『夕刊フジ』の百回連載
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山藤は、夕刊紙『夕刊フジ』(産経新聞社)の百回連載エッセーのイラストをしばしば担当した。作家やエッセーストなどが100回前後、原稿用紙3枚程度の文章を書く欄であり、山藤は毎回、本文に関連して工夫をこらしたイラストをつけた。 4か月間休む暇もないハードな仕事であり、当初、依頼に対しては返事を渋った。しかし、文化部から、それ以前に『週刊文春』で行った野坂昭如との競作『エロトピア』の調子で願いたいとの話を受け、(方向性が見えたため)引き受けることにしたという(『食わせろ!!』講談社 1986年(景山民夫との共著)による)。 1980年の中島梓「にんげん動物園」以降は、山藤が相手の作家を指名している。 組んだ相手の作家(等)、タイトル、連載年その他は以下の通りである。 梶山季之「あたりちらす」(1971-1972)〔単行本『梶山季之のあたりちらす―女と酒と政治について』サンケイ新聞出版局 1972〕 山口瞳「飲酒者(さけのみ)の自己弁護」(1972)〔単行本『酒呑みの自己弁護』新潮社 1973(新潮文庫 1979)〕 筒井康隆「狂気の沙汰も金次第」(1973)〔単行本同名 サンケイ新聞社 1973(新潮文庫 1976にイラスト完全収録)〕 吉行淳之介「すすめすすめ勝手にすすめ」(1973-1974)〔単行本『贋食物誌』新潮社 1974(新潮文庫 1978)〕 井上ひさし「巷談辞典」(1974-1975)〔単行本『ひさし・章二巷談辞典』文藝春秋 1981(文春文庫 1984、河出文庫『巷談辞典』2014)〕 五木寛之「重箱の隅」(1975-1976)〔単行本同名 文藝春秋 1979(文春文庫 1984)〕 渡辺淳一「努力してもムダなこと…」(1976-1977)〔単行本にイラストなし、『イラストエッセイパンの耳』集英社文庫 1982にイラストのみ完全収録〕 藤本義一「サイカクがやって来た」(1977)〔単行本同名 新潮社 1978(新潮文庫 1982)〕 青木雨彦「三尺さがって六尺しめて」(1978)〔単行本『にんげん百一科事典』講談社 1979(講談社文庫 1987)〕 中島梓「にんげん動物園」(1980)〔単行本同名 角川書店 1981(角川文庫 1984)〕 つかこうへい「つかへい犯科帳」(1981-1982)〔単行本同名 角川書店 1982(角川文庫 1984)〕 村松友視「私、小市民の味方です。」(1983)〔単行本同名 新潮社 1984(新潮文庫 1987)〕 景山民夫「森羅百象ナマ殺し」(1986)〔単行本『食わせろ!!』講談社 1986(講談社文庫 1990)〕 林真理子「マリコとショージのチャンネルの5番」(1987)〔単行本『チャンネルの5番』講談社 1988(講談社文庫 1991)〕 横澤彪「ギョーカイくん流儀」(1989)〔単行本『とりあえず!?』講談社 1990〕 なお、1976年1月に刊行された丸谷才一『男のポケット』(新潮社)も、夕刊フジに101回連載されたコラムをまとめたものだが、イラストは和田誠が担当している。また、1981年12月に刊行された阿佐田哲也『ぎゃんぶる百華』(角川書店)も、夕刊フジに101回連載されたコラムをまとめたものだが、イラストは黒鉄ヒロシが担当している。また、1982年1月に刊行された小林信彦『笑学百科』(新潮社)も、夕刊フジに101回連載されたコラムをまとめたものだが、イラストは峰岸達が担当している。
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