ルチアーノ・ヴィンチェンツォーニとは? わかりやすく解説

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ルチアーノ・ヴィンチェンツォーニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/07 03:06 UTC 版)

Luciano Vincenzoni
ルチアーノ・ヴィンチェンツォーニ
生年月日 (1926-03-07) 1926年3月7日(99歳)
出生地 イタリア王国 ヴェネト州トレヴィーゾ県
職業 脚本家
ジャンル イタリア式コメディマカロニ・ウェスタン
活動期間 1954年 - 2013年
主な作品
戦争・はだかの兵隊
誘惑されて棄てられて
蜜がいっぱい
続・夕陽のガンマン/地獄の決斗
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ルチアーノ・ヴィンチェンツォーニLuciano Vincenzoni, 1926年3月7日 - 2013年9月22日)は、イタリア脚本家である[1][2]

人物・来歴

1926年(大正15年)3月7日イタリア王国(現在のイタリア共和国ヴェネト州トレヴィーゾ県に生まれる[1]

1951年(昭和26年)、マリオ・セクィ監督の『悲劇的な魔法』の製作主任としてクレジットされたのが、映画界でのもっとも古い記録である[1]。1954年(昭和29年)に公開されたマリオ・ボンナール、アルド・ファブリッツィ監督による『奴らは路面電車を盗んだ』の脚本執筆に参加、原案としてクレジットされる[1]。同作では、クレジットされていないが、セルジオ・レオーネが演出に参加しており、レオーネとのつきあいはごく初期から始まっていた[1]

1965年(昭和40年)、ピエトロ・ジェルミ監督の『誘惑されて棄てられて』の脚本で、同作の脚本を共同執筆したジェルミ、アージェ=スカルペッリとともにナストロ・ダルジェント最優秀脚本賞を受賞する[1]。1967年(昭和42年)、ピエトロ・ジェルミ監督の『蜜がいっぱい』の脚本でも、同作の脚本を共同執筆したジェルミ、アージェ=スカルペッリとともにナストロ・ダルジェント最優秀脚本賞を受賞する[1]

1996年(平成8年)には、エンニオ・フライアーノの名を冠したフライアーノ映画祭で、永年功労賞を受賞した[1]

2013年9月22日、87歳で死去。

おもなフィルモグラフィ

70作の脚本作がある[1]

1950年代

1960年代

1970年代

1980年代

1990年代以降

参考文献

  • 『イタリア映画史入門 1905 - 2003』 : ジャン・ピエロ・ブルネッタ、訳川本英明、鳥影社、2008年7月 ISBN 4862651445

  1. ^ a b c d e f g h i Luciano Vincenzoni, インターネット・ムービー・データベース (英語), 2010年12月14日閲覧。
  2. ^ Luciano Vincenzoni, allmovie (英語), 2010年12月14日閲覧。

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