『夕陽のガンマン』
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「クリント・イーストウッド」の記事における「『夕陽のガンマン』」の解説
レオーネは再びイーストウッドを主演に雇い、『夕陽のガンマン』を製作した。しかし、前作の製作会社ジョリー・プロダクションと資金を巡りトラブルになったため、レオーネはアルベルト・グリマルディ(英語版)と共に製作を進めた。グリマルディは製作費として35万ドルを支出し、ルチアーノ・ヴィンチェンツォーニは9日間かけて「麻薬中毒者の銀行強盗犯を追う二人の賞金稼ぎ」という内容の脚本を書き上げた。イーストウッドには5万ドルとファーストクラスの航空券が支給されたが、彼は前作で葉巻を吸って気分が悪くなったこともあり、再び映画で葉巻を吸うことになるのを嫌がったという。撮影は1965年の春から夏にかけて行われ、ローマの映画スタジオで撮影した後、スペインに向かい撮影を続けた。撮影中、イーストウッドはヴィンチェンツォーニと親しくなり、イタリア料理を楽しみながら女性客から注目を浴びる日々を過ごしていた。ヴィンチェンツォーニは英語が堪能で、レオーネを連れてローマの映画館に向かい、そこでアメリカ映画界の重鎮であるアーサー・クリム(英語版)とアーノルド・ピッカーに売り込んだ。二人は映画の内容に満足し、『夕陽のガンマン』と構想中の次回作の権利を買い取り90万ドルの契約を結び、前金として50万ドルを渡した。 同じ頃、『ローハイド』はフレミングが降板し、番組自体も『コンバット!』の人気に押されて放送が終了した。放送終了後、イーストウッドはディノ・デ・ラウレンティスと会い、彼の妻シルヴァーナ・マンガーノが主演を務める『華やかな魔女たち』への出演契約を結んだ。1966年後半にローマを訪れたイーストウッドは、2万ドルの出演料を受け取り、新しいフェラーリを購入している。映画は短編で、イーストウッドが出演したのは第5話「またもやいつもの通りの」の自堕落な夫役であり、ニューヨーク・タイムズからは「パフォーマンスが全くない」と批判された。この後、イーストウッドはパリを訪れ、「またもやいつもの通りの」で監督を務めたヴィットリオ・デ・シーカと共に『夕陽のガンマン』の宣伝を行った。彼はフランスでの人気を確立しており、「新しいゲイリー・クーパー」と呼ばれていた。パリでは俳優のピエール・ルシエントやカトリーヌ・ドヌーヴと交流した。
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