「ドレッド・スコット事件」と「ロー対ウェイド事件」
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「ドレッド・スコット対サンフォード事件」の記事における「「ドレッド・スコット事件」と「ロー対ウェイド事件」」の解説
妊娠中絶反対の運動家にとって、「ロー対ウェイド事件」は「ドレッド・スコット事件」の判決に近い意味合いを捉えた。こう考える人々にとって、この2つの事件は或る集団(「ドレッド・スコット事件」ではアフリカ系アメリカ人、「ロー事件」では胎児)が憲法の保護を受けていないと主張すること、および政治的な事項に裁判所による不必要な干渉があったことで似ているとしている。中絶賛成の者は2件の間の関係は曲解だと言っている。「ロー対ウェイド事件」は胎児が人間であるかという点に焦点があるのに対し、「ドレッド・スコット事件」の判決はスコット氏が人間であることを認めたが、彼はアメリカの市民ではないとしたのである。しかし、妊娠中絶反対の主唱者は、ドレッド・スコットの市民権の問題が彼の人間性に関する裁判所の考えに密接に結びついていたとの観察で反論している。トーニーによって表された裁判所の判断は、アフリカ系アメリカ人が「劣等な階級の存在であり、それだけ劣っていれば権利を有しない。」と見なした。黒人を「劣等な階級の存在」と判断することで、裁判所は彼らの人間性を全面的に否定したことを示している。 保守的な法学者はさらに、両判決が実体的適正手続きに拠っていると指摘する。すなわち、その批判に対してある憲法の規定の広い見方と司法制度によって掴まれた権力を表しているとする原理である。この原理の下で、アメリカ合衆国憲法修正第5条と14条の「生命、自由、あるいは財産」条項は、「生命、自由、あるいは財産」を不適正に奪うこととなる法律を無効にする権利を司法に与えていると解釈される。中絶が憲法で守られているというロー事件の判決主文は、最終的に(1992年)前述の「自由」の中にあると位置付けられた。奴隷のドレッド・スコットは、裁判の多数意見に従えば、「財産」を憲法に添って守ったことになった。 この主張に対する批判者は、判決が憲法について同じ型の厳密な解釈によってなされたのであり、ロー事件を覆すためには必要となると指摘している。これらの判決で、最高裁の判断は憲法が奴隷制を容認しており、憲法の立案者は市民の権利を奴隷まで拡張する意図が無かったことに焦点を当てていた。それ故に、これを変えようとするためには、憲法の修正が必要となる、この見解は憲法修正第13条と第14条の通過時に適用された。 保守的な法学者の中には、「ドレッド・スコット事件」と「ロー対ウェイド事件」のもう一つの類似性が両判決とも国民の論争(「ドレッド・スコット事件」では奴隷制、「ロー事件」では中絶)を解決しようとしたところにあると言っている。意図せぬ結果として論争は逆に掻き立てられ、「ドレッド・スコット事件」では南北戦争に、「ロー事件」では連邦裁判官指名の政治問題化に行き着いた。 これらの比較は深遠なものではない。「家族計画対ケーシー事件」(1992年)ではロー事件の中心判決、中絶は憲法で守られているというところを取り上げ、スカリア判事は次のようにドレッド・スコット事件に比較して、ロー事件判決を覆したい他の判事3名に同意した。 ドレッド・スコット事件は今日の裁判所が賞賛し採用する「実体的適正手続き」の概念に拠っている。実際に、ドレッド・スコット事件は最高裁で実体的適正手続きを採用した最初の例である可能性が強く、「ロー対ウェイド事件」の判例となる。 スカリアは「ドレッド・スコット事件」判決が奴隷制の問題を解決するというブキャナン大統領の誤った予測と、ロー裁判の判決が中絶の問題に決着を付けるという誤った期待との比較に踏み込んだ。 この類似はジョージ・W・ブッシュ大統領が2004年大統領選で2回目の討論の時に最高裁人事について問われたときの次の答えで広く認識されるようになった。 ドレッド・スコット事件では、昔、判事が憲法は奴隷制を個人の財産であるから容認していると言った。それは個人的な意見である。それは憲法が言っていることではない。それだから、私は厳密な解釈者となる人を最高裁に指名する。ワシントンD.C.の議会には多くの立法者がいる。判事は憲法を解釈する。 ドレッド・スコット事件はおよそ1世紀半も前にアメリカで廃止された奴隷制の問題を扱った裁判であったので、このコメントは幾らかの観測筋を悩ませた。解説者の中にはブッシュの回答をむしろ歴史の細かいところを奇妙にとりあげたと考えた。しかし、この声明はブッシュをして中絶反対論者に直向なメッセージを送らせたと感じた。中絶反対論者はそれが「ロー対ウェイド事件」に対するベールを被った攻撃であり、判決を覆すことを示唆するでもなく、他の考え方を遠ざけていると理解できるからである。 このコメントは明らかに大きなポイントを示唆しているので混乱させられた者もいた。(修正第13条の成立前の)憲法は一般に奴隷制を許可していなかったというのは嘘である。憲法第1条第2,2C節第3項:「割り当て」は次のようになっている。 代議員と直接税は、この合衆国に含まれる州にそれぞれの数に応じて割り当てられる。その数とは自由人の全体数に年季奉公で働く者を含み、税金を払わないインディアンを除外し、その他全ての人の5分の3を足す。 この条項に「奴隷制」という言葉は見つけられないが、年季奉公の者を含み、「税金を払わないインディアン」を除外するということで、残るものは奴隷のみであり、その人数の5分の3を代議員の数や税金の割り当ての際に使用するということである。これを5分の3妥協と呼んでいた。
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