河野典生とは? わかりやすく解説

こうの‐てんせい〔かうの‐〕【河野典生】

読み方:こうのてんせい

[1935〜2012小説家高知生まれ本名、典生(のりお)。ミステリー・ハードボイルド・SFファンタジー・ジャズ小説など幅広く活躍。「殺意という名の家畜」で日本推理作家協会賞受賞。他に「街の博物誌」「アガサ・クリスティ殺人事件」など。


河野典生(こうの・てんせい)

1935年(昭10)、高知市生まれ少年時代に詩誌「蘇鉄同人となる。明治大学仏文科中退明治大学学内誌「駿台文学復刊参画
bb1950年(昭25)、薬品結晶標本作成法研究により、高知県科学研究コンクール中学の部第一位寺田寅彦賞」受賞
1956年(昭31)、「三田文学」に戯曲「墜ちた」を発表
1957年(昭32)、詩劇団「」を結成
1958年(昭33)、多岐川恭が代表となり、樹下太郎佐野洋竹村直伸星新一水上勉結城昌治とともに探偵作家団体の「他殺クラブ」を結成
大藪春彦影響を受け、1959年(昭34)、宝石社、日本テレビ日野自動車主催しテレビ脚本募集した「夜のプリズム賞で、「ゴウイングマイウェイ」が佳作一席入選し、「宝石」に掲載
1963年(昭38)に発表した「青い群」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1964年版」に収録される。
1963年(昭38)、「宝石」に掲載されハードボイルド殺意という名の家畜」が、1964年(昭39)の第17回日本推理作家協会賞受賞
1969年(昭44)に刊行した他人の城」が、第62回直木賞候補となる。
1971年(昭46)に「オール讀物」に発表した殺しに行く」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1972年版」に収録される。
1972年(昭47)に「小説現代」に発表した生きながらブルース葬られ」は日本文藝家協会の「現代小説 1972年前期代表作」に収録される。
1973年(昭48)に「小説サンデー毎日」に発表した少国民邂逅」は日本文藝家協会の「現代小説 1973年前期代表作」に収録される。
1973年(昭48)に刊行したペインティングナイフ群像」が、1974年(昭49)に第71回直木賞候補となる。
1974年(昭49)に「小説新潮」に発表した街角」は日本文藝家協会の「現代小説 1974年後期代表作」に収録される。
1975年(昭50)に刊行した明日こそ羽ばたく」は、1975年(昭50)に第二回角川小説賞受賞。。
1979年(昭54)に「幻影城」に連載したアガサクリスティ殺人事件」は、休刊のため中絶していたが、1983年(昭58)に刊行され、「週刊文春」の83年傑作ミステリーベスト10」の8位に選ばれる



河野典生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/20 00:06 UTC 版)

(こうの てんせい、1935年1月27日 - 2012年1月29日)は、日本の小説家。本名は(のりお)。遠い親戚に安岡章太郎がいる。




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