後続作品への影響
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「丹下左膳 飛燕居合斬り」の記事における「後続作品への影響」の解説
五社のスピーディなアクション演出を高く買った岡田は、五社を何とか繋ぎとめておきたいと「低予算だったら、好きなのを撮っていいぞ」と五社に次回作を任せ、五社が企画したのが夏八木勲が野性的な賞金稼ぎを演じた西部劇調のアクション時代劇中編『牙狼之介』と『牙狼之介 地獄斬り』であった。
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後続作品への影響
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梅宮自身、「みなさんの中で役者・梅宮辰夫は『仁義なき戦い』の印象が強いかもしれないけど、僕の真髄は不良と女たらしを兼ねた『不良番長シリーズ』なんですよ」などと話すため、映画の性格を誤解されがちであるが、本シリーズは、不良グループ映画/番長映画/愚連隊映画/ヤンキー映画/暴走族映画/バイカー映画として元祖的作品である。 不良グループ映画 不良をテーマにした映画は、特に日活が得意としたジャンルで、これ以前から多いが、本作のようにアメリカの暴走族映画、バイカー映画をヒントに製作された作品は、日本では本作が最初。タイトルに"番長"と付けられた映画も本作が最初で、"不良グループ"を描いた映画も、この映画を切っ掛けに東映を始め、各社で多数製作された。 スケバン映画 本作以降、男の番長よりも、女の番長を主人公とする、いわゆる"女番長(スケバン)映画"が1970年代前半に一大ブームとなった。この"女性版不良番長/女番長映画"を最初に作ったのは東映ではなく日活で、1969年長谷川照子主演『女番長 仁義破り』を製作した。タイトルに"女番長"と付いた映画も『女番長 仁義破り』が初。1970年、大映が南美川洋子主演で『高校生番長』を、日活も長谷部安春監督・和田アキ子・梶芽衣子主演で『女番長 野良猫ロック』を同年、同じ5月2日に公開し、どちらもシリーズ化して突如"女番長ブーム"が起きた。『女番長 野良猫ロック』のヒットは、併映がハレンチ学園』だったからという見方もある。この『野良猫ロック』シリーズは、出演者がバイクやバギーに乗る設定が『不良番長』からの影響が見られる。大映、日活だけに儲けさせておくわけにはいかんと、東映は同年6月13日、京都撮影所で大原麗子、夏純子、市地洋子主演で『三匹の牝蜂』を製作公開。東映の"女番長映画"も岡田茂企画のこれが最初。また東京撮影所で、同時期『不良番長』にも出演した大信田礼子を主演に『不良番長』のスピンオフ企画として『ずべ公番長 夢は夜ひらく』(9月22日公開)を第一作に『ずべ公番長』をシリーズ化、東西の撮影所で別々の女番長映画を製作した。「ずべ公番長シリーズ」は、毎回ズベ公達が刺激的な服装で登場する点で、コスプレものの元祖という評価もある。東映の女番長映画は、岡田が「石井輝男のエログロ映画が終わり、ヤクザ映画以外にもう1本ラインがないと興行が弱い、若者のラインを何とか確立したい」と号令してシリーズ化させた。岡田は"牝蜂"という言葉が好きで、『三匹の牝蜂』の続編も岡田が命名した『牝蜂の逆襲』というタイトルで製作を進めていたが、監督の鈴木則文が当時の取材中に耳にした"すけばん"という言葉の鮮度は捨てがたいと"女番長"と書いて"すけばん"と読ませることを発案し『女番長(すけばん)ブルース 牝蜂の逆襲』(1971年10月27日公開)というタイトルに変更した。映像作品のタイトルに"すけばん"という言葉が使われたのはこの映画が最初。"すけばん/スケバン"という言葉はそれまでまだ一般的には知られていなかった。この池玲子を主演とする『女番長(すけばん)ブルース 牝蜂の逆襲』が『女番長シリーズ』第一作とされているが、すけばん"を片仮名表記の"スケバン"に変更したのは、1972年8月公開のシリーズ三作目の『女番長(スケバン)ゲリラ』で、片仮名表記の"スケバン"とタイトルに付けられたのも本作が最初。東映以外の女番長映画は案外露出度は低かったが、東映の本シリーズは主演の池玲子が初のトップレス番長を演じ巨乳を披露した。本シリーズは完全なバイカー映画で、『不良番長』の女性版という趣だった。1973年1月13日公開されたシリーズ四作目『女番長 スケバン』が、『仁義なき戦い』1作目との併映。間もなく大映が消滅し日活もロマンポルノに移行するため、東映のみで「スケバン映画」が、池玲子や杉本美樹、山内えみこらの主演で製作が続き、内藤誠監督の1977年『地獄の天使 紅い爆音』で1970年代の「スケバン映画」は終了したとされる。その後「スケバン映画」は、1975年に連載が始まった和田慎二の漫画『スケバン刑事』を実写化したスケバン刑事#実写化作品が1980年代後半に東映でテレビドラマ化、映画化され大ブームを起こした。 暴走族映画 梅宮は「四輪バギーを日本の映画でいち早く登場させたのも『不良番長』なんだよ。岩城滉一や舘ひろしの暴走族映画は僕らの後。俺たちが日本のバイクムービーの先鞭をつけたのは間違いない」と述べている。暴走族映画は同じく東映が1970年代後半、キャロルの親衛隊だったクールスに在籍していた岩城滉一をスカウトして、岩城主演で『爆発! 暴走族』(1975年)など4本、舘ひろし主演で『皮ジャン反抗族』(1978年)など4本の暴走族映画を製作した。舘はこの時期、岡田社長に誘われ東映に籍を置いていた。岩城の『爆発!暴走族』は、ブラックエンペラーやジェロニモなど、実際の暴走族が登場する最初の商業映画と見られる。不良番長シリーズ』の影響下にあり、1980年前後に最盛期を迎えた暴走族に先立つ1970年代に孤立する作品群である。舘主演の映画は『不良番長シリーズ』のようなエロ要素はなく、黙々とオートバイを偏愛する姿が描かれる。またそれまでの映画の役柄のため、俳優がバイクを練習したというのではなく、実際のバイカーをスカウトして映画俳優にしたという特徴を持ち、これらシリーズの功績として、不良性感度の高い若者がストリートで注目を浴び、やがて芸能界に進む今日続く道程を作ったことが挙げられる。1980年代以降は、暴走族漫画が大人気となり、これを実写化するケースが増え、今日までそれは続いている。暴走族漫画が現れるのは1980年代以降であるため、それまでは映画、特に東映がこのジャンルをリードしていた。 ヤンキー映画 ヤンキー映画と呼ぶべき最初の映画は、きうちかずひろの漫画を東映系のセントラル・アーツが映画化した『ビー・バップ・ハイスクール』(1985年)といわれる。『ビー・バップ・ハイスクール』は、"喧嘩に明け暮れる不良少年もの"というコンセプトが『不良番長シリーズ』の影響下にある。東映の不良性感度は夜のネオン街からスケバン、そしてヤンキーへと流れていった。
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後続作品への影響
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本作は海外でも売れ、フランス語吹き替えで『Roaring Fire』というタイトルでソフトが発売された。海外のカンフー映画マニアの間でも高く評価されるJAC作品の一つといわれる。 1980年代に入ると大作一本立ての時代が来て、撮影所育ちでない監督の登用も増え、鈴木則文のような撮影所出身の監督が容易に映画を撮れない困難な時代になった。鈴木は1970年代後半に『トラック野郎』という鉱脈を掴み、東映の主力級監督になったが「トラック野郎シリーズ」が1979年で終わり1980年代に入ると、マンガ原作やアイドル映画、そして本作を含む千葉真一の主宰するJACと組んだ映画の量産でこれを乗り切っていく。鈴木自身も「"トラック野郎シリーズ"の突然の打ち切りは、懐かしい映画故郷〈アクション活劇〉への道をわたしに歩ませることになった」と述べている。
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後続作品への影響
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ウィザードリィに触発されて多くのクローンが生まれ、コンピュータRPGのテンプレートとなった。1985年の『バーズテイル』や『マイトアンドマジック』は、ウィザードリィを起源とする著名なシリーズに含まれる。 日本では、ウィザードリィを元にシステムを簡素化した事実上国内PC用初のコンピュータRPG『ザ・ブラックオニキス』がウィザードリィの日本語版よりも1年早い1984年に発売された。 なかでも家庭用機向けRPG『ドラゴンクエスト』シリーズは、3作目までを通じて、ウィザードリィのコマンド式戦闘やキャラクターの装備やステータス異常、パーティー制、職業や転職といったシステムをコンピュータRPGに不慣れなユーザーにとっても段階的にわかりやすく取り入れ、これらのシステム、ひいてはコンピュータRPGそのものを日本において真に一般化させた。 その後の大きなフォロワーとしては、ベセスダのトッドハワード氏はクリエイターになるきっかけになったゲームタイトルの一つとして本作を挙げており、特にfallout3以降の彼が関わった作品には、主観視点で、また常にリアルタイムバトル以外の、コマンド式のバトルシステムをサポートしており、敵を倒した後にアイテムを拾ったり、謎解きでストーリーを進めていくアドベンチャーゲーム要素、キャラクター作成時に特性別にボーナスポイントを振り分けたり、メインストーリー終了後も永遠に宝探しが楽しめると言ったさまざまな部分で、意識的に影響を感じさせる作り方をしている。
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後続作品への影響
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「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」の記事における「後続作品への影響」の解説
本作は、当時の幅広い分野のクリエイター達に影響を与えた。本作品は、いくつかの作品にて模倣されている。 本作の作画監督であるやまざきかずおが本作の2年後に監督した映画『うる星やつら4 ラム・ザ・フォーエバー』は、本作と同様に夢をテーマとした作品になった。 桜坂洋はハリウッド実写化もされた『All You Need Is Kill』の執筆にあたり、はじめに頭に浮かんだのは本作と公言している。 SF作家の笹本祐一は本作の影響を受けて、小説『妖精作戦』シリーズの第2巻「ハレーション・ゴースト」を執筆しており、その巻末では「ビューティフル・ドリーマー」に対する謝辞が述べられている。 アトラスのロールプレイングゲーム『ペルソナ2』では、本作の特徴である、街が円卓状になって空中浮遊するシーンが存在する。 『涼宮ハルヒの憂鬱』の作者谷川流は、本作が好きで押井守さんが無意識に出てしまっていると話している。テレビアニメ版第12話「ライブアライブ」では、本作で2年4組の面々が行った出し物「純喫茶 第三帝国」が文化祭のシーンの背景として登場する。 堤幸彦の『ケイゾク』劇場版タイトル『ケイゾク/映画 Beautiful Dreamer』は、本作から引用されている。 テレビアニメ『えびてん 公立海老栖川高校天悶部』の第10話「ビューティフルドリーマーズ」は、全編に渡って文化祭の準備期間を舞台とした本作のパロディとなっており、エンディングテーマも登場キャラクターの声優による「愛はブーメラン」を用いている。また、文化祭前日を舞台とした回のエンディングを「愛はブーメラン」とするパロディは、テレビアニメ『らき☆すた』第24話「未定」でも行われた。 このほか、特撮テレビドラマ『怪奇大家族』の第9怪「脱出せよ! 忌野家呪いの迷路」では、本作にてメガネが世界の全てを語るシーンが模倣されている。テレビアニメ『這いよれ! ニャル子さん』の第12話「夢見るままに待ちいたり」では、時間がループするという状況下で本作を模倣したシーンが挿入されている。
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後続作品への影響
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「鬼龍院花子の生涯」の記事における「後続作品への影響」の解説
本作公開前から、岡田社長が夏目に惚れ込み、夏目主演の任侠映画―これまでのような任侠映画ではなく、新しい形の、女の目から見た任侠道を描く任侠路線を復活させようと夏目主演の新しい看板路線を構想した。実は『青春の門』に起用した松坂慶子を東映に引き抜いてこれをやろうとしたが、松坂の引き抜きに失敗していたため、夏目に目を付け、「夏目雅子は松坂慶子を超える女優や」と吹いた。具体的にはまず、山口組三代目の女房から見た任侠の世界を描く『制覇』に夏目の主演を指示していたが、夏目はこのオファーに難色を示してあえなく頓挫、東映の夏目女ヤクザ路線が敷かれることはなく、夏目も二度とヤクザ映画をやらなかった。『鬼龍院花子の生涯』は夏目が唯一出演したヤクザ映画である。岡田構想による女性任侠新路線はこの後、文芸作品とミックスし、夏目以外の女優たちによって実現に移され、1980年代の東映の柱になっていった。夏目の元には映画会社各社が争奪戦を繰り広げ、夏目自身が次回作に松竹『時代屋の女房』を選んだ。 五社は「『鬼龍院花子の生涯』がヒットしたら『櫂』も『陽暉楼』も撮らせて下さい」と岡田に約束を取り付けていたため、本作の大成功で監督として復活し『陽暉楼』『櫂』を撮ることが出来た。 『鬼龍院花子の生涯』『陽暉楼』『櫂』は、五社と宮尾登美子とのコンビ作品で「高知三部作」とも呼ばれた。これらは東映に新たな“女性文芸大作路線”を確立させた。 東映は男性路線中心だった1963年に東撮所長時代の岡田茂が、プロデューサー生命を賭けて佐久間良子を『五番町夕霧楼』(水上勉原作、田坂具隆監督)のヒロインに抜擢して大ヒットさせ、東映に“女性文芸路線”を開拓したことがあったが、1970年代には影を潜めていた。大きなムーブメントになったのは『鬼龍院花子の生涯』の大ヒットが切っ掛け。文芸原作に東映お得意の任侠に加えて、女優たちのエロチシズム。ここに新たな鉱脈を見出した東映は、宮尾登美子の原作を続々映画化。男顔負けの啖呵を切る土佐の女性たちのイメージは1986年から始まる「極道の妻たちシリーズ」に受け継がれた。テレビドラマでも女子高校生刑事が最後に啖呵を切って悪を倒す『スケバン刑事』が1985年から始まり、土佐弁の啖呵が決まった『二代目スケバン刑事』の南野陽子が、シリーズ最高の人気を集めた。
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後続作品への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 08:28 UTC 版)
本作は、ロボットに数々の超兵器を内蔵させること、パートナーとなる女性型ロボットアフロダイA・ダイアナンAの登場、三枚目のお笑い担当ロボットボスボロットの登場、飛行用パーツ・ジェットスクランダーの登場、新兵器の追加や弱点の克服といったパワーアップ描写、主役機体の交代(最終回におけるグレートマジンガーの登場)など、後続のロボットアニメ作品で多用されることになる要素を、数多く生み出した。 デザイン面においても後続作品に大きな影響を残し、三白眼をはじめとする本作のロボットのデザインラインが、後続の巨大ロボットの多くに色濃く影響を残している。また、「上腕と腹と大腿部が白」の配色は、マジンガーシリーズとは直接関係の無いコン・バトラーV、アーマードトルーパー、実写特撮のダイデンジンにまで踏襲され、それ以降の1970年代の作品における巨大ロボットの基本配色となった。その後も、この配色の影響下にあるロボットデザインは多い。 アニメのエンディングに設計図・透視図(宮武一貴による)が使われたり、雑誌でさまざまな裏設定が公開されるなど、作品の細部を作品外から補完する試みも行われた。こうした手法は後年のSF作品でも多く見られるが、そういった点も本作が先陣を切った。 1996年から1997年にかけて放送されたスーパー戦隊シリーズ第20作『激走戦隊カーレンジャー』では、マジンガーZそっくりの敵ロボット・バリンガーZを登場させようとした が、打ち上げパーティーで大竹宏の挨拶からそのことを知った東映上層部がダイナミックプロに配慮して出した自粛命令により、アフレコまで完了していたものがお蔵入りになるという事態になった。
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後続作品への影響
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「日本侠客伝シリーズ」の記事における「後続作品への影響」の解説
1960年代は製作会社が自社の映画を直営館、系列館に流すブロック・ブッキング・システムによって毎週二作を送り出していた時代。こうした厳しく量産を強いられる状況に対応するには、映画一本ごとの企画性や質よりも、量産作品全般に流用できるフォーマットの創出が重要な鍵となる。『日本侠客伝』第一作で岡田と俊藤は「主人公とそれを支える流れ者」という形に眼をつけた。これなら男同士の情念も描けるし、同時期に始まった鶴田浩二主演の『博徒シリーズ』には無い形なので「独自のカラーが出せる、毎回これでいこうや」となって、毎回ゲストを出しては途中で殺すパターンが出来上がった。このパターンを発展したのが1965年から始まる『昭和残侠伝シリーズ』で、流れ者の殴り込みを一本立ちさせたのが1966年から始まる『兄弟仁義』シリーズとなる。『昭和残侠伝シリーズ』は「東撮でも高倉健のシリーズを」となって始まった物だが中身は『日本侠客伝』の時代を終戦直後に変更しただけで、中村錦之助の役が傘を持った池部良に変わっただけであった。このように『日本侠客伝シリーズ』が多様な類型を派生して、任侠映画の最盛期を制覇することになった。 本作は1960年代の任侠映画に留まらず、1970年代以降の東映作品に於いてもキーとなる。岡田の指示により、本作から日下部五朗が俊藤に付いて任侠映画のプロデューサーとなった。また天尾完次が岡田直轄のプロデューサーとして、岡田の指揮下でエログロ、東映ポルノ、アクション路線を押し進める。また宣伝部に在籍して脚本を書いていた笠原和夫を本格的にシナリオライターに引っ張ってきたのは岡田だった。笠原は『人生劇場 新飛車角』の脚本を岡田に書かされたことでやくざ映画の脚本家になっていく。抜擢したこの『日本侠客伝』以降、岡田が笠原を気に入り、ホン読みで岡田が笠原の脚本を「いいよ、これで行こう!」と言ってくれるので、みんな黙り反対する者はいなくなったという。岡田が京撮所長になって以降ダメだと言われたのは『十一人の賊軍』一本だけと話している(映画化されず)。岡田という強力な後ろ盾を得て笠原はこの後多くの名作を手掛けることになる。 岡田は1962年の京撮所長時代に中島貞夫、鈴木則文、鳥居元宏、山内鉄也、牧口雄二、掛札昌裕ら、脚本を書くために集まった若手助監督をバックアップした。東撮所長時代にも移籍組の石井輝男、瀬川昌治や深作欣二、佐藤純彌、降旗康男、佐伯孚治、鷹森立一らを監督デビューさせている。1964年、再び京撮所長に復帰した岡田は企画部を所長直属にして企画決定の全権を掌握し、若い企画部員のアイデアを取り入れ一気に世代交代が実現された。高岩淡を製作課長に昇進させ、組合運動ばかりやっていた中島貞夫を『日本侠客伝』と同時期『くノ一忍法』で、1965年には「お前は喜劇が合っている」と鈴木則文を『大阪ど根性物語』で監督デビューさせ工藤栄一を重用し、高田宏治を一時干したが1970年代以降は重用した。中島貞夫は「サクさん(深作欣二)も、佐藤純彌さんも、鈴木則文も、みんな知らず知らずのうちに岡田イズムの中で映画作りをしていた、それがあの時期の東映調という形になって現れたんじゃないかと思っております」「俊藤プロデューサー、そしてまた岡田さんが逝ったときに、時には強烈に反抗したり、もう殺してやりてえ(笑)と思ったくらいの憎しみを持ったりしながらも、僕たちはそういう人たちに育てられたんだなと痛感しました」などと話している。 また岡田はこの時期から東映の京撮を中心に徹底した人員整理を進め、多くのスタッフをテレビ部や東映動画(東映アニメーション)、劇場などに配置転換させた。この時異動したスタッフの本社・本編憎しのルサンチマンがのちに東映のテレビ、アニメ躍進の原動力となった。
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後続作品への影響
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「ルパン三世 パイロットフィルム」の記事における「後続作品への影響」の解説
スタンダード版は再構成され、『TV第1シリーズ』のオープニングに使われた。最初のオープニングでは、キャラクターの顔や服装がシリーズに合わせ新たに描き直されていたが、2代目オープニングでは大半の部分で当作の映像がそのまま流用されたため、カットによって服装をはじめ作画の絵柄が異なる事態となっている。 演出に関しては、ルパンがセスナ機から自動車に飛び移るシーンは『TV第1シリーズ』第2話「魔術師と呼ばれた男」で白乾児がルパンの運転する車に飛び移るシーンに、アジトから巨大凧で脱出するシーンは同シリーズ第8話「全員集合トランプ作戦」に流用されている。 劇場映画第1作『ルパン三世 ルパンVS複製人間』の特報とでは一部の映像が使用されている。 『ルパン三世VS名探偵コナン THE MOVIE』では、オープニングののキャラクター紹介映像として一部がリメイクされた。基本的にリメイク箇所はオリジナルと同じだが、当作のルパンの作風に合わせコミカルな演出が追加されている。
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後続作品への影響
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1972年の沖縄の本土復帰以前に作られた沖縄を舞台にした映画としては、前述のように1971年の『博徒外人部隊』や1966年の『網走番外地 南国の対決』などがあるが、ほとんどが反戦映画か芸術映画であった。しかしこの『沖縄やくざ戦争』を切っ掛けに『ドーベルマン刑事』『空手バカ一代』(1977年)『沖縄10年戦争』(1978年)などが製作され、1970年代に日本のアクション映画に最初の沖縄ブームが到来した。
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