加保茶元成
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加保茶 元成(かぼちゃ の もとなり、宝暦4年(1754年) - 文政11年6月12日(1828年7月23日))は、江戸時代中期の狂歌師。江戸新吉原の妓楼「大文字屋」の主人。名は市兵衛、別号を文楼[1]。
概要
生家は岡本氏。新吉原京町一丁目の妓楼「大文字屋」の初代・村田市兵衛の姪・まさ(狂名・秋風女房)を妻に迎え、婿養子として養父と同名を称した[1][2]。
天明期における代表的な狂歌師として活躍した。天明3年(1783年)江戸狂歌が流行すると、扇屋宇右衛門(棟上高見)・大黒屋庄六(俵小槌)・蔦屋重三郎(蔦唐丸)・養母の仲(相応内所)らとともに吉原連を結成。自らその主宰となり、逍遥楼と名付けた別宅でしばしば狂歌会を開いた。歌集に『上餡集』がある[3][4][1][5]。狂歌会を催す際に参加者が扮装する習慣を持ち、自らも覆面をして登場することがあったという。この集まりは当初、大文字屋で行われていたが、のちに菊場屋(松葉屋の仮名ともされる)へと移動し、恋川春町や手柄岡持らが二次会を催したとされる。[要出典] 古銭の収集・鑑定家としても知られた[1][2]。
出典
参考文献
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