拿捕後のロジャースと褒賞金
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/20 08:44 UTC 版)
「ジュヌ・リシャールの拿捕」の記事における「拿捕後のロジャースと褒賞金」の解説
ロジャースは、拿捕した「ジュヌ・リシャール」を、自分の船と共に最寄りのイギリス港へと連行した。イギリス側は3人死亡、10人が負傷だったが、フランスは21人死亡で33人が負傷していた。その後ロジャースはこの駐留地の指揮官であるアレクサンダー・コクラン(英語版)提督に報告を行った。コクランはこれに以下のような添書をつけて海軍本部に送った。 同封の手紙は、郵便船「ウィンザー・キャッスル」の責任者ミスター・ロジャースより受け取ったもので、フランスの私掠船拿捕に関する報告書であります。この拿捕は武勇の一つの例であり、他に勝るもののない強靱な精神力と不屈の勇敢さがなしえたできごとであります。国王陛下の郵便船を守るため、これほどの能力を発揮したミスター・ロジャースに対し、現在空席となっている同船の船長の地位が彼に与えられんことを願います。ご報告の栄誉に浴し アレキサンダー・コクラン ロジャースがフランス私掠船に立ち向かってこれを拿捕したさまは、大きな評判を巻き起こした。多くの新聞や雑誌や定期刊行誌がこのできごとを掲載し、様々な団体がロジャースと乗員への褒賞として寄付金を出した。これらの寄付金に加え、剣を2本と100ギニー相当の食器一式及び60ポンド相当の花瓶、そして他の郵便船の指揮官の地位がロジャースに与えられた。画家のサミュエル・ドラモンド(英語版)がロジャースの肖像画や交戦のありさまをも描いたほか、他の版画家や芸術家もこのできごとを描いた作品を作成し、新聞等に掲載された。
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