映画情報 |
山口組三代目
| 原題: | |
| 製作国: | 日本 |
| 製作年: | 1973 |
| 配給: | 東映 |
| スタッフ | |
| 監督: | 山下耕作 ヤマシタコウサク |
| 原作: | 田岡一雄 タオカカズオ |
| 脚本: | 村尾昭 ムラオアキラ |
| 企画: | 田岡満 タオカミツル |
| 日下部五朗 クサカベゴロウ | |
| 武久芳三 タケヒサヨシゾウ | |
| 撮影: | 山岸長樹 |
| 音楽: | 木下忠司 キノシタタダシ |
| 美術: | 井川徳道 イカワノリミチ |
| 編集: | 宮本信太郎 ミヤモトシンタロウ |
| 録音: | 溝口正義 ミゾグチマサヨシ |
| スチール: | 木村武司 キムラタケシ |
| 助監督: | 清水彰(1) シミズアキラ |
| 照明: | 増田悦章 マスダヨシアキ |
| キャスト(役名) |
| 高倉健 タカクラケン (田岡一雄) |
| 松尾嘉代 マツオカヨ (深山ふみ子) |
| 楠本健二 クスモトケンジ (灘波島之肋) |
| 那須伸太朗 ナスシンタロウ (渡辺藤吉) |
| 水島道太郎 ミズシマミチタロウ (古川松太郎) |
| 田島義文 タジマヨシブミ (森川盛之肋) |
| 阿波地大輔 アワジダイスケ (中本虎一) |
| 岩尾正隆 イワオマサタカ (小田久一) |
| 有川正治 アリカワマサハル (隅谷末吉) |
| 白川浩二郎 (坂出敬信) |
| 天津敏 アマツビン (大長一男) |
| 遠藤辰雄 エンドウタツオ (大長政吉) |
| 待田京介 マチダキョウスケ (西田幸一) |
| 笹木俊志 (田尻春吉) |
| 山本麟一 ヤマモトリンイチ (関精義) |
| 野口貴史 ノグチタカシ (森三平) |
| 田中春男 タナカハルオ (河内和四郎) |
| 高森和子 タカモリカズコ (河内サト) |
| 田中邦衛 タナカクニエ (チェーストのトヨ) |
| 汐路章 シオジアキラ (お多福) |
| 桜町弘子 サクラマチヒロコ (はまゆう) |
| 大前均 オオマエヒトシ (壮士風の男) |
| 岡八郎 オカハチロウ (家具屋) |
| 嵐寛寿郎 アラシカンジュウロウ嵐寛壽郎 (いろは幸太郎) |
| 関山耕司 セキヤマコウジ (宝川) |
| 田子の浦 タゴノウラ (玉錦) |
| 北村英三 キタムラエイゾウ (深山喜之助) |
| 内田朝雄 ウチダアサオ (神田義太郎) |
| 原健策 ハラケンサク原健作 (前田) |
| 千原しのぶ チハラシノブ (ナカ) |
| 菅原文太 スガワラブンタ (大長八郎) |
| 丹波哲郎 タンバテツロウ (山口登) |
| 解説 |
| 暗黒街を席捲し、日本ヤクザ史上、最強最大の組織をつくりあげた、山口組三代目・田岡一雄の自伝の映画化。脚本は「昭和残侠伝 破れ傘」の村尾昭、監督は「釜ヶ崎極道」の山下耕作、撮影も同作の山岸長樹がそれぞれ担当。 |
| ストーリー※ストーリーの結末まで記載されていますので、ご注意ください |
| 大正三年、徳島の寒村に生まれた田岡一雄は、幼くして両親と死に別れ、神戸の叔父・河内和四郎にひきとられて育った。高等小学校を卒業した後、川崎造船に勤めたものの、上役と喧嘩して飛び出した。そんなある日、同級生だった山口組二代目山口登の弟秀雄と再会、山口組のゴンゾウとなった。喧嘩の強い一雄は、仲間から“クマ”の異名をとるようになった。そんな無鉄砲な一雄に目をつけた二代目は、一雄の身柄を舎弟頭の古川松太郎に預けた。当時の山口組には、灘波為之助、渡辺藤吉、森川盛之肋、中本虎一、小田久一、大長三兄弟と呼ばれる一男、政吉、八郎等屈強な若衆がいた。古川の家で若衆として修業して二年が経ち、一雄は一人前になった、ということで彼を兄貴と慕う岡精義と共にアパートへ移った。ある日、二代目が後援会長をしている大関玉錦が宝川に喧嘩を売られたが、二代目から喧嘩を禁じられている玉錦は、思いあまって二代目に相談に来た。丁度居合わせた一雄と久一は、玉錦に変って宝川に決着をつけるのだった。昭和八年、海員争議の調停を行っていた二代目が、組合側に負傷させられた。怒った一雄は、組合争議本部に乗り込み、組合会長めざして斬り込んだ。この事件は、裁判では単に個人的な喧嘩ということでけりがつき、一雄は懲役一年の刑を受けた。そして一年後、出所した一雄は正式に山口組の本家の若衆として迎えられ、二代目と親子の盃を交わした。そして、八郎の粋な計いで、かねてから好意を寄せていたふみ子と世帯を持った。やがて、広沢虎造の興行を成功させたことから、一雄は二代目の信用と人望を集めていった。ある日、酒乱でどう猛な八郎の兄、政吉が菊水座の売り上げ金を持ち逃げしたことから、二代目に破門された。一雄は何とか穏便に治めようとしたが、逆に一雄に斬ってかかってきた政吉に心ならずも傷を負わせてしまった。兄思いの八郎は、逆上して本家に乗り込もうとした。一雄と八郎は心の通じ合った仲間、だが、説得を聞こうとしない八郎のドスをさけた一雄は、自らのドスを八郎に。仲間を手にかけた一雄は、自首し懲役八年の刑を受けることになった。昭和十五年の夏、広沢虎造の映画出演問題をめぐって、九州石政組と二代目が対立し、九州へ出向いた二代目が石政組の手にかかって、全身十八ヶ所の傷を負わされた。このことを獄中で知った一雄は、凄じい形相で歯を喰しいばるのだった。 |
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田岡一雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/11/03 15:13 UTC 版)
(山口組三代目 から転送)
田岡 一雄(たおか かずお、1913年(大正2年)3月28日 - 1981年(昭和56年)7月23日)は、日本のヤクザ、実業家、芸能プロモーター。暴力団・三代目山口組組長。甲陽運輸社長、芸能事務所・神戸芸能社社長、日本プロレス協会副会長。田岡満、田岡由伎の父(子は異母兄弟)。
- ^ これに対して、硬派の不良学生は「バラケツ」と呼ばれた。「わたしが若いころバラケツ団に入団していたと書いている本があるが、そういう事実はない。わたしはクスボリであった」と、田岡は『山口組三代目 田岡一雄自伝』p.47(徳間書店、2006年)で書いている。
- ^ デイビッド・E・カプラン、アレック・デュブロ『ヤクザが消滅しない理由。』p.53(不空社、2003年)。後には頭山の名を取って、長男に満と命名するに至る。
- ^ 自警団時代に、菅谷政雄と知り合い、後に親子の杯を交わした。
- ^ 1953年(昭和28年)には、鶴田浩二襲撃事件の主犯として、全国指名手配になったこともあるが、気に入った芸能人は大切にした。
- ^ 『田岡一雄自伝』巻末年表では1951年としている。理由は不明。
- ^ 青田昇『ジャジャ馬一代 遺稿・青田昇自伝」』P316-317
- ^ この関東とのトラブルで、山口組は力で“多摩川を越えない”という約束が、児玉誉士夫の調停により関根賢(松葉会)・阿部重作(住吉一家)・並木量次郎(並木一家)・稲川角二(錦政会)との間で交わされた。
- ^ 現在は指定暴力団として各都道府県の公安委員会が指定出来る。
固有名詞の分類
山口組三代目に関連した本
- 山口組三代目 田岡一雄自伝〈第1部〉電撃篇 (徳間文庫) 田岡 一雄 徳間書店
- 山口組三代目 田岡一雄自伝 田岡 一雄 徳間書店
- 山口組三代目 田岡一雄自伝〈第2部〉迅雷篇 (徳間文庫) 田岡 一雄 徳間書店