生長の家 歴史

生長の家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/02 06:58 UTC 版)

歴史

創始から終戦まで

谷口雅春

創始者(生長の家では開祖や教祖の名称は使われない)の谷口雅春は、紡績会社勤務のときから1918年大正7年)に大本の専従活動家になり、出口王仁三郎の『霊界物語』の口述筆記に携わった他、機関紙の編集主幹などを歴任した。同時期に大本の本部で活動していた江守輝子と出会い、1920年(大正9年)11月22日に結婚。

1922年(大正11年)の第一次大本事件を機に、大本から離脱した浅野和三郎と行動を共にし、翌1923年(大正12年)には浅野が旗揚げした『心霊科学研究会』に加わった。同年関東大震災で被災し、妻・輝子の実家である富山に疎開中の10月10日、長女の恵美子が誕生。

雅春は、外資系石油商ヴァキューム・オイル・カンパニー勤務の傍ら『心霊科学研究会』で宗教・哲学的彷徨を重ね、一燈園西田天香らとも接触した。特に当時流行していたニューソート自己啓発)の強い影響を受け、これに『光明思想』の訳語を宛てて機関紙で紹介した。

1929年昭和4年)12月13日深夜、瞑想中に「今起て!」と神から啓示を受けたことを機に、1930年(昭和5年)3月1日に修身書として雑誌『生長の家』1000部を自費出版した(生長の家ではこの日を以て「立教記念日」としている)。

「人間・神の子」「実相一元・善一元の世界」「万教帰一」のニューソート流主張により、支持者・講読者を拡大。『生長の家』誌で発表した雅春の論文は1932年(昭和7年)に『生命の實相』としてまとめられた。

1936年(昭和11年)1月、購読者を組織して「教化団体生長の家」を創設した。各地に支部を設立し、また学校などでも生長の家の講演会が開かれるなど教勢を拡大した。

戦後の法人化と政治への参加

1954年3月1日に完成した本部会館(東京都渋谷区神宮前1丁目)

戦後は西洋思想家の著作の邦訳も行っていたが、その翻訳作業の助手の募集を見た者の中に、後に雅春の養嗣子となり、第2代総裁となった荒地清超(後の谷口清超)がいた。清超は1946年(昭和21年)に雅春の一人娘の恵美子と結婚する。

1949年(昭和24年)に「生長の家教団」として宗教法人格を得て、組織の再構築を行った。

1952年(昭和27年)、東京都渋谷区原宿(現・神宮前1丁目)にあった学生寮の跡地に隣接する土地を東郷神社から譲り受け、本部会館を建設すること決定。設計は岸田日出刀が行い、1954年(昭和29年)3月1日に完成した[9]

生命尊重の観点から妊娠中絶反対運動などでも積極的に政治活動を行うようになり、伊勢神宮の神器の法的地位の確立(一宗教法人の私物ではなく皇位継承と特別な関係のあるものと主張)や、靖国神社国家護持運動など右派活動を行った[注 2]。さらに、建国記念の日の制定や、元号法制化に教団を挙げて協力した他、「優生保護法廃止(堕胎禁止・反優生学)」「帝国憲法の復原・改正」を掲げて1964年(昭和39年)に生長の家政治連合(生政連)を結成し、玉置和郎村上正邦田中忠雄寺内弘子自由民主党公認候補として参院選に送り込んだ(この付近の経緯は、公明党を生んだ創価学会とよく似ている。公明党の前身は創価学会文化部から出た無所属議員である)。

1978年(昭和53年)の第2回相愛会男子全国大会(日本武道館で開催)の時には、玉置和郎中川一郎黛敏郎また130名程の国会議員が参加し、渡米中だった、時の首相福田赳夫から祝電が届いた。

また、学生運動が再高揚した1969年(昭和44年)には、生長の家学生会全国総連合(生学連)を中心に生長の家青年会生長の家政治連合の後押しを受け、他の保守系諸団体と共に全国学生自治体連絡協議会(以下「全国学協」)を結成し、「学園正常化」と「YP体制打倒」「反近代・文化防衛」を掲げて、全国の大学で全日本学生自治会総連合と激しく衝突した[注 3]

日本青年協議会(以下日青協)は[26]ただし、組織的には生長の家教団とは全く無関係の組織である。また、日青協の学生組織である反憲法学生委員会全国連合(反憲学連)は、全国学協内の路線対立、分裂によって生まれた組織である。1973年(昭和48年)に、全国学協中執を中心とする一派が自立草莽・実存民族派路線、反米帝・民族解放路線[27]を採択したのに対し、もう一派は、反ヤルタポツダム・反憲・民族自立路線の下に新たに反憲学連を結成した。

現在、日青協や、伊藤哲夫の興した「日本政策研究センター」は、「日本を守る国民会議」の後継団体である日本会議の加盟団体として、神社本庁やその傘下の神道政治連盟念法眞教仏所護念会崇教真光キリストの幕屋等、生長の家以外の保守的宗教団体と強い関係を構築している。保守的宗教団体に数えられることもある世界基督教統一神霊協会原理研究会とも、全国学協の草創期に一時部分的に共闘したことがある[注 4]

生長の家は伊勢神宮や靖国神社を皇室に帰属させるべき、といった保守的な主張のみならず堕胎禁止を始めとするプロライフ的な主張を展開した。マザー・テレサの著書を関連会社から出版するなど国際的な宗教右派との連携も展開していた。

こうした生長の家のプロライフ(生命尊重)の主張で特筆すべきは、第一にそれが1959年という他の団体と比べても初期に行われていた[29]こと、第二にそれが胎児の権利のみならず動物の権利にも及ぶ徹底した生命尊重主義であったということである。谷口雅春はつぎのような主張を展開していた。

人間が生物を殺して生きていながら、人類だけが殺し合いの戦争をしないで平和に生活したいと考えるのは、すべての業は循環する、一点一画と雖も、播いた種子は刈りとらなければならないと云う原因結果の法則に矛盾するのである。人類の平和は先ず生物を殺さないことから始まらなければならないのである。 — 限りなく日本を愛す
「世界の平和も、肉食の廃止から」といいたいのでありますが、政府が肉食を奨励して牛肉なども国費を使って大量に輸入しているのだから、我々の思想が政界を浄化しない限りは、国内の闘争も、世界の戦争もなかなかおさまりそうにないのであります。 — 心と食物と人相と

しかし、このような徹底したプロライフの立場が政界に受け入れられることはなかった。

政治活動の撤退と「国際平和信仰運動」の提唱

1978年に雅春は生長の家総本山に移住し政治活動の一線から退いた。生長の家の政治運動には初期から内部での路線対立は存在した[注 5]が、この頃から政治運動に積極的な「飛田給派」と否定的な「教団派」(本部派)の対立が激しくなる。しかし、1982年時点では教団派の理事長が更迭されるなど飛田給派の影響力が強かった[30]。なお、飛田給派と本部派の名称の由来はその拠点となった場所がそれぞれ「生長の家飛田給道場」と「生長の家本部」だったからである。

1983年(昭和58年)、当時の理事長の徳久克己は飛田給道場の創設者ということもあり飛田給派の人間であると見られていた[30]が、優生保護法改正を巡って自由民主党と対立したことを理由に、生長の家政治連合の活動を停止を決断した[31]1985年(昭和60年)6月17日に雅春が死去し、娘婿の清超が第2代の総裁に、妻の恵美子が第2代の白鳩会総裁に就任。同年、日本を守る国民会議から脱退し生長の家は自民党やその支持団体と距離を置くようになった。

1988年(昭和63年)4月26日には雅春の妻で初代白鳩会総裁の輝子が死去。その後1990年平成2年)11月22日には、清超の次男の谷口雅宣[注 6]が副総裁に就任し、清超と共に講習会への講師としての出講を行うようになっていく。1993年、「国際平和信仰運動」を提唱し推進、日本政府による太平洋戦争への反省や戦争責任の追及、人権感覚からの女系女性天皇の推進を表明するなど、これまでの愛国・保守(=右翼)的教義から距離を置くような転換を積極的に進めている。1994年(平成6年)には雅宣の妻・谷口純子が白鳩会副総裁に就任。

近年では、地球環境問題や遺伝子操作・生命倫理問題、エネルギー問題などの現代科学に対し宗教右派[注 7][注 8]の立場からの主張が多く、教団の教義にもその意向が強く現れてきている[33][34][35][36]。一方、雅宣は自身のブログでは民主党への支持を表明するなどしたため、一部の信徒は雅宣を「左翼」と批判し、1998年から旧飛田給派の信徒らを中心に公然と教団に反対する生長の家本流運動の動きが生まれた。だが、実際には雅宣は例えば「非核三原則の堅持」を表明した民主党政権に対して「この問題は日本が単独で決定すべきものではない」「現状の国際関係にあっては、“アメリカの核の傘”がまだ必要だ」と述べるなど親米保守的な発言もしている[37]

また、「国際平和信仰運動」については、「政治力を用いない」ことが明記され[38]ており、現時点で生長の家政治連合の活動再開は、一切考えていない旨を明言した[39]1995年平成7年)には正式に生長の家政治連合の解散が届けられ[40]、過去に生長の家の推薦を受けて当選していた政治家も、KSD事件以来、全員が今では議員を辞めている。

現在

現在の生長の家は緑の保守主義色を全面に出すようになっている。2000年生長の家は環境マネジメントシステム“ISO14001”の導入を運動方針に決定し、「生長の家環境方針」を定めた。環境方針では、

地球環境問題は、その影響が地球規模の広がりを持つとともに、次世代以降にも及ぶ深刻な問題である。今日、吾々人類に必要とされるものは、大自然の恩恵に感謝し、山も川も草も木も鉱物もエネルギーもすべて神の生命(イノチ)、仏の生命(イノチ)の現れであると拝み、それらと共に生かさせて頂くという宗教心である。この宗教心にもとづく生活の実践こそ地球環境問題を解決する鍵であると考える。 生長の家は、昭和5年の立教以来、“天地の万物に感謝せよ”との教えにもとづき、全人類に万物を神の生命(イノチ)、仏の生命(イノチ)と拝む生き方をひろめてきた。 生長の家は、この宗教心を広く伝えると共に、現代的な意味での宗教生活の実践と して環境問題に取り組み、あらゆるメディアと活動を通して地球環境保全に貢献し、未来に“美しい地球”を残さんとするものである。

との「基本認識」を示し環境問題への取り組みが「現代的な意味での宗教生活の実践」であるとの認識を示した[41]

2001年には生長の家国際本部と生長の家総本山がISO14001を取得し、2008年までに国内の生長の家の全ての事業所がISO14001を取得している[42]。海外では、2009年10月に生長の家ブラジル伝道本部が、2010年11月に生長の家アメリカ合衆国伝道本部が、同じくISO14001の認証を取得した。

清超は2005年(平成17年)頃より体調を崩し自宅にて療養・静養中であったが2008年(平成20年)10月28日に死去。それに伴い、2009年(平成21年)3月1日の立教記念日に「生長の家総裁法燈継承祭」が執り行われ、雅宣が第3代総裁、あわせて妻の純子が恵美子より白鳩会総裁職を譲り受け、第3代白鳩会総裁に就任した。

2011年には、教団として脱原発を支持する方針を明確にした。2013年には本部を東京都から山梨県に移動し、「自然とともに伸びる運動」の象徴的な建物として「森の中のオフィス」を建設、国際本部とした。さらに、2015年になると、青年会がこれまでの「青年会宣言」及び「青年会綱領」を規約から削除し、より環境主義的な色彩の強い「生長の家青年会ヴィジョン」を制定した。以降、生長の家は環境重視の路線を強めている。

生長の家から保守的な教義がなくなったわけではない。現在でも、生長の家の講習会その他の行事では、開会の際に国歌斉唱が行われる。また、皇居遥拝や天照大御神への祭祀も行われており、環境重視の路線についても決して「左翼思想に染まっているわけではない」とする証言もある[43]

また、安倍政権成立後は安倍政権や日本会議に否定的な主張も目立つ。2014年、生長の家は安倍政権による安保法制について立憲主義の観点から反対した。

2016年6月9日、生長の家は2016年の参議院選挙において、時の首相・安倍晋三の政治姿勢に反対の意思表明をするために、組織として[注 9]与党及びその候補者を支持しない」ことを決定した[44]。また、元生長の家信者らの関与する政治組織・日本会議が政権運営に強大な影響を及ぼしている可能性があるとして、遺憾の想いと強い危惧を表明した[44]

2017年10月6日、生長の家は第48回衆議院議員総選挙に対する方針を発表し安倍政権が「政治姿勢が改まらないどころか、国民を無視した強引な政権運営を繰り返している」として再び与党への不支持を表明した。その中で生長の家は「環境・資源問題の解決を含めた安全保障の推進」を訴え「現在、地球温暖化の影響で、激しい気候変動が起こり、巨大ハリケーン洪水干ばつの頻発によって飢餓が発生し、難民が大量に流出しています。これらの問題は国家間の紛争の火種になっています。また、石油天然ガスなどの枯渇資源に依存した文明に頼れば、これも資源の争奪による紛争・戦争を引き起こす可能性があります。私たちは、このような環境問題や資源問題を解決することが、世界の平和安定に大きく貢献するものであると確信しています。」[45]と主張した。

2019年には改めて自民党・公明党の不支持を訴えるとともに、スーパーシティ構想への反対を表明した。


注釈

  1. ^ 教団全体の総裁・副総裁とは別に、単独組織として総裁・副総裁職が設けられている。2009年現在、総裁は谷口純子。
  2. ^ 生長の家が目指す政治路線を列挙する[25]
    第一に憲法改正明治憲法復元論である。
    第二に紀元節の復活。
    第三に国旗と国家の復活。
    第四に優生保護法の改正である。
  3. ^ 鈴木邦男高橋史朗伊藤哲夫などの民族派の活動家や文化人、衛藤晟一井脇ノブ子などの政治家は、生学連もしくは全国学協の出身である。保守系シンクタンク日本政策研究センターは、伊藤の主宰する団体である。生学連OBを中心に結成された。
  4. ^ これらの活動に対して浅野健一は、「ネティズン極右的な言論は自然発生的な面もあるが、『生長の家』などのカルト的な宗教団体が反動的な政治家と組んで組織的に展開している。」と主張している[28]
  5. ^ 生長の家学生会全国総連合内部での鈴木邦男安東巌の対立を始めとする路線対立がその代表。また、婦人組織「白鳩会」幹部の平岡初枝は社会大衆党の女性組織「社会大衆婦人同盟」の代表も務めたことがあるなど、全ての信徒が右翼的な政治思想を持っているわけではなかった。
  6. ^ リベラルな主張をする一方で、非核三原則に「現実的でない」と反対するなど、保守的な要素も強く、教団は中華民国を支持するなど、外交面にもそれが表れている。
  7. ^ 生長の家と欧米のキリスト教右派団体の関係については、谷口雅宣監修『歴史から何を学ぶか』生長の家、生長の家『生長の家五十年史』等に掲載[32]
  8. ^ 生長の家は、クリスチャン・サイエンスやユニティ協会系の聖書解釈を行っているほか、堕胎禁止や反優生学を政治活動撤退後も主張するなど、右派色がかつてから強かった。
  9. ^ 生長の家が選挙に対して組織的な関与をするのは、生長の家政治連合活動停止の原因の一つとなった1983年の参議院議員選挙以来、33年ぶりのことである。

出典

  1. ^ a b 生長の家について”. 生長の家. 2023年12月7日閲覧。
  2. ^ 週刊ダイヤモンド、2009/09/12、30ページから、“新宗教”
  3. ^ a b c d e f 『生長の家三拾年史』 1959, pp. 391–409.
  4. ^ 文化庁『宗教年鑑 令和4年版』 P87
  5. ^ 『オールカラーでわかりやすい! 世界の宗教』240頁
  6. ^ 『オールカラーでわかりやすい! 世界の宗教』241頁
  7. ^ 寺田喜朗,「炭素ゼロ運動にみる環境倫理 : 生長の家の環境方針と教団実践(日本宗教の環境倫理と社会活動,パネル,<特集>第七十回学術大会紀要)」『宗教研究』 2012年 85巻 4号 p.983-984, 日本宗教学会, doi:10.20716/rsjars.85.4_983
  8. ^ 島田裕巳いつの間にか日本政治の中枢に浸透した「宗教右派」の源流
  9. ^ a b 『生長の家三拾年史』 1959.
  10. ^ a b 『生長の家五十年史』 1980, p. 774.
  11. ^ 『生長の家五十年史』 1980, p. 776.
  12. ^ 教団全体の副総裁、ならびに白鳩会副総裁は空席となっている。
  13. ^ 2019年 新年の挨拶 - 生長の家総裁 谷口雅宣
  14. ^ 聖州議会「生長の家の日」祝う=立教85年記念式典9日に
  15. ^ a b c d e f g h 『新編 聖光録 生長の家信徒必携』谷口清超監修、生長の家本部編集
  16. ^ a b c d e 誌友バッジ 銀
  17. ^ 村上重良『新宗教』「I 新宗教の成立と展開」「2 近代天皇制社会の新宗教」
  18. ^ 『甘露の法雨』「霊」の項の一節。
  19. ^ a b c d 生長の家の基本的な教え
  20. ^ 「日本の実相顕現の神示」
  21. ^ 正座をして先ず招神歌をよみ瞑目合掌する。
  22. ^ 紙の札に氏名を書きそれで本人を擦り、息を吹きかけ、それを総本山と各教化部で焼納する。
  23. ^ 自分の思っている悪いこと全てを紙に書き出し、それを本山等で清めた炎で焼却する。
  24. ^ 甘露の法雨」を写す。
  25. ^ 堀幸雄 『最新 右翼辞典』 柏書房 2006年11月 P 314-315
  26. ^ もともと全国学協OBによって結成された組織で、草創期の幹部に生長の家出身者が多かった。
  27. ^ 第三世界との連帯と反米路線。パレスチナ解放機構等との共闘を主張
  28. ^ 日本におけるオーマイニュース・モデル成功の条件: 市民参画型ジャーナリズムを創出するために” (2005年2月23日). 2014年7月26日閲覧。[リンク切れ]インターネット・アーカイブよりサルベージ
  29. ^ 日本社会における「胎児をめぐる生命主義」の源流土屋敦
  30. ^ a b 週刊ポスト「巨大教団追及」シリーズ「理事長退任劇で激震!『生長の家内紛は参院選に重大影響を与える』」、1982年9月17日号
  31. ^ 『歴史から何を学ぶか』生長の家。
  32. ^ 『生長の家五十年史』 1980.
  33. ^ 谷口雅宣『神を演じる前に』日本教文社
  34. ^ 谷口雅宣『宗教はなぜ都会を離れるか?』日本教文社
  35. ^ 谷口雅宣『今こそ自然から学ぼう』日本教文社
  36. ^ 권아람「「生長の家」を通してみた日本の右傾化の現況」東亜歴史文化学会
  37. ^ “非核3原則”は守るべきか?
  38. ^ 谷口雅宣『信仰による平和への道』日本教文社
  39. ^ 『平和の先人に学ぶ』生長の家
  40. ^ 生長の家『“新しい文明”を築こう』上巻、36頁
  41. ^ 生長の家環境方針
  42. ^ ISO14001生長の家
  43. ^ 現役信者がすべて明かす 「生長の家」は本当に左傾化したのか?『iRONNA編集部』
  44. ^ a b 今夏の参議院選挙に対する生長の家の方針 生長の家 2016年6月9日
  45. ^ 第48回衆議院選挙に対する生長の家の方針
  46. ^ 谷口雅春『心と食物と人相と』日本教文社
  47. ^ 右傾化路線の淵源に立つ男――シリーズ【草の根保守の蠢動 第27回】
  48. ^ 「安倍政権と共に改憲を目指す日本会議の宗教的背景」菅野完『宗教問題 vol.14』
  49. ^ 「人クローン胚中間とりまとめ」への意見
  50. ^ 『理想世界』昭和51年(1976年)11月号
  51. ^ 代表者のプロフィール(日本政策研究センター)
  52. ^ 「安倍政権を完全支配する『日本会議』の正体」、フライデー、2014年8月22・29日号
  53. ^ [1][リンク切れ]
  54. ^ 蒸し返し裁判 平成26年10月15日 光明思想社
  55. ^ 生長の家社会事業団等との訴訟について 平成28年3月10日 日本教文社
  56. ^ 宗教法人「生長の家」の教団方針に賛意を表します。
  57. ^ 立正佼成会の北朝鮮情勢に対する見解に賛意を表します
  58. ^ 平成27年8月26日 盂蘭盆供養大祭・メガソーラ見学・伊勢神宮参拝
  59. ^ 安倍政権の黒幕と指摘される日本会議と神社本庁、その違い
  60. ^ 神社本庁「生長の家とは従前の関係を維持しています」日本協議会側の「生長の家と神社本庁が対立」情報はフェイクニュース






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