「ドル箱」日本路線の売却
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 03:08 UTC 版)
「パンアメリカン航空」の記事における「「ドル箱」日本路線の売却」の解説
1984年にはさらなる経費削減を目的に、燃費効率のよい2人乗務機であるエアバスA300やエアバスA310、エアバスA320の導入と、経年化したボーイング747と同SP、ロッキード L-1011 トライスターとマクドネル・ダグラスDC-10の早期退役による置き換えを発表した。 さらに1985年には、日本路線を含むアジア太平洋地域の路線を、ハブ空港である新東京国際空港(現成田国際空港)の発着権やアジア諸国や日本国内の以遠権、社員や支店網、整備拠点や地上支援機材、アジア太平洋地域で運航していたボーイング747の経年機と同SP、ロッキード L-1011 トライスターとボーイング727の一部、さらに「インカンバント・キャリア(日米間路線における先入航空会社としての既存権利を所有する航空会社)」の権利ごと、当時わずかにシカゴ-シアトル-東京線のみしか運航していなかったユナイテッド航空に売却した。 第二次世界大戦前からの長い歴史を持つアジア太平洋路線は、上記の日本航空やノースウェスト航空などとの熾烈な競争のみならず、大韓航空やフィリピン航空、シンガポール航空などの政府からの支援を受けた発展途上国や新興国の航空会社の急成長による価格競争の激化によって、以前に比べて収益が低下傾向にあったものの、インカンバントキャリアとしての地位や以遠権などの既存利益を保持しており、依然としてパンアメリカン航空にとっては高収益が見込める路線であり、経営陣や株主からは売却することへの反対意見が続出した。 なお、アジア太平洋地域路線はハワイまでの国内路線のみを残し、日本の東京をハブとして運航していたアメリカ領土のグアムやサイパン路線や日本国内路線である大阪線、さらに第二次世界大戦前から就航していたマニラや香港、上海やシンガポール路線も、併せてユナイテッド航空に売却することとなった。これにてパンアメリカン航空は全路線の25パーセントを失うこととなった。
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