『阪神間モダニズム』の定義とは? わかりやすく解説

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『阪神間モダニズム』の定義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 09:19 UTC 版)

阪神間モダニズム」の記事における「『阪神間モダニズム』の定義」の解説

モダニズムmodernism)は一般に近代主義」と訳され伝統からの脱却をめざす傾向総称とされている。モダニズムという語に特定の意味を与え用法は、20世紀ヨーロッパにおいて盛んになったといわれる時期的には、ルネッサンス以降をさす場合と、18世紀後期産業革命以降資本主義社会形成以降をさす場合とがあり、日本においては明治維新以後をさす場合一般的である。いずれの場合においても、都市化を含むものであり、「今日的」、「当世風」であることを強調し伝統因習からの脱却図ろうとする立場modernism、あるいは「近代主義」と呼んでいる。 日本においては西洋風」であることを示す語として、明治中期頃から、“high collar”(=高い襟)を語源とする「ハイカラ」という語が流行し第二次世界大戦後まで広く用いられた。しかし、1920年代には、「ハイカラ」とは異なる意味で、「モダン」という言葉使われ始めるようになる。その最も分かりやすい例は、昭和初期流行となったモダン・ガール」、「モダン・ボーイ」(モボ・モガ)である。この呼称当時時代性流行意識し、常に新しさ求め進歩主義傾向をもつ男女総称するものであったが、特に「モダン・ガール」は、関東大震災以後昭和戦前期にかけて、タイピスト電話交換手バス車掌など、新し職業につく女性目立ち始めた社会動き呼応するように広まっていったと考えられる昭和181943)年に発表され谷崎潤一郎小説、『細雪』に登場する末娘妙子は、その奔放な性格伝統とらわれない自由な生き方から、モダン・ガール典型として描かれている。また、大阪本拠地として働く夫たち留守宅を守る一方で複数使用人家事任せて観劇お稽古ごと興じる妙子の姉たちの優雅な暮らしぶりからは、戦前の豊かで華やかな「モダン・ライフ」を垣間見ることができる。 「モダン」という語が、伝統からの脱却、あるいは否定という文脈のなかで成立していることはすでに述べた。しかし、ヨーロッパ芸術におけるモダニズムに目をやれば、日本の伝統的な様式美芸術色濃く反映されていることは明らかであり、ジャポニスム取り込んだ西洋文化を「輸入」することで、われわれは再び、自らの伝統向き合うことになる。そうであるならば、モダニズム一概に伝統からの脱却という概念捉えることはできず、伝統包含した近代」を更に超えようとする新たな捉え方が必要となる。 近代主義modernism)は、それ以前の状態を変革する志向意味しそれゆえ絶え新たな近代主義」を準備する。そして、いつも、今こそ新し時代入ったことを言いたがる人々がいる。その意味では、「ポスト・モダニズム」も一種モダニズムだ。実際、「ポスト・モダニズム」を名のりまた、そのように見なされる今日主張の妥当範囲は、実は第二次大戦前起源を見いだせるものが珍しくない1920年代動きに、あるいは世紀転換期からの動きにも、同じ傾向指摘することができる場合も多い。(中略逆に、「近代」に、ある特定の内容与え、それを志向する意志、「近代主義」は、つぎの「近代主義」からは、停滞志向する反「近代主義」と非難浴びるだろう。他方、「近代」の状態を克服し変革する志向を「近代の超克」と呼ぶとするなら、「近代主義」の内には、すなわち、「近代の超克」の意志はらんで展開しているものもあるだろう。 つまり、このような意味からいえば、モダニズムとは、伝統否定し脱却するというよりも寧ろ伝統との絡み合いであり、せめぎ合いであるともいえる。 所謂、「阪神間」とは、大阪神戸挟まれた、六甲山背景とする地域をさし、行政区域としては、武庫川以西西宮市芦屋市そして神戸市東部までを含めた地域考えられる。これらの地域は、明治後期政府推進した近代化政策背景に、次々鉄道開通し主として大阪企業家たちが競って住宅別荘建築したことから、著し都市発展遂げてきた。近代資本主義発展とともに大阪は、産業化進展し西日本における経済活動中心地となっていった。また、神戸では、明治期外国人居留地拠点貿易始まり西洋文化早くから浸透したことによって、国際都市として独自の発展をみた。したがって居留地窓口西洋文化受容し、発展させてきた港湾都市神戸と、上方伝統文化継承しつつ発展してきた商都大阪との間に位置する阪神間は、革新伝統西洋日本交錯しつつ都市発展遂げ新しライフスタイル築き上げられた地域であるということができる。とくに、1920年代から1930年代にかけては、阪神間において新たに住宅地開発されるとともに西洋料理中心とした食文化浸透和装から洋装への変化ゴルフテニスなど近代スポーツ広まりなどがみられ、人々ライフスタイル大きな変化遂げていった時期でもあった。 以上のことから、「阪神間モダニズム」とは、明治後期から大正期経て太平洋戦争直前昭和151940年頃までの期間において、阪神間人々ライフスタイル形成し地域発展影響与えてきた、ある一つ文化的傾向である、と捉えることができる。

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