みずかみ‐つとむ〔みづかみ‐〕【水上勉】
読み方:みずかみつとむ
[1919〜2004]小説家。福井の生まれ。幅広い題材と、弱者に向けられた温かいまなざしで数多くの作品を執筆し、昭和を代表する人気作家となった。人物評伝でも実力を発揮し、映像化された作品も多い。「雁(がん)の寺」で直木賞受賞。他に「飢餓海峡」「五番町夕霧楼」「一休」など。芸術院会員。平成10年(1998)文化功労者。
みなかみ‐つとむ【水上勉】
読み方:みなかみつとむ
⇒みずかみつとむ(水上勉)
水上勉
水上勉(みなかみ・つとむ)
1919年(大8)、福井県大飯郡本郷村生まれ。口減らしのため、八歳のとき、京都の臨済宗相国寺で得度式をあげているが、17歳で還俗。
1948年(昭23)、師事していた宇野浩二の推薦により「フライパンの歌」を刊行。その後、文学から遠ざかり、31種もの職業を変える。
1958年(昭33)、多岐川恭が代表となり、河野典生、樹下太郎、佐野洋、竹村直伸、星新一、結城昌治とともに探偵作家団体の「他殺クラブ」を結成。
1959年(昭34)、松本清張の出現に刺激され、初の探偵小説「霧の影」を菊村到の推薦にて刊行し、1959年(昭34)に第42回直木賞候補となる。同時に1960年(昭35)に第13回日本探偵作家クラブ賞の候補となる。
1960年(昭35)、「海の牙」を刊行し、1961年(昭36)、第14回日本探偵作家クラブ賞を受賞。同時に1960年(昭35)に発表された「耳」とともに、1960年(昭35)に第43回直木賞候補となる。
1960年(昭35)に「面白倶楽部」に発表した「崖」は日本探偵作家クラブの「1961 推理小説ベスト20」に収録される。
1961年(昭36)、「文芸春秋」に発表した「雁の寺」が第45回直木賞を受賞。また、この作品は「ヒッチコックマガジン」の1961年ベストで7位に選ばれている。同時に日本文藝家協会の「文学選集 27(昭和37年版)」に収録される。
1961年(昭36)に「週刊朝日」に発表した「おえん」は日本探偵作家クラブの「1962 推理小説ベスト20」に収録される。
1962年(昭37)、「週刊朝日」に「飢餓海峡」を発表。
1962年(昭37)に「小説新潮」に発表した「赤い毒の花」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1963年版」に収録される。
1963年(昭38)に「小説新潮」に発表した「盲目」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1964年版」に収録される。
1964年(昭39)、「くるま椅子のうた」で、第4回婦人公論読者賞受賞。
1965年(昭40)、「城」で、第27回文芸春秋読者賞受賞。
1968年(昭43)に「文藝春秋」に発表した「佐渡の埋れ火」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和44年度」に収録される。
1970年(昭45)、「宇野浩二伝」で第19回菊池寛賞受賞。
1971年(昭46)に「小説新潮」に発表した「緋の雪」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和47年度」に収録される。
1972年(昭47)に「文藝春秋」に発表した「椋鳥よ」は日本文藝家協会の「現代の小説 1972年度後期代表作」に収録される。
1972年(昭47)に「小説新潮」に発表した「釈迦浜心中」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和48年度」に収録される。
1973年(昭48)、「北国の女の物語」「兵卒の鬣」で、第7回吉川英治文学賞受賞。
1974年(昭49)、「一休」で第11回谷崎潤一郎賞受賞。
1976年(昭51)に発表した「雪みち」は日本文藝家協会の「文学 1977」に収録される。
1976(昭51)に「小説新潮」に発表した「てんぐさお峯」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和52年度」に収録される。
1977年(昭52)、「寺泊」で第4回川端康成賞受賞。
1977年(昭52)に「週刊小説」に発表した「子おろし三昧」は日本文藝家協会の「現代小説'77」に収録される。
1979年(昭54)に「野性時代」に発表した「李永泰」は日本文藝家協会の「現代小説'79」に収録される。
1981年(昭56)に「小説新潮」に発表した「森」は日本文藝家協会の「ザエンターテインメント 1982」に収録される。
1984年(昭59)、「あひるの靴」で第16回斎田喬戯曲賞受賞。
1984年(昭59)、「良寛」で、第25回毎日芸術賞受賞。
1984年(昭59)に「週刊小説」に発表した「馬たちの行方」は日本文藝家協会の「ザエンターテインメント 1985」に収録される。
1985年(昭60)、第42回日本芸術院恩賜賞受賞。
1986年(昭61)に「小説新潮」に発表した「八坂三界」は日本文藝家協会の「ベスト小説ランド 1987」に収録される。
1986年(昭61)に発表した「この冬」は日本文藝家協会の「文学 1987」に収録される。
1988年(昭63)、芸術院会員。
1989年(平1)、日中文化交流協会代表団の団長として訪中し、天安門事件を体験。
1991年(平3)、東京都文化賞受賞。
1992年(平4)に「群像」に発表した「鼠捕り」は日本文藝家協会の「文学 1993」に収録される。
1993年(平5)に「文藝春秋」に発表した「茄子の花」は日本文藝家協会の「現代の小説 1994」に収録される。
1993年(平5)に「小説新潮」に発表した「清富記」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成6年度」に収録される。
1994年(平6)に「小説新潮」に発表した「飛奴記」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成7年度」に収録される。
1995年(平7)に「新潮」に発表した「慧能」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成8年度」に収録される。
1996年(平8)に「小説新潮」に発表した「赤い自転車」は日本文藝家協会の「現代の小説 1997」に収録される。
1998年(平10)、文化功労賞受賞。
2002年(平14)、「虚竹の笛 尺八私考」で第2回親鸞賞受賞。
2004年(平16)、肺炎により、死去。
社会派推理小説の旗手として「第二の松本清張」と呼ばれたが、次第に文学に転じ、代表的な文学者となった。郷里の大飯町には私財を投じて「若州一滴文庫」「人形座劇場」を作った。
水上勉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/18 06:07 UTC 版)
[1]、1919年3月8日 - 2004年9月8日)は、日本の小説家。福井県生まれ。社会派推理小説『飢餓海峡』、少年時代の禅寺での修行体験を元にした『雁の寺』、伝記小説『一休』などで知られる。禅寺を出奔して様々な職業を経ながら[2]宇野浩二に師事[3]、社会派推理小説で好評を博して[4]、次第に純文学的色彩を深め[5]、自伝的小説や女性の宿命的な悲しさを描いた作品で多くの読者を獲得[6]。その後は歴史小説や劇作にも取り組む一方、伝記物に秀作を残した[7]。作品の映像化も多い[8]。日本芸術院会員、文化功労者。位階は正四位。
(みずかみ つとむ- ^ 当初は「みなかみ」と呼ばれていたが、のちに戸籍名通りの「みずかみ」と読みを改めている。
- ^ 「水上勉さん死去 修行・貧困・家庭崩壊・闘病… 苦労連続、文学に結晶」『読売新聞』2004年9月8日夕刊15頁。
- ^ 『コンサイス日本人名大事典〔改訂版〕』1198-1199頁(三省堂、1990)。
- ^ 『コンサイス日本人名大事典〔改訂版〕』1198-1199頁(三省堂、1990)、「庶民へ光、無名時代に醸成 「水上文学」の礎、証言で浮き彫り」『読売新聞』2006年3月5日朝刊大阪版31頁。
- ^ 「人間へ深いまなざし 京の寺、修行が原点 水上勉さん死去」『朝日新聞』2004年9月8日夕刊11頁。
- ^ 『コンサイス日本人名大事典〔改訂版〕』1198-1199頁(三省堂、1990)、「水上勉さん 85歳 死去 作家・芸術院会員」『毎日新聞』2004年9月8日夕刊1頁。
- ^ 「水上勉さん死去 作家、85歳 『飢餓海峡』『五番町夕霧楼』 」『朝日新聞』2004年9月8日夕刊1頁。
- ^ 「水上勉」『デジタル大辞泉』(小学館)〈2021年2月11日アクセス〉。
- ^ 上杉佐一郎『連帯を求めて』p.62
- ^ 『働くことと生きること』
- ^ a b c 水上勉『泥の花』
- ^ 『私の履歴書 - 中間小説の黄金時代』日本経済新聞社 2006年
- ^ a b c 『私版 東京図絵』朝日文庫 1999年
- ^ 私の昭和史 忘れ得ぬ人びと 人生一期一会(16) 根本圭助 web松戸よみうり
- ^ 私の昭和史 忘れ得ぬ人びと 人生一期一会(17) 根本圭助、web松戸よみうり
- ^ 『文壇挽歌物語』
- ^ カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス「水上勉」(1) 2013年3月5日放送
- ^ 奥野健男「解説」(『死の流域』角川書店 1968年)
- ^ 山村正夫(『日本推理作家協会賞受賞作全集13 海の牙』双葉社 1995年)
- ^ a b c 『文章修行』知恵の森文庫 2002年
- ^ 柴田錬三郎『地べたから物申す』集英社文庫、1995年「再び話術について」
- ^ 『老いてこそ電脳暮し』
- ^ 「水上勉の明大前を歩く」東京紅團
- ^ 『わが華燭』
- ^ 『毎日新聞』1973年1月4日。
- ^ 『閑話一滴』
- ^ 『朝日新聞』1986年2月26日(東京本社発行)朝刊、22頁。
- ^ 一滴「徒然草」 » 大飯町名誉町民称号の記(2015年8月11日閲覧)
- ^ 企画展「水上勉が描いた越前」|図書館 - 福井県立図書館・文書館・文学館(2015年8月11日閲覧)
- ^ a b 篠田一士「解説」(『霧と影』新潮文庫 1966年)
- ^ 浅見淵(『巣の絵』角川文庫 1969年)
- ^ 「解説」(『野の墓標』集英社文庫 1978年)
- ^ 酒井順子は『金閣寺の燃やし方』(講談社2010年)は人生は正反対だが、同じ題材で『五番町夕霧楼』・『金閣炎上』を書いた水上と『金閣寺』を書いた三島由紀夫 を対照している。水上は『若狭幻想』の「おんどろどん」という音、三島は『仮面の告白 』で光りで生まれたばかりの記憶を描いている
- ^ 奥野健男(『五番町夕霧楼』角川文庫 1995年)
- ^ 『金閣寺炎上』新潮文庫 1980年
- ^ 『銀の庭』角川文庫、1966年(小松伸六「解説」)
- ^ a b 『わが文学 わが作法』
- ^ 『弥陀の舞』角川文庫 1982年
- ^ 「愁いの詩人 水上勉」(『別冊新評 水上勉』)
- ^ 村松定孝(『紅花物語』角川文庫 1971年)
- ^ 小松伸六解説(『霰』新潮社 1983年)
- ^ 尾崎秀樹「解説」(『湖の琴』角川文庫 1968年)
- ^ 『寺泊・わが風車』新潮文庫 1984年(饗庭孝男「解説」)
- ^ 『石を抱いた樹』講談社文庫 1984年(祖田浩一「解説」)
- ^ 『いのちの小さな声を聴け』
- ^ 柳田聖山「解説 巷の高僧の体臭を読みとる」(『一休・正三・白隠』ちくま文庫 1987年)
- ^ 『一滴の力水』
- ^ 中野孝次(『一休』中公文庫 1978年)
- ^ 『水上勉作品集 城/蓑笠の人』「編集者のまえがき」
- ^ 中村元(『仏教の核心が分かる 濁世の仏教』学研M文庫 2000年)
- ^ 秋月龍珉(『破鞋 雪門玄松の生涯』岩波書店同時代ライブラリー 1990年)
- ^ 『竹の精霊』
- ^ 『竹紙を漉く』
- ^ 『骨壷の話』
- ^ a b 「文庫版あとがき」(『父と子』朝日文庫、2000年)
- ^ 三島事件で自衛隊員たちが、「聞こえねえぞ」「降りてこい」と言われているのに檄を飛ばし続けた三島に対する返事として書いた作品。
- ^ 日本の古民家を台湾に移築 大地震の被災地交流が縁、47NEWS、2010/07/24[リンク切れ]
- ^ 水上勉邸跡地に建つ菱重エステート「ディアクオーレ成城」, RBAタイムズ.
- ^ 【2位】エルミタージュ ドゥ タムラ(美味しい軽井沢), アド街ック天国, テレビ東京.
水上勉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 23:52 UTC 版)
1952年以降文筆活動から遠ざかっていたが、清張の活動に刺激を受け、1959年に推理小説『霧と影』を発表、その後社会派推理作家として認められた。水上は清張から取材・執筆のアドバイスを与えられ、直木賞受賞作品『雁の寺』は激賞を受けたという。
※この「水上勉」の解説は、「松本清張」の解説の一部です。
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