熊谷市
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歴史
古墳時代には中条地区の中条古墳群など、河川の自然堤防上などの微高地を利用して古墳群が形成された。中条古墳群の鹿那祇東古墳(かなぎひがしこふん)は国重要文化財に指定されている埴輪 短甲の武人の出土地として知られている[22]。
古代の武蔵国大里郡郡家郷(「ぐうけごう」、久下・佐谷田付近)、楊井郷(「やぎいごう」、御正・吉岡・大麻生付近)の地である。古代から近世にかけての熊谷市域は上記の大里郡の他、幡羅郡、埼玉郡、男衾郡に及ぶ。深谷市との境目付近では幡羅郡の郡衙(郡役所)跡である西別府遺跡・西別府祭祀遺跡、郡寺とみられる西別府廃寺跡がある(幡羅官衙遺跡群)。
平安時代、親王任国制度により桓武平氏高望王の子である村岡五郎(平良文)がこの地(武蔵国村岡)に下向、地元豪族と通じて土着し坂東平氏に代表される関東の平氏(三浦氏、千葉氏、秩父氏、鎌倉氏、大掾氏、中村氏、梶原氏、長尾氏、眞田氏、土肥氏、土屋氏、梶原氏、長江氏、大庭氏、村岡氏、俣野氏、畠山氏、河越氏、江戸氏、豊島氏、葛西氏、稲毛氏、渋谷氏など)の祖となったという説がある(ただし諸説あり)。
中世には熊谷氏を始め、久下氏や奈良氏など多くの武士団が興った。とくに治承・寿永の乱(源平合戦)時の熊谷直実が有名であり、熊谷氏の名字も地名の熊谷が由来となっている。後に地名の読みは「くまがい」ではなく、「くまがや」と改称した。
江戸時代のこの辺りの地域は忍藩領や幕府領、旗本領が複雑に入り組んでいた。また、中山道の宿場、熊谷宿が置かれた。
明治に入り、廃藩置県が行われる中で入間県と群馬県の合併により成立した熊谷県の県庁所在地となり、地域の中心都市として発展した。明治以降の熊谷周辺の主要地主、指定の任職家は東部(佐谷田、成田)の野原家、馬場家、西部(三尻・籠原)の小林家、津久井家、南部(吉岡)の黒田家、北部(奈良、中条)の石坂家、山下家、現南河原地区の束田家、大幡地区原島の清水家等が挙げられる。以後、これらの名家からは国会議員や市長、地域の要職者、文化人、教育者が輩出されている。例えば石坂養平や黒田海之助も含まれる。
歴史
- 1883年7月28日 - 日本鉄道により、現在の高崎線の一部となる上野駅 - 熊谷駅間が開業し、熊谷駅設置。同線は翌年には高崎まで延伸。
- 1889年4月1日 - 町村制施行により、大里郡熊谷町と石原村が合併し、熊谷町が成立する。
- 1933年4月1日 - 市制施行により熊谷市となる(県内では川越市に次ぐ2番目の市制施行、川口市と同日)。熊谷市紋章が制定された。
- 1945年8月14日深夜-15日未明 - 熊谷空襲。終戦前夜に市内の約3/4を焼失するという大規模な空襲があった。
- 1946年3月28日 - 市内に昭和天皇の戦後巡幸。天皇が熊谷郵便局電話部、熊谷中学校に行幸[23]。
- 1948年 - 第1回熊谷市成人式挙行、「大熊谷復興花火大会」開催。
- 1951年 - 学校給食開始
- 1956年 - 公共下水道事業開始
- 1960年 - 北大通り完成
- 1965年 - 市民ホール(中央公民館)落成
- 1966年 - 学校給食センター操業開始
- 1967年 - 埼玉国体(第22回国体)で一部競技を開催。
- 1969年 - 新荒川大橋開通
- 1971年 - 赤城山の家開設、市民プール開場
- 1973年 - 熊谷市役所新市庁舎完成。市民憲章、市の花・木(当時)制定
- 1979年 - 文化センター落成
- 1982年11月15日 - 上越新幹線熊谷駅開業。
- 1986年 - 中央公園開園
- 1988年 - さいたま博覧会(さいたま博)開催。跡地は熊谷スポーツ文化公園として整備された。
- 1990年 - 熊谷桜堤が「さくら名所100選」に選定される。
- 1991年 - 第1回「熊谷さくらマラソン大会」開催。「ムサシトミヨ」が県の魚に選定される。
- 1993年4月8日 - ニュージーランド・インバーカーギル市と姉妹都市提携。
- 1994年 - 別府沼公園開園、アクアピア落成
- 1998年 - さくらめいと落成
- 1999年 - 市役所通り立体交差開通
- 2000年 - 第一回全国高等学校選抜ラグビーフットボール大会開催
- 2003年6月15日 - 久下橋開通
- 2004年
- 2007年
- 2009年4月1日 - 特例市へ指定。
- 2018年7月23日 - 国内では観測史上最高気温となる41.1℃を記録。
- 2019年 - ラグビーワールドカップ2019日本大会を開催12都市のひとつとして開催[24]。
行政区域の変遷
- 1889年4月1日 - 町村制施行。大里郡熊谷町と石原村が合併し、熊谷町が成立する。
- 1923年10月1日 - 大里郡肥塚村が熊谷町に編入される。
- 1927年4月1日 - 北埼玉郡成田村が熊谷町に編入される。
- 1932年4月1日 - 大里郡大幡村が熊谷町に編入される。
- 1933年4月1日 - 市制施行により(旧)熊谷市となる(県内では川越市に次ぐ2番目の市制施行)。
- 1941年
- 1954年
- 1955年
- 2005年10月1日 - (旧)熊谷市、大里郡妻沼町、大里郡大里町が合併し、新たに熊谷市が設置された(新設合併)。
- 2007年2月13日 - 大里郡江南町が熊谷市に編入される。
熊谷市域にかつて存在した各自治体に関しては、それぞれの項目を参照すること。
旧町名
明治初期における熊谷駅(熊谷宿)の町名。現存のものも含む。
- 本町
- 築波町(現在の筑波)
- 築波町新地
- 仲町
- 鎌倉町
- 桜町
- 竹町(現在の鎌倉町の一部)
- 雁金小路
- 墨江町(現在の星川1丁目)
- 泉町
- 栄町
- 聖天町
他にも通称の町名などがあった。弁天町(現弥生)や文化町、乙女町(ともに現本石)、元町(現在の星川2丁目)など。
注釈
- ^ 2010年9月5日に京都府京田辺市で最高気温39.9°Cを観測したが、観測機器につる草がからまっていたために記録が取り消されている(朝日新聞デジタル)。
- ^ なお、この2018年7月下旬には、この当市の最高気温41.1°Cを筆頭に日本各地で猛暑が続いており、気象庁が同日に緊急記者会見を開き「災害レベル」として熱中症に注意を促す事態になった上、8月に入っても岐阜県下呂市金山・美濃市で最高気温41.0°Cを立て続けに観測した。さらに、日本国外においても最高気温を各地で更新するなど、異常気象の年であった(2018年の猛暑も参照)。
- ^ かつては熊谷市よりも最低気温が高かったが、越谷のアメダスが2009年に移転したことにより、熊谷市よりも最低気温が低く観測されることが多くなった。
- ^ 1985年当時。人口100,000人以上の都市において。
- ^ それまでも対策自体は行っていたが、市民への被害も出たこととメディアでは「町おこし」の観点でしかあついぞ!熊谷を紹介しなかった関係で「市長へのメール」に“不名誉であり、のんきな状況ではない”と批判が寄せられた[1]ため、対策に対して広報を含めて強化することとなった。
- ^ 旧妻沼町時代から行われている市・市教育委員会・日本サッカー協会・県サッカー協会主催で日本全国の優秀な高校女子サッカーのチームを招待して行われる大会。
- ^ なお、日本非核宣言自治体協議会の会員にはなっていない[2]
- ^ 行田市に隣接する旧熊谷市東部地域の旧村(成田村・中条村・太井村)は、行田市の旧村・町の属していた北埼玉郡に属していた関係で、現在でも同地区から行田市方面へ熊谷市街を経由せずとも直結する主要道路が多数ある。行田市(中心部)から東京方面へのアクセス手段の一つに秩父鉄道で熊谷駅に出るルートがあり、行田市南河原地区の一般路線バスは熊谷駅から出ているなど交通上の繋がりもある。行政上の連携も無いわけではなく、衆議院小選挙区では共に埼玉12区(羽生市・加須市と一緒)になっているほか、最近では両市の消防本部内の消防通信指令事務を統合、ソシオ流通センター駅を共同開設などしている。
- ^ 2015年4月実施の第18回統一地方選挙より。以前は北第6区。
- ^ 正式社名は「あなたの幸せが私の幸せ世の為人の為人類幸福繋がり創造即ち我らの使命なり今まさに変革の時ここに熱き魂と愛と情鉄の勇気と利他の精神を持つ者が結集せり日々感謝喜び笑顔繋がりを確かな一歩とし地球の永続を約束する公益の志溢れる我らの足跡に歴史の花が咲くいざゆかん浪漫輝く航海へ」。
- ^ 玉井IC-久保島終点間は連絡道路指定区間外。
出典
- ^ 北部地域振興センター(埼玉県)
- ^ 熊谷市 - 埼玉県
- ^ 37 「熊谷」の発音(イントネーション)について:熊谷市ホームページ(2019年2月28日、2019年3月11日閲覧)
- ^ “腕時計型機器で熱中症予防 猛暑本場の埼玉・熊谷”. 産経ニュース (2022年4月25日). 2022年4月25日閲覧。
- ^ 気象庁歴代全国ランキング(9月の順位)
- ^ 気象庁歴代全国ランキング(6月の順位)
- ^ 気象庁歴代全国ランキング(観測史上の順位)
- ^ 2010年夏 猛暑日、真夏日等の日数のランキング。他に群馬県館林市でも同じ日数の猛暑日を観測した。
- ^ 2012年夏 猛暑日、真夏日等の日数のランキング。他に群馬県館林市、埼玉県鳩山町、兵庫県豊岡市でも同じ日数の猛暑日を観測した。
- ^ 須賀恭平 (2014年8月11日). “猛暑の本場、真夏の熊谷へようこそ 「清涼」夏の首都圏繁盛記”. 日本経済新聞社(NIKKEI STYLE). 2018年7月25日閲覧。
- ^ 熊谷地方気象台『埼玉県の気象百年』196頁ほか
- ^ 気象災害(雷・ひょう) – 熊谷地方気象台 重さ900匁との記述がある。
- ^ 「世界まる見え!テレビ特捜部」2006年1月21日放送
- ^ “平年値ダウンロード”. 気象庁. 2021年6月閲覧。
- ^ “観測史上1〜10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2021年6月閲覧。
- ^ “過去の気象データ”. 気象庁. 2023年1月2日閲覧。
- ^ 小学校社会科副読本「くまがや」4年(熊谷市教育委員会) 43頁
- ^ くまがやの水道-くまがや探検隊「熊谷のおいしい水」
- ^ くまがやの水道
- ^ 小学校社会科副読本「くまがや」3年(熊谷市教育委員会) 113頁
- ^ 博学こだわり倶楽部『埼玉の謎学』河出書房新社、2014年12月1日、204頁。ISBN 978-4-309-49908-6。
- ^ “常設展示室 出土遺物の部屋 短甲武人埴輪”. 熊谷市Web博物館. 2024年1月10日閲覧。
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、91頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ 日本ラグビーフットボール協会 - ニュース ラグビーワールドカップ2019組織委員会 開催都市決定のお知らせ【組織委員会】 (2015年3月2日、同日閲覧)
- ^ [3]
- ^ 東京新聞:「暑い街」熊谷 5回目の日本一 熱中症対策コンテスト・行政部門:埼玉(TOKYO Web)(東京新聞:2017年11月14日、2018年7月19日閲覧)
- ^ 飛べ!グライダー:熊谷市
- ^ 熊谷UD(ユニバーサルデザイン)ブロック:熊谷市
- ^ [4]
- ^ 埼玉初の誕生か!熊谷市役所の本庁舎、埼玉県庁“北部拠点”が合同庁舎になる可能性 両者が検討開始 場所は熊谷「コミュニティひろば」予定 合同庁舎めぐり市と県、それぞれの事情「時間がない」(埼玉新聞) - Yahoo!ニュース
- ^ [5]
- ^ [6]
- ^ 熊谷市ホームページ「妻沼南河原環境浄化センター」2019年1月19日閲覧
- ^ 市報ぎょうだ平成30年2月号18頁「妻沼南河原環境施設組合が解散します」2019年1月19日閲覧
- ^ 熊谷市議会 令和元年 6月定例会(第3回)06月18日-一般質問-04号(議事録127ページ)
- ^ 熊谷市地域公共交通会議 第32回会議資料(2ページ目)
- ^ “市議会議員の議員定数は何人ですか”. 熊谷市. 2019年5月10日閲覧。
- ^ 農林水産省 わがマチ・わがムラ統計 埼玉県熊谷市
- ^ 埼玉県市町村勢概要 平成18年
- ^ 熊谷市へ防犯パトロール車3台寄贈について(ご報告)(株式会社ベルク NEWS RELEASE)
- ^ a b BCリーグ 埼玉、福島2球団の来春新規参入を承認スポーツニッポン2014年6月25日配信
- ^ チーム名変更について (PDF) - 埼玉県民球団(2018年10月1日)
- ^ ラグビー・ワイルドナイツ、「熊谷に本拠地移転」知事に伝達 年度内にも協定締結 - 産経ニュース
- ^ パナソニック ワイルドナイツが熊谷にやってくる!|熊谷へラグビーを見に行こう
- ^ 秩父鉄道観光バスとのアライアンス運行の開始について | ジェイアールバス関東
- ^ アクセス | 熊谷観光局
- ^ 熊谷市「道の駅」基本構想(案):熊谷市ホームページ
- ^ 熊谷市立江南文化財センター. “幡羅官衙遺跡群の部屋”. 熊谷市. 2023年4月21日閲覧。
- ^ 熊谷八坂神社祭礼行事(熊谷うちわ祭)を熊谷市の文化財に指定しました。:熊谷市ホームページ
- ^ “文化財 | 熊谷デジタルミュージアム”. www.kumagaya-bunkazai.jp. 2023年5月13日閲覧。
- ^ a b 全国各地の100年フード
- ^ あついぞ.com - 妻沼の野菜その2「妻沼ねぎ」
- ^ “熊谷市名誉市民”. 熊谷市. 2024年4月1日閲覧。
- ^ “熊谷市親善大使”. 熊谷市. 2024年4月6日閲覧。
- ^ “くまがや応援隊(くまがや応援大使)”. 熊谷市. 2024年4月1日閲覧。
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- ^ 7月18日 「ラガーニャン」お披露目式:熊谷市ホームページ
- ^ スクマムパス発売開始について(国際十王交通)
- ^ “ご当地ガチャで「ラグビーのまち」PR 埼玉・熊谷”. 産経ニュース (2022年1月25日). 2022年1月25日閲覧。
- ^ 市報くまがや 平成28年10月号:熊谷市ホームページ
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