『阿房列車』と乗物好き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 20:38 UTC 版)
鉄道に関しては「目の中に汽車を入れて走らせても痛くない」というほど愛しており、国鉄職員であった「ヒマラヤ山系」こと平山三郎をお供に、全く無目的に、ただひたすら大好きな汽車に乗るためだけの旅を実行、それを『阿房列車』という鉄道紀行シリーズにまとめた。のちに『南蛮阿房列車』を書いた作家の阿川弘之、鉄道紀行作家の宮脇俊三も、自らの先達として百閒を挙げている。『阿房列車』では北海道を除く日本全国を旅しているが、特に熊本県八代市にある旧八代城主の別邸で、百閒訪問当時は旅館として営業していた松濱軒(しょうひんけん)には好んで滞在し、東京・八代間を何度も列車で往復した。また、鉄道のみならず飛行機も好きで、法政大学教授時代には飛行機好きの学生たちを率いて航空研究会長をしており、随筆でもその飛行機愛を吐露している。さらには日本郵船の嘱託だった関係で、鎌倉丸の周遊記をはじめとする船の旅についての随筆も残している。
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