拾遺記とは? わかりやすく解説

拾遺記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 09:04 UTC 版)

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拾遺記』(しゅういき)は、中国後秦の王嘉が撰した志怪小説集。10巻。上古より東晋に及ぶ小説稗伝の類を収めている。

概要

撰者の王嘉は、隴西郡安陽県の出身で、字は子年。当時、未来の事を予言する能力を持つ者として著名であったが、390年頃に、後秦の姚萇の機嫌を損ねて誅せられた。

王嘉が撰した原本は散佚しているが、南朝梁の蕭綺が、その遺文を蒐集して1書とした。その際に附された綺の序によれば、元来は19巻で220編であったとされるが、『晋書』「王嘉伝」に『拾遺録』10巻を撰したとするのとは一致していない。

また、現行本は東晋代の話まで収めるのも、蕭綺の序に「事は西晋末におわる」とあるのと一致しない。

漢魏叢書』に収録されている。

参考文献


拾遺記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 16:57 UTC 版)

穆王八駿」の記事における「拾遺記」の解説

『拾遺記』によると、大地踏み荒らさず、飛ぶように走ることができる「絶地(ぜっち)」、猛禽)よりも速い「翻羽(ほんう)」、一夜万里(5000km?)を走る「奔霄(ほんしょう)」、太陽の後を追って走ることができる「越影(えつえい)」、色鮮やかな毛を持つ馬で、光のように明るく輝く「逾輝(ゆき)」、余り速さ10の影を持つ馬「超光(ちょうこう)」、雲に乗って走れる「騰(とうむ)」、翼を持つ「挟翼(きょうよく)」の8頭で構成される説明通り、これらは速さにちなん名づけられていると考えられる穆王はこの馬達に馬車引かせ中国全土巡った。その旅の途中で神々の住む崑崙山にも立ち寄ったという。

※この「拾遺記」の解説は、「穆王八駿」の解説の一部です。
「拾遺記」を含む「穆王八駿」の記事については、「穆王八駿」の概要を参照ください。

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