熊谷岱蔵とは? わかりやすく解説

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くまがい‐たいぞう〔‐タイザウ〕【熊谷岱蔵】

読み方:くまがいたいぞう

[1880〜1962医学者長野生まれ東北大学総長日本における結核予防と治療貢献文化勲章受章

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熊谷岱蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/24 17:02 UTC 版)

熊谷岱蔵

熊谷 岱蔵(くまがい たいぞう、1880年明治13年)7月19日 - 1962年昭和37年)2月19日)は、内科学者、医学博士。東北帝国大学医科大学(後の東北大学医学部)教授、東北帝国大学総長。抗酸菌病研究所初代所長。興亜工業大学顧問を兼任した。 

来歴

長野県東筑摩郡洗馬村(現:塩尻市)の代々医家の熊谷家に生まれる。熊谷陸蔵の長男。曾祖父には浅田宗伯に医学の薫陶を施した熊谷珪碩がいる。旧制松本中学時代の同級生には吉江喬松がいた。一高東京帝国大学医学部卒業後、青山胤通内科学教室に入局。

1911年(明治44年)から1913年(大正2年)までドイツベルリン大学ブレスラウ大学に留学し内科学、免疫学、実験治療、医化学等を学ぶ。帰国後は糖尿病インスリンの研究や結核、特にBCG・三者併用化学療法(ストマイ、バス、ヒドラジット)の普及に貢献、特に人工気胸法、大気安静療法、胸郭形成術、肺葉切除術などを研究した。結核の早期診断を主張して集団検診の実施を広め、1939年(昭和14年)から全国青少年に対するツベルクリン反応によるBCG接種を実現させた。

1929年(昭和4年)日本内科学会会頭。1940年(昭和15年)東北帝国大学総長就任。

勲章

親族

脚注

  1. ^ 仙台市名誉市民”. 仙台市. 2022年6月8日閲覧。
  2. ^ 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年、ク41頁。

参考資料

  • 黒川利雄『熊谷岱蔵先生を悼む』科学、岩波書店、1962年5月号
  • 『艮陵同窓会百二十年史』東北大学医学部艮陵同窓会、1998年



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