 |
| ●1808年 (文化5年) | ■フェートン号事件 | 43才 |
| ●1825年 (文政8年) | ■異国船打払令 | 60才 |
| ●1828年 (文政11年) | ■シーボルト事件 | 63才 |
| ●1829年 (文政12年) | ■江戸大火 | 64才 |
| ●1830年 (天保元年) | ■伊勢御蔭参り大流行 | 65才 |
| ●1837年 (天保8年) | ■大塩平八郎の乱 | 72才 |
| ●1839年 (天保10年) | ■蛮社の獄 | 74才 |
| ・葛飾 北斎 | 1760年〜1849年 (宝暦10年〜嘉永2年) | +5 |
| ・山東 京伝 | 1761年〜1816年 (宝暦11年〜文化13年) | +4 |
| ・酒井 抱一 | 1761年〜1828年 (宝暦11年〜文政11年) | +4 |
| ・高橋 至時 | 1764年〜1804年 (明和元年〜文化元年) | +1 |
| ・滝沢 馬琴 | 1767年〜1848年 (明和4年〜嘉永元年) | -2 |
| ・雷電 為衛門 | 1767年〜1825年 (明和4年〜文政8年) | -2 |
| ・佐藤 信淵 | 1769年〜1850年 (明和6年〜嘉永3年) | -4 |
| ・近藤 重蔵 | 1771年〜1829年 (明和8年〜文政12年) | -6 |
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