霞ヶ浦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/10 06:15 UTC 版)
名称
国土地理院発行の『標準地名集(自然地名)』では「ケ(大文字)」を用いており、地名としては「霞ケ浦」が正式表記である。国が「ヶ(小文字)」を、茨城県が「ケ(大文字)」を用いる傾向にある。「霞ヶ浦・北浦」という表現のように事実上は西浦のみを指して使われる場合も多い。
霞ヶ浦は古代に「流海」(ながれうみ)か「浪逆の海」(なさかのうみ)と呼ばれ、中世に入って「霞の浦」と和歌に詠まれていたが、鹿島灘の「外の海」に対して「内の海」ともいわれた。「霞ヶ浦」と呼ばれるようになったのは江戸時代になってからのことである[4]。
語源
『常陸国風土記』の行方郡の条にある「香澄(かすみ)の里」に由来すると言われる。大足日子(景行天皇)が付き随う臣下に「海には、すなわち青い波が漂っており、陸には、これまた、赤色の霞がたなびいている。国がその中にあると私の目にはみえる。」と言ったことは語源の1つだとされるが[4]、明確にいつ、誰が名付けたかに関しては不明である[5]。
地理
湖面積220.0平方キロメートルは日本第2位[注 1]、茨城県内では最大である。主な水域別の面積は次のとおり。
なお、平野部(関東平野東部)に位置するため流域面積は2156.7平方キロメートルと広く、茨城県の面積の約35%を占める。水際線延長は249.5キロメートルで、これは日本最大面積の湖である琵琶湖(235.0キロメートル)の水際線延長を超える。平均水深は約4メートル[6]、最大水深は約7メートル、年間流下量は約14億立方メートル、貯留量は約8.5億立方メートル。流入河川は56あり[6]、桜川、恋瀬川、巴川、小野川などが有名である。
太平洋岸気候区にあるため、梅雨期と台風による降水が多く、冬は晴天が多く降水量が少ない。特に周辺では冬に「筑波颪(つくばおろし)」と呼ばれる強い北西の季節風が吹く。流域の年間平均降水量は約1,300ミリメートルで全国平均(約1,780ミリメートル)に比べると少なめである。
北には涸沼があり、南には利根川が流れ、北西には八溝山地の南端にあたる筑波山(標高877メートル)を擁している。周辺は、台地と低地が入り組んだ場所が多く、筑波山は周辺の最高点であるため、潮来市など比較的遠く離れた場所でもよく望むことができる。西浦と北浦の間の大部分は海抜30メートル程度の行方台地となっており、広大な農業地帯である。
元々は「浦」という名前が示すように海(太平洋)の入り江に由来し、砂州や河川堆積物によって出口を閉ざされたラグーンである。そのため、時期や場所によって塩分濃度に違いはあるものの、かつての湖水は塩分が混じる汽水であった。特に1950年代から1960年代には、下流の河川改修(浚渫)の影響で海水が遡上し、近年では最も汽水化が進んだ時期だった。当時を知る人々にとって「汽水湖」という印象が強いのはそのためである。
しかし、1963年に治水と塩害防止を目的にして竣工した常陸川水門(逆水門)を利用することで淡水化が進行した(詳しくは「霞ヶ浦の歴史」を参照)。そのため、現在はほぼ淡水湖と変わらない状況にある[注 2]。
西浦
面積約172平方キロメートル、海抜高度0.2メートル、最大水深7メートル。
狭義の霞ヶ浦である。土浦方面に伸びる水域を「土浦入(つちうらいり)」、石岡方面に伸びる水域を「高浜入(たかはまいり)」[注 3]、この両者が交わる出島沖の広い水域を「三叉沖(みつまたおき)」と呼ぶ。他に「江戸崎入(稲波干拓)」、「甘田入」、「大山入(余郷入)」などがあったが、昭和期の干拓事業により消滅した。羽賀沼、野田奈、西の洲、本新、八木などの干拓も行われ、湖水域は減少した。
稲敷市浮島の和田ノ岬、稲敷郡美浦村の稲荷ノ鼻、稲敷市古渡の堂崎ノ鼻は、霞ヶ浦(西浦)に伸びてできた砂嘴である[7]。
北浦
面積約36平方キロメートル、海抜高度0メートル、最大水深7メートル。
潮来市の水原洲吠崎、鹿嶋市の爪木ノ鼻は北浦に伸びて出来た砂嘴である[7]。
外浪逆浦
面積約6平方キロメートル、最大水深9メートル。1893年に浪逆浦を堤防で南北に仕切り、その南が外浪逆浦である。
利用
漁業
現在の霞ヶ浦で主に漁獲されるのはワカサギ、シラウオ、コイ(鯉)、フナ、ウナギ、アユ、ボラ、レンギョ(ハクレンなど)、イサザアミなど。エビ、イサザアミ、ゴロ、コイなどの量が多く、またワカサギやシラウオなどは付加価値が大きいため、重要な魚種となっている。アユは最近になって漁獲されるようになっている。少量ではあるが、タナゴ亜科、クルメサヨリ、ウグイ、ドジョウ、スズキ(セイゴ)、ヒガイ、ソウギョ、ブラックバス、アメリカナマズ(チャネルキャットフィッシュ)、ペヘレイなども漁獲されている。
ただ、特にブラックバスやペヘレイなどの魚種は現在のところほとんど商品価値がなく、あまり利用されていない。また、水揚げされたアメリカナマズ、ブルーギル、ブラックバス、ハクレンなどを用い、管理された原料・環境で魚粉が製造され養鶏飼料から始まり魚類の養殖飼料や有機肥料として利用されて地産地消品として有効利用されている。こうした食用として人気が低い外来魚の肥料・飼料化は茨城県庁も後押ししており、在来種魚介類への食害を減らして、漁業資源と生態系を保全する目的もある[6]。
全般的に漁獲量は1978年の漁獲量(17,487トン)をピークにして減少傾向が続いていて、1998年には2,000トン台に突入。2000年の漁獲量は2,416トンであった。魚種別に見ても減少傾向は変わらず、例えばワカサギは1980年代には1,000超えることもあったが、90年代初頭には400 - 500トン前後となり、2000年の漁獲は51トンでしかない。シラウオも一時300トン前後と回復傾向にあったが1998年頃から100トン前後になり、2000年の漁獲量は95トンだった。また、漁獲量の約半分を占めるエビ・アミ類についても減少傾向にある。
漁業種別漁獲量を見ると、わかさぎ・しらうおひき網(トロール網)が36.6%、いさざ・ごろひき網が32.0%、定置網が16.3%、掛網が13.6%となっている。定置網は張網ともいわれ、湖岸沿いからもかなりな数を見ることができる。
生産額は2000年の総額が8億6,100万円で、その内訳はエビが半分以上の4億6600万円、シラウオが1億600万円、ハゼが5,500万円、コイが5,000万円、ワカサギが4,200万円となっており、シラウオやワカサギが漁獲量に比べ生産額が高い。
農林水産省『漁業センサス』によると、霞ヶ浦一帯の漁業従事者は2018年で326人と、2008年(725人)に比べ半数以下に減った[6]。
養殖漁業においては、特にコイの養殖が有名で、かつては全国一の生産量を誇っており、佐久などの他のコイ産地にも出荷していた。しかし、2003年のコイヘルペスウイルス (KHV) の流行により壊滅的打撃を受け、翌年には全業者が廃業した。2009年4月に養殖自粛要請が解除され養殖が再開されることとなった[8]。養殖鯉は出荷直前の数日間、湖水中の生け簀から、地下水を汲み上げたシメ生簀[9]移して、消化器の内容物や余分な脂肪を落として臭みを抜く[10]。
この他、浮島付近や江戸崎などでは淡水真珠の養殖も行われている。2000年の淡水真珠の浜揚量は135キログラムで、これは全国(181キログラム)の約75%になる。なお、生産額は7億100万円だった。
そして、霞ヶ浦の魚介類は、煮干し、甘露煮、佃煮、焼き物などに加工されている。煮干は古くから保存食として定着していたが、佃煮は明治以降に普及したものである。煮干になる主なものはワカサギ、シラウオ、イサザアミ、エビ。佃煮はワカサギ、ハゼ、イサザアミ、フナ。焼き物はフナ(すずめ焼き)、ワカサギなどである。焼きワカサギなどは独特の風味であるということで霞ヶ浦の特産品として特に珍重された。しかし、近年は漁獲量の減少とともに霞ヶ浦産の原料の確保が難しくなっている。また、行方市商工会は北米原産のチャネルキャットフィッシュ(アメリカンキャットフィッシュ)を使った行方バーガー(なめパックン)というご当地グルメで街おこしをしている。
なお、霞ヶ浦の範囲には独立した「海区」が設定されており[注 4]、漁業法上、内水面ではなく海と同じ扱いを受けるほか、独自の海区漁業調整委員会(茨城県霞ヶ浦北浦海区漁業調整委員会)と漁業調整規則(茨城県霞ヶ浦漁業調整規則)を持っている[11]。近年、常陸川水門を部分的に開門するなどの措置を行うことにより、近隣水域の湖水が汽水と撹拌・浄化され、シジミやスズキなど日本固有種でかつ漁業価値の高い生息魚貝類の豊化の可能性が考えられている。これはすなわち関連漁業資源の回復を意味するものである。状況的には汽水湖である浜名湖(静岡県西部)のように、漁業や遊漁業がかなり活性化される可能性を秘めている。霞ヶ浦も以前は汽水湖だったので原点回帰策とも言える。汽水化されれば先述のブラックバスやアメリカナマズなどの迷惑外来種も住めなくなり、代わってスズキやクロダイ、ウナギなどの付加価値の高い魚種に入れ替わる。
利水
霞ヶ浦は上水道や農業用水、工業用水の水源として使われている。水利権は茨城県(毎秒37.23立方メートル)、千葉県(毎秒4.19立方メートル)、東京都(毎秒1.50立方メートル)におよび、合計で毎秒42.92立方メートルとなっている。しかし、その水質は化学的酸素要求量』(COD)や総窒素・総リンなどの化学的指標によると良好とは言えない状況が続いている。また、湖水は茶色がかり、透明度も著しく低い状態となっており、場所によっては浮遊物(ゴミなど)が打ち上げられている場所も少なくなく、心象は決して清浄とはいえない。1978年に日本中央競馬会(JRA)によって開設された美浦トレーニングセンターでの飲料用にも使用されているが、他の競馬場やトレーニングセンターとの比較で「水が悪い」と言われ、競走馬に水を飲ませるのに苦労するケースがこれまでも多々見られている。
1970年代から夏季を中心にアオコの大発生、水道水の異臭、シジミや養殖ゴイの大量死などが顕著に発生するようになり、1979年にはCOD年間平均が過去最悪の11.3mg/lに至る。これに対し、他の合成洗剤に代えて石鹸を使おうと呼びかける市民運動が行われたり、1981年に富栄養化防止条例が公布されたりたりしたものの、この時期の強烈なイメージから「汚れた湖」「死の湖」というイメージが定着するようになってしまう。1990年代半ば以降、かつてのようなアオコの大発生は観測されていない。しかし、それは水質が改善されてきたというよりも発生する植物プランクトンが変化した結果と考えられている。なお、2000年代には(アオコの)大きな発生はなかったが,2011年に大発生があった[12]。
こうした霞ヶ浦の水質汚濁の特徴としては、流域が平地で面積も広く水深が浅いので、そもそも自然的に富栄養化が進行するうえに流域での生産や生活活動の増大によって人為的な富栄養化が重なっている点、平均水深が4メートルと浅いために底泥が舞い上がりやすい点。夏季の無酸素状態による窒素・リンの底泥からの溶出。流入河川の総窒素・総リンの濃度が高い点、湖岸植生帯や流域の森林・水路の変化などによっていわゆる「自然浄化力」が低下している点などが挙げられている。
汚濁要因をみてみると、外部要因では生活廃水よりも、山林・田畑・道路などからの流出による面源系のものが多い。具体的には流域で約40万頭に及ぶ養豚、沿岸地帯に約1,700ヘクタール広がるレンコン栽培用の蓮田によるものが特徴的とされている。内部の要因としては底泥からの溶出などがあり、CODやリンで全体の負荷の半分近く、窒素で3割を占めるという。
こうした状況の中で、霞ヶ浦では主に霞ヶ浦を管理する国土交通省(旧・建設省)によって水質浄化対策が行われてきた。その筆頭に挙げられるのは底泥の浚渫事業である。これは1975年度より西浦の土浦入と高浜入で行われ、1992年度からはその規模が大きくなって、一年間に50億円以上の予算を使い約50万立方メートルを浚渫しているとされている。この計画の合計浚渫量は800万立方メートルで、これは湖底にある全底泥(約4,000万立方メートル)の1/5ほどに相当し、1975年から2000年度までの間に534万立方メートルが浚渫されている。浚渫は窒素やリンを溶出させる底泥を除去しようというもので、比較的リンなどを多く含む表面から30センチメートルの底泥を対象にしている。国土交通省の説明によると浚渫を行うことによって、溶出の速度が1/4になり負荷を減少させることができるとされている。しかし、浚渫をしても新たな堆積物が積もるため、10年後には再び5 - 7センチメートルの底泥表面が新たに形成されてしまう。そのため、広大な霞ヶ浦では汚濁後の水質浄化処理をしたとしても、汚濁原因も併せて改善させない限りその効果は限定的であるという指摘もある。茨城県では、霞ヶ浦流域の住民を対象にした、下水道に接続する工事や浄化槽を設置する際の工事の助成を行っている。
一方で常陸川水門を部分的に開門し、汽水との撹拌で水質を浄化する試みも模索し始められている。この際、利水に必要な取水口の位置と汽水拡大範囲の関係確認などが必要であるが、現在考えられうる最も現実的な湖水浄化の手段である。
観光
霞ヶ浦は釣りやヨット、水上オートバイなどのレジャーに利用されているほか、湖上には遊覧船・観光帆曳船が運航されている。日本百景に選定されており、高度成長期以前は、独特の水郷景観を特徴とした観光地でもあった。
- 遊覧船
- 観光帆曳船
- 夏 - 秋期の金・土・日・祝日のみ運航。
- 西浦湖畔の観光スポット
- 小美玉市
- おみたま花火大会 … 2023年より、10月第1土曜日に湖畔の大井戸湖岸公園周辺で開催される(予定)の花火大会。打ち上げ数5,000発[13]。
- 行方市
- サンセットフェスタIN天王崎 … 毎年8月に湖畔の天王崎公園で、市内外の団体や個人から寄付を受けて開催されるイベントである。夕方からステージ上でのイベントが開催され、夜には湖上花火大会が開催される。打ち上げ数は毎年約5,000発で、1万人前後が訪れる。
- 霞ヶ浦ふれあいランド
- かすみがうら市
- 観光帆引き船「7月 - 11月までの毎週日曜日」
- 帆引きフェスタ「5月のゴールデンウイーク」
- 歩崎公園…主に霞ヶ浦に棲息している魚を展示しているかすみがうら市水族館がある。
- また、サイクリングで湖畔をぐるりと一周して楽しめる「つくば霞ヶ浦りんりんロード」も整備され、ナショナルサイクルルートにも指定された。土浦駅などで自転車をレンタル出来る。
- 土浦市
- かすみがうらマラソン…4月中旬に霞ヶ浦湖畔で開催されるマラソン大会。ランナー数は2万6千人を超え、東京マラソンに次ぐ日本第2位の規模の市民マラソン大会である。
- 泳げる霞ヶ浦市民フェスティバル…7月の海の日に霞ヶ浦湖畔で開催されるお祭り。
- 観光帆曳船…7月中旬 - 10月中旬の金、土、日、祝日の午後1時から午後2時半頃まで運航。
- 稲敷市
- 和田公園…チューリップの名所である。
- 小美玉市
- 北浦湖畔の主な観光スポット
注釈
- ^ 「日本の湖沼の面積順の一覧」を参照。秋田県にある八郎潟が干拓されて水域の大半が鵜失われ、それまでの第3位から第2位となった。
- ^ 利根川合流点に近い「下流」のほうでは、気象条件や水門・閘門の操作によってまれに海水が遡上することがあり、汽水域を形成するが、一時的、局所的なものに留まる。
- ^ 「入り」という呼称は、入り江・湾状の地形に対して用いられる。ここに挙げたもののほかにも小さな湾に対して「〜入り」という名称がついている。
- ^ 湖沼に独立した「海区」が設定されている例は、霞ヶ浦と琵琶湖のみである。
- ^ かつては鹿島鉄道線が桃浦駅 - 八木蒔駅 - 浜駅間で、西浦では最も湖岸に近い所を走っていた。天気がよければ、車窓から霞ヶ浦と筑波山までを望むこともできていた。しかし、鹿島鉄道線が2007年4月1日に廃線になったため、その場所に行くには、石岡駅からバスを利用することになる。
出典
- ^ a b 水資源機構. “霞ヶ浦(茨城県)”. 2018年4月26日閲覧。
- ^ 外国人にわかりやすい地図表現検討会 (2016年1月6日公表) (PDF). 地名の英語表記及び外国人にわかりやすい地図記号について. 国土地理院. p. 7
- ^ a b c d 霞ヶ浦流域 茨城県庁(2023年5月24日閲覧)
- ^ a b 茨城県. “いばらきの川紹介_川の名前の由来(第3回)”. 茨城県. 2019年9月5日閲覧。
- ^ 茨城県. “はみだし013:霞ヶ浦の湖水に潜む西浦と北浦の別名称。その由来とは?”. 茨城県. 2019年9月5日閲覧。
- ^ a b c d 霞ケ浦 外来魚捕獲しエビなど保護 湖の「厄介者」飼料や肥料に/茨城県事業化へ実証実験『東京新聞』夕刊2023年5月24日(社会面)同日閲覧
- ^ a b 早川唯弘 著、茨城新聞社 編『茨城県大百科事典』茨城新聞社、1981年、459頁。"砂州"。
- ^ 「5年半ぶりコイ養殖再開 霞ヶ浦・北浦」『茨城新聞』2009年4月29日
- ^ “【その1】活けジメ”. ヤマハ発動機株式会社. 2022年8月21日閲覧。
- ^ 【ご当地 食の旅】食用鯉(茨城・霞ケ浦)凍結切り身で万能食材に『日本経済新聞』朝刊2021年8月14日別刷りNIKKEIプラス1(9面)
- ^ “茨城県霞ケ浦北浦海区漁業調整規則”. 茨城県. 2015年5月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月28日閲覧。
- ^ 霞ヶ浦アオコ情報 -茨城県霞ケ浦環境科学センター
- ^ “湖のほとりを紡ぐ花火の話 《見上げてごらん!》13”. NEWSつくば. 2023年5月31日閲覧。
- ^ 『常陸国風土記』の信太郡に「乗浜の里の東に、浮嶋の村あり。四面絶海にして、山と野交錯れり。戸は一十五烟、田は七八町余なり。居める百姓、塩を火きて業と為す。而して九つの社ありて、言と行を謹諱めり。」とある。
- ^ 「北浦も増水」『日本経済新聞』昭和25年8月8日3面
- ^ a b c d e “Bus Stop Ibaraki~いばらき路線バス案内所”. 2019年3月28日閲覧。
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