「ドル箱三部作」
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「セルジオ・レオーネ」の記事における「「ドル箱三部作」」の解説
1960年代に入り『ソドムとゴモラ』(1962年)、『山猫』(1963年)、『クレオパトラ』(1963年)といった歴史劇大作が次々と興行的に失敗、イタリアの歴史劇バブルは急速に終焉し、同時にイタリアの映画産業自体も大打撃を受ける。この頃、レオーネはイタリアで公開された黒澤明の『用心棒』(1961年)に深い感銘を受け、1964年に『用心棒』を西部劇風に翻案した『荒野の用心棒』を監督する。『荒野の用心棒』は低予算での製作ながら本国イタリアのみならず世界的に大ヒットし、1960年代後半のマカロニ・ウェスタンブームの火付け役となった。しかし、製作にあたり正式な許可を得ていなかったため公開後盗作問題が浮上、黒澤側に著作権侵害だとして訴えられることになる。裁判の結果を受けてレオーネたちは、黒澤プロにアジアでの配給権と全世界における興行収入の15%を支払うことになった。 『荒野の用心棒』の成功を見た不況のイタリア映画界はその後、ヨーロッパ全土でマカロニ・ウェスタンを量産、またレオーネ自身もすぐに新作に取り掛かることになる。レオーネが『荒野の用心棒』の次に放った作品が、1965年製作の『夕陽のガンマン』である。『夕陽のガンマン』は前作同様大ヒットを記録、この映画でレオーネは独自の演出スタイルを確立し、名実共にマカロニ・ウェスタンの巨匠と目されるようになる。 これら2作品の興行的成功で実力を認められたレオーネは、1966年にハリウッドのユナイテッド・アーティスツから出資を受け、120万ドルの予算を費やして大作『続・夕陽のガンマン』を監督する。南北戦争の動乱を舞台に3人のガンマンが隠された金貨を巡って争うこの作品は、従来のマカロニ・ウェスタンの枠組みを超えたスペクタクル巨編として完成する。クエンティン・タランティーノは本作をベスト1に推す。『荒野の用心棒』から『続・夕陽のガンマン』までのクリント・イーストウッド主演の三作品は、「ドル箱三部作」と呼ばれる。この頃からレオーネはハリウッド大作主義を意識した作品を手掛けるようになる。
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