だ‐ほ【×拿捕/×拏捕】
拿捕
読み方:ダホ(daho)
とらえること
【拿捕】(だほ)
船舶の内部に突入し、必要なら白兵戦を経た上で船内を制圧する事。
調査目的の一時的な拿捕は「臨検」、ある海域を通過する全ての船舶を拿捕する場合は「海上封鎖」と表記する。
国際法に基づく慣習として、司法・軍事上正当な理由なく船を拿捕する事は認められていない。
つまり、合法的に拿捕を行う船舶は軍隊もしくは司法警察として所属を明らかにしていなければならない。
また、軍隊は交戦国の戦闘艦艇を含む船団、または戦時禁制品に類する品目を搭載した船のみ拿捕できる。
司法警察は自国の領海内でのみ、犯罪容疑者の逮捕拘束および捜査に必要な場合に拿捕を行う事ができる。
拿捕は原則として非武装の民間船のみを対象とし、艦載砲や機関砲で武装された船舶は原則として対象としない。
これは、そのような船の拿捕が事実上不可能なためである。
海上では歩兵の機動力が著しく損なわれる上、船の構造自体が障害システムとして機能するため、武装して船内に立て籠もる船員を歩兵によって制圧することは極めて困難である。
このため、そのような船舶にはまず武装解除を呼びかけ、これに応答しない場合は機関砲などで船ごと撃沈・殺害する。
戦時には敵国の補給艦および商船を拿捕・鹵獲する通商破壊戦がごく一般的である。
各国の海軍はまずもって敵国の通商破壊、あるいはこれを防止する抑止力としての役割を期待される。
戦闘艦艇を鹵獲して船員を捕虜とする事もあるが、上記の理由から降伏した後にのみ行われる。
関連:鹵獲 海兵隊
拿捕
拿捕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 01:22 UTC 版)
海賊船舶・海賊航空機等の拿捕は、公海その他いずれの国の管轄権にも服さない場所において、軍艦、軍用航空機その他政府の公務に使用されていること明らかに表示され識別されることができる船舶又は航空機で、そのための権限を与えられているものによってのみ行うことができる。(国連海洋法条約第105・107条)
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拿捕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/15 09:05 UTC 版)
「1755年6月8日の海戦」の記事における「拿捕」の解説
6月8日、ニューファンドランド沖で、ボスコーエンの小艦隊が、霧のため、艦隊からはぐれた3隻のフランスの軍艦を発見した。64門艦のアルシド、やはり64門艦のリス、そしてドーファン・ロワイヤル(英語版)の3隻を発見したのは、イギリス艦ダンカーク(英語版)、デフィアンス(英語版)、そしてネプチューン(英語版)だった。 両国の艦隊は、互いの声が聞こえる距離まで近寄った。アルシドのトゥーサン・オカール・ド・ブランクールが尋ねた、「我々は今戦時状態にあるのか、それとも平時なのか?」「聞こえない」と、フランス艦隊に一番近いダンカーク(64門砲、指揮官リチャード・ハウ)から返答があった。その後「静まれ、静まれ」との声がフランス側にあったが、ダンカークは、アルシドから100メートル以内の距離にまで移動した。まだ正式な交戦には入っていなかったが、イギリスの返答は、あたかも交戦状態であるがごときものだった。ボスコーエンは、出会ったフランス艦は攻撃するように、命令を下されていたため、ダンカークの舷から一斉に砲撃が行われた。80人ばかりのフランスの水兵が、この、七年戦争最初の砲撃の犠牲になり、アルシドの舵も失われた。フランス軍は、何とかしてイギリスに応戦しようとするも、既に勝敗は決していた。 アルシドとリスは降伏し、ドーファン・ロワイヤルのみが難を逃れてルイブールにたどり着いた。この血なまぐさい紛争を受けて、英仏両国は戦争に突入したが、正式な宣戦布告がなされたのはそれから1年経ってからだった。
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拿捕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 04:19 UTC 版)
アメリカ民間船籍のコンテナ船「マヤグエース」(SS Mayaguez、10766載貨重量トン、乗員39人。音写表記はマヤゲス号とも)は、香港を出港し、タイのサッタヒープへ向けてタイランド湾を航行していた。同船は、アメリカ合衆国政府の依頼により、タイ駐在のアメリカ大使館やアメリカ軍部隊向けの食料品や日用品1000トンを輸送中で、タイを経由後はシンガポールへ向かう予定だった。同船はポル・ポト政権の領海90海里宣言や拿捕事件多発は知らないまま、通常航路を辿っていた。 5月12日午後2時18分(現地時間)、「マヤグエース」が、ポウロワイ島南約10㎞のカンボジア領海に差し掛かったところ、島影からカンボジアの高速警備艇2隻(王政時代にアメリカから支給されたもの)が出現した。カンボジア艇は、機関銃とロケット弾で威嚇射撃を行って停船を命じた。「マヤグエース」は遭難信号を発信したのちに停船、接舷移乗してきたカンボジア兵の指示に従って航行し、5月13日にポウロワイ島からカンボジア本土へ向かう中間にあるコー・タン島(en:Koh Tang)へ入泊した。なお、兵士と船員らは言葉が通じなかったため、指示や交渉は身ぶりで行われていた。カンボジア兵の態度は割合に丁重だった。
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拿捕
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