推理作家
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推理作家(すいりさっか)は、推理小説を主として著す小説家。ミステリー小説家とも呼ばれる。
注釈
- ^ 江戸川乱歩は横溝正史の『真珠郎』の序文に「この作者は探偵作家でありながら」と記述している[1]。
- ^ 横溝正史は「三つの探偵トリオ」というエッセイの冒頭に「探偵作家が何に一番苦労するかといえば」と記述している[2]。
- ^ 坂口安吾は「『蝶々殺人事件』について(推理小説論)」の冒頭に「日本の探偵作家の間に、探偵小説芸術論という一風潮があって」と記述している[3]。
- ^ 昭和23年度探偵作家クラブ賞贈呈式のテーブルスピーチで、城昌幸は「坂口氏の作品は読み辛いし面白くないがいわゆる探偵作家でない氏をこのクラブが重んずることにファインプレイを感ずる」、渡辺啓助は「坂口氏のはこみ入っていて疲労を感ずるものゝその情勢は買はなくてはならぬし、いわゆる探偵作家以外の新しい挑戦としての意味がある」、木々高太郎は「即ち探偵小説の時は探偵作家になったとみるので、純文学が書けることが探偵小説を文学にし得るのではなく探偵小説から文学たり得るものが生れるといへるので、探偵小説から文学へ突き抜けなければいけないと思ふ」と述べている[4]。
- ^ 『クイーン談話室』(1957年)など。
出典
- ^ 横溝正史『昭和ミステリ秘宝 真珠郎』(第1版)扶桑社〈扶桑社文庫〉、2000年10月30日、444頁。ISBN 978-4-59-402993-7。
- ^ 小林信彦 編『横溝正史読本(改版)』(第1版)角川書店〈角川文庫〉、2008年9月25日、207頁。ISBN 978-4-04-138216-5。
- ^ 小林信彦・編『横溝正史読本(改版)』(第1版)角川書店〈角川文庫〉、2008年9月25日、242頁。ISBN 978-4-04-138216-5。
- ^ “1949年 第2回 日本推理作家協会賞 長編部門 その他「中島河太郎 選考経過を見る」”. 日本推理作家協会賞 公式サイト. 2020年6月20日閲覧。
推理作家
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江戸川乱歩 編集長を務めた雑誌『宝石』に、清張の『ゼロの焦点』(連載時の題『零の焦点』)を連載させており、その休載時に清張と対談を行ったが、これが記録として残っている乱歩と清張による唯一の対談である。また、推理小説の指南書『推理小説作法』(1959年、光文社、2005年、光文社文庫)を清張と共編している。 清張は特に「二銭銅貨」以降続々と発表された乱歩の初期短編を愛読し、「大変な天才が現われた」「日本にも本格的な探偵小説作家が出たと驚嘆した」と絶大な評価を与えている。のちの通俗長編に対しては「独自性や野心的なものは、残念ながら影を潜め」「作品価値的には遂に長い空白時代が続く」など厳しい感想が多いが、一方では「面白さにかけてはそれなりに独自のものを持っている。爾後の模倣者の及ぶところではなく、乱歩の才能の非凡さを示している」と一定の評価も述べている。 一方で、乱歩による清張作品に対する踏み込んだ評論は特に残されていない。乱歩は『幻影城』「探偵小説純文学論を評す」では、自身の見解を「文学的本格論」と称していた。他方、国産の本格推理の昭和20年代の状況に関しては、横溝正史や高木彬光の活動にもかかわらず、悲観的な認識を持っていた。 鮎川哲也は、乱歩が体調を崩したのち、清張が池袋の白雲閣に居た乱歩を訪問し、畳に手をついてお辞儀し、敬意を表現していたと伝えている。 乱歩の死後、清張は三島由紀夫や中島河太郎と共に、『江戸川乱歩全集』(講談社・全15巻・1969 - 70年)の編集委員を務めた。 木々高太郎 推理小説家として初めて直木賞を受賞した作家であるが、清張の処女作「西郷札」を認め、編集委員を務めていた雑誌『三田文学』に「記憶」「或る『小倉日記』伝」を発表する機会を与えるなど、清張を世に送り出す役割を果たしている。清張も「日本の探偵小説に知性を与えた最初の人」と木々の小説作品を高く評価し、『木々高太郎全集』(朝日新聞社・全6巻)の監修者を務めている。 横溝正史 江戸川乱歩らとの座談会(『別冊宝石』第109号収録)では、社会派推理小説の流行に関して「作家は(時流に)受けるものを書くのではなく、好きなものを書く」として、距離を置く発言をしている。ただし、後年には社会派の影響を受けた作品も執筆しており、「本格推理小説が復興するにしても、松本清張氏が築き上げたリアリズムの洗礼を受けたものでなくてはならないでしょう」とトーンを変化させている。なお、清張が横溝の作品を「お化け屋敷」と呼んだとされることがあるが、清張が横溝の作品を指してそのように呼んだ事例は、『随筆 黒い手帖』を含めて、実際には存在しない。にもかかわらず、この解釈が生じた背景の一つとしては、1957年に行われた荒正人と清張の論争があり、その中で荒は、清張の文章が名前を伏せた横溝批判に相当するのではないかと主張している。 森村誠一 最初の著作の出版以降、清張と数回会っているが、のちに清張の印象を以下のように総括している。「乱歩さんや(横溝)正史さんは、後進や新人に非常にあたたかい。松本清張さんは全く逆です。まず新人に対しては、疑惑と警戒の目を向ける。大切な自分の作品という卵を産む限界能力を犠牲にしてまで、どうして俺が新人の育成をしなきゃいけない、自分の作品を産むのに忙しい。いうなれば、自分の作品しか見つめていない方です。これは私自身も、清張さんの姿勢は作家として見習わなければいけないと思います」。 山村美紗 江戸川乱歩賞落選作を清張が推薦したことにより、最初の著作『マラッカの海に消えた』を出版することができた。初版本の帯には「トリックの豊富さと物語性を評価」と清張の言葉が記され、「G・K・チェスタトンに迫るトリック」と高い評価を与えている。また山村から見た清張の印象を述べたものとして、エッセイ『ミステリーに恋をして』(1992年、光文社文庫)がある。 西村京太郎 山村美紗をモデルにした小説(『女流作家』『華の棺』)を書いているが、その作中に清張を思わせる作家・蔵田が登場している。作中では、蔵田がヒロインの夏子(山村)に好感を持っており、主人公・矢木(西村)と付き合うのを止めるよう告げる旨のセリフを言わせている。また「作家になったのは、清張の作品を読んで、これなら自分でも書けると錯覚したのがきっかけ」と述べている。 島田荘司 日本における本格推理復興の大きな契機を作った一人とされるが、清張に関しては「社会派の作家としては最もトリックが多い」「清張さんはトリック重視」として、一定の評価を与えている。その後も島田は清張の推理小説を、自然主義と結びつけて解釈する見解を示している。ただし、最も印象深い清張作品に関しては、トリッキーな推理作品ではなく、『半生の記』「火の記憶」であると述べている。島田はノンフィクション作品『秋好英明事件』を書いているが、島田を秋好支援に熱中させたのは、これら清張作品の潜在記憶であると回顧している。 宮部みゆき 初期短編から最晩年の作品まで清張作品を愛読しており、『松本清張傑作短編コレクション』(2004年、文春文庫・全3冊)の編者を務めた。また2009年の生誕100周年記念事業の際に大沢在昌や京極夏彦と共に記念講演会を開催し、清張をめぐって奥泉光や半藤一利、北村薫と対談も行っている。 森雅裕 作家デビュー前に出版社でアルバイトしていた頃、清張宅に新聞等の資料を届ける仕事をしていたが、原稿の催促に来た編集者と勘違いされて「締め切りはまだだろう!」と日本刀を持ち出されて追い返された経験を持つ。
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推理作家
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詳細は「推理作家」を参照 推理小説を著す作家は推理作家、ミステリ作家などと呼ばれる。推理小説を専業にする作家と、他のジャンルの小説をも同時に手がける作家との2つに大きく分けられる。近年では、作家本人は推理小説を書いている意識がないのにも関わらず、読者や評論家から推理作家に分類される場合があるなど、書き手と読み手との意識のずれもみられる。前述のようにパズル・ミステリを執筆しているのはパズルやクイズ作家が多く、推理作家に分類されることはない。 著名な作家については推理作家一覧を参照
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