霞ヶ浦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/10 06:15 UTC 版)
生物相
霞ヶ浦周辺は筑波山隗を除くとほとんどが台地と低地で構成される平地であるため、古くから農耕地などの開発が進み、それによって追いやられてしまったとされる生物も多い。しかし、その反面クヌギやコナラ、アカマツなどを主体とする二次林を中心に農地や小川・湧水・ため池、そして住居など生活空間を含めた里山のような環境で生きる生き物たち(例えばオオタカやフクロウなどの猛禽類を食物連鎖における最高次消費者とし表徴とするようなもの)を豊かにはぐくんできた。また、入り江から汽水湖、そして淡水湖と姿を変えてきた遠浅で広い海跡湖である霞ヶ浦の存在もその周辺に住む生き物を特徴付ける要因となっている。
植物
霞ヶ浦のように勾配が緩やかな浅い水域のある湖では、陸から水面へと向かう「水辺」に環境条件の勾配があり、それに呼応するように抽水(挺水)植物(ヨシやマコモなど)、浮葉植物(ヒシやアサザなど)、沈水植物(クロモなど)などの多様な植生帯が発達していた。こうした水生植物の群落は動物にとっても産卵場所・生息場所となり、霞ヶ浦の周辺を特徴付ける重要な要素となっている。一方、人間もこれらの水生植物を利用してきた。
しかし、富栄養化が進行し透明度が悪くなると沈水植物は光合成が出来なくなり生育できなくなる。また、湖岸をコンクリート護岸にしたことで、物理的に植生帯が失われ、また、時に堤防を越えるような激しい風浪による洗掘と侵食が発生するようになった。この他、水資源開発による水位操作などによって霞ヶ浦の植生帯は大きく失われている(逆に妙岐ノ鼻(浮島湿原)のように一部でもヨシ原が比較的多く残っている場所は鳥類を筆頭に生き物の貴重な住処となっていることで有名であり、こうした植物群落が生き物にとって重要な存在であることがわかる)。
そのほか、植物プランクトンも霞ヶ浦にとって重大な影響を与える。アオコのような植物プランクトンの大発生はその後の遺骸の分解によって湖水の酸欠をもたらし、生物の大量死を招くほか、植物プランクトンの種類や発生状況は動物プランクトンやそれを食べる甲殻類・魚類などの動向をも決定付けている。
鳥類
鳥類を特徴付ける大きな要素として霞ヶ浦自体が長い湖岸延長により多くの「水辺」を提供し、葦原などの湖岸植生帯が発達していることが挙げられる。サギ、ガン、カモ、クイナ、シギ、チドリなどの多くの鳥類がそれぞれ生息したり、渡りの途中に飛来したり、繁殖したりしている。
現在の湖岸では、葦原などがだいぶ失われてしまってはいるが、それでも夏になるとオオヨシキリがさえずり、ツバメなどのねぐら入りが見ることが出来る。そして妙岐ノ鼻のように広い葦原が残っているところではサンカノゴイなどの希少なサギ類やオオセッカなどの他にあまり繁殖地が無い鳥やチュウヒといった猛禽類などの数少ない生息地になっている。また、オオヒシクイの飛来する江戸崎は関東地方に残されたガンの定期飛来地として貴重な存在といえる。
魚類・甲殻類
もともと霞ヶ浦は遠浅でプランクトンが増えやすく、海との交流もあり、生育環境や糧となる湖岸植生帯が発達していたことなどから、生産性が高く魚類や甲殻類の豊富な湖であった。こうした背景から、ワカサギやシラウオ、コイなどの魚が名産品としてもてはやされ、人間の暮らしや文化に深く結びついてきた。
しかし、著しく水質が汚染され、そして近年は外来種が侵入した事により、ワカサギやシラウオ、ハゼ類(ゴロ)やテナガエビなどの漁獲は近年総じて尻すぼみになっている。かつては普通に見られ、食卓も賑わしていたはずのキンブナが姿を消すのではないかと懸念されている。また、スズキやウナギのように海との交流の産物だった魚も往年の面影はなく、現状は決して良好とはいえない。
タナゴ類は、産卵母貝となる二枚貝類の減少などにより、タナゴ、アカヒレタビラ、ヤリタナゴはいずれも減少が著しく、かつて多産したゼニタナゴは、ついに本水系では絶滅したものと考えられている。霞ヶ浦の淡水魚類相の風物詩でもあるタナゴ類は、今や外来種であるタイリクバラタナゴ、オオタナゴに席巻された感が強い。特に2000年頃から姿が目立ち始めたオオタナゴは近年タナゴ類の優占種ともいえる状況にまで異常繁殖し、北浦・西浦の全水域で定着している。琵琶湖からの国内移入種と思われるカネヒラは近年減少傾向である。
昆虫類
霞ヶ浦周辺はため池や水田などの水辺が豊富にあったために、かつては無数のトンボが空を埋め尽くしていたという。このほかにも、周辺の水辺はゲンゴロウやマツモムシといった水棲昆虫が多く生息していたと考えられている。現在では、こうした昆虫類はだいぶ数を減らしているが、小野川周辺のヨシ原や、妙岐ノ鼻、潮来市の水郷トンボ公園などではトンボや小型の水棲昆虫がまだ多く生息している。
貝類
江戸時代の初期頃までは海産の貝類が生息していたといわれる。しかし、その後の淡水化の流れによって貝類も淡水産のものへと移行してきた。1963年の常陸川水門の竣工は淡水化を決定的にしたために汽水産のヤマトシジミは重要な漁獲種でもあったが姿を消している。また周辺の水田にはオオタニシ、ヒメタニシ、マルタニシなどが生息。比較的汚れた水域にはモノアラガイやサカマキガイ、きれいな流入河川にはカワニナなどが生息している。マシジミなどは貴重な自然の恵みとして用水路などでも採取されていた。
現在の霞ヶ浦では、タンカイと呼ばれるカラスガイやイケチョウガイなどの二枚貝類は減少が著しく、諸調査によっても生息が極めて希薄となった地点も多い。イシガイ、マツカサガイなどイシガイ類が辛うじて流入河川や水通しのよい場所を中心に見られる程度である。原因は富栄養化によって生息するプランクトンが変化し、貝類の餌がなくなってしまったことや微生物による大量の有機物の分解によって酸素が消費され、湖底付近が酸欠になったことなどが考えられている。
シジミについては、マシジミに代わり、タイワンシジミとおぼしきもの、中国産のシジミに酷似した淡水シジミなどが増加している(水産会社によって積極的に移入されているという見方がある)。また、一部では通称「ジャンボタニシ」といわれるスクミリンゴガイが発見されている。
注釈
- ^ 「日本の湖沼の面積順の一覧」を参照。秋田県にある八郎潟が干拓されて水域の大半が鵜失われ、それまでの第3位から第2位となった。
- ^ 利根川合流点に近い「下流」のほうでは、気象条件や水門・閘門の操作によってまれに海水が遡上することがあり、汽水域を形成するが、一時的、局所的なものに留まる。
- ^ 「入り」という呼称は、入り江・湾状の地形に対して用いられる。ここに挙げたもののほかにも小さな湾に対して「〜入り」という名称がついている。
- ^ 湖沼に独立した「海区」が設定されている例は、霞ヶ浦と琵琶湖のみである。
- ^ かつては鹿島鉄道線が桃浦駅 - 八木蒔駅 - 浜駅間で、西浦では最も湖岸に近い所を走っていた。天気がよければ、車窓から霞ヶ浦と筑波山までを望むこともできていた。しかし、鹿島鉄道線が2007年4月1日に廃線になったため、その場所に行くには、石岡駅からバスを利用することになる。
出典
- ^ a b 水資源機構. “霞ヶ浦(茨城県)”. 2018年4月26日閲覧。
- ^ 外国人にわかりやすい地図表現検討会 (2016年1月6日公表) (PDF). 地名の英語表記及び外国人にわかりやすい地図記号について. 国土地理院. p. 7
- ^ a b c d 霞ヶ浦流域 茨城県庁(2023年5月24日閲覧)
- ^ a b 茨城県. “いばらきの川紹介_川の名前の由来(第3回)”. 茨城県. 2019年9月5日閲覧。
- ^ 茨城県. “はみだし013:霞ヶ浦の湖水に潜む西浦と北浦の別名称。その由来とは?”. 茨城県. 2019年9月5日閲覧。
- ^ a b c d 霞ケ浦 外来魚捕獲しエビなど保護 湖の「厄介者」飼料や肥料に/茨城県事業化へ実証実験『東京新聞』夕刊2023年5月24日(社会面)同日閲覧
- ^ a b 早川唯弘 著、茨城新聞社 編『茨城県大百科事典』茨城新聞社、1981年、459頁。"砂州"。
- ^ 「5年半ぶりコイ養殖再開 霞ヶ浦・北浦」『茨城新聞』2009年4月29日
- ^ “【その1】活けジメ”. ヤマハ発動機株式会社. 2022年8月21日閲覧。
- ^ 【ご当地 食の旅】食用鯉(茨城・霞ケ浦)凍結切り身で万能食材に『日本経済新聞』朝刊2021年8月14日別刷りNIKKEIプラス1(9面)
- ^ “茨城県霞ケ浦北浦海区漁業調整規則”. 茨城県. 2015年5月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月28日閲覧。
- ^ 霞ヶ浦アオコ情報 -茨城県霞ケ浦環境科学センター
- ^ “湖のほとりを紡ぐ花火の話 《見上げてごらん!》13”. NEWSつくば. 2023年5月31日閲覧。
- ^ 『常陸国風土記』の信太郡に「乗浜の里の東に、浮嶋の村あり。四面絶海にして、山と野交錯れり。戸は一十五烟、田は七八町余なり。居める百姓、塩を火きて業と為す。而して九つの社ありて、言と行を謹諱めり。」とある。
- ^ 「北浦も増水」『日本経済新聞』昭和25年8月8日3面
- ^ a b c d e “Bus Stop Ibaraki~いばらき路線バス案内所”. 2019年3月28日閲覧。
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