流浪とは? わかりやすく解説

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る‐ろう〔‐ラウ〕【流浪】

読み方:るろう

[名](スル)住むところを定めずさまよい歩くこと。「—の民」「諸国を—する」


流浪

作者井上光晴

収載図書流浪
出版社福武書店
刊行年月1989.7


放浪

(流浪 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/18 16:50 UTC 版)

放浪(ほうろう)は、定住する場所を持たずに各地をさすらうこと、あてもなくさまよい歩くこと[1][2]さすらい流浪(るろう)、彷徨(ほうこう)とも。


  1. ^ 放浪デジタル大辞泉コトバンク、2012年9月20日閲覧。
  2. ^ 放浪大辞林 第三版、コトバンク、2012年9月20日閲覧。
  3. ^ a b goo辞書「放浪(ほうろう)/流浪(るろう)/漂泊(ひょうはく)/流離(りゅうり) の類語・言い換え」、小学館『類語例解辞典』の解説(使い分けと関連語)より。
  4. ^ 松下博宣「第5講:仏教に埋め込まれたインテリジェンスの連鎖」日経クロステック、2009年5月14日。仏教の開祖である「ゴーダマ・シッダールタは放浪の旅に出て悟りを開き,釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)と呼ばれるようになった」。
  5. ^ 西東社『図解 世界の宗教』、2010年5月10日、180頁。ジャイナ教のなかでも「白衣派の出家者は、一か所に定住せず一生にわたって放浪の生活をおくる」。
  6. ^ アムネスティ日本「先住民族/少数民族 - ロマの人びと」2020年7月20日閲覧。


「放浪」の続きの解説一覧

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 00:02 UTC 版)

日根野盛就」の記事における「流浪」の解説

斎藤氏滅亡後はほぼ常に兄の弘就と行動同じくしており、共に遠江国今川氏真元に仕官し永禄12年1569年1月12日には天王山守って徳川家康戦った同月18日には徳川方金丸山砦強襲し久野宗信小笠原氏興敗走させている。 しかし、今川もまた徳川には敵わず同年中に掛川城降伏落城。再び浪人となった日根野兄弟今度近江国へと向かい今井秀形・島秀安らと款を通じ近江在住していたが、やがて浅井長政仕えた浅井麾下としては元亀3年1572年4月海津対馬守添えられ、伊黒城攻め参加したが、同年冬には浅井家を去る。 その後兄弟揃って長島一向一揆合流したが、天正2年1574年9月一揆壊滅すると、ついに今まで臣従避け続けていた織田家へと仕官した

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 13:46 UTC 版)

劉備」の記事における「流浪」の解説

劉備は兵を1万余り集めたが、劉備多数の兵を集めたことを不快に思った呂布劉備攻め敗走させた。劉備曹操元へ身を寄せた。ここで、曹操劉備器量評価して優遇した。しばらくして曹操上奏し、劉備鎮東将軍とし、宜城亭侯に封じ豫州の牧に任命して劉備援助して再び小沛に入らせた。 建安2年197年)、楊奉韓暹呂布同盟を結び、袁術大い撃破し徐州揚州付近荒らしていたため、劉備楊奉韓暹討ち取る建安3年198年)春、呂布攻めて来たので、劉備曹操援軍要請した曹操夏侯惇派遣したが、呂布部下高順撃破され、張遼高順らは半年以上も包囲続け9月遂に沛城は陥落し劉備逃走した(先主伝注引く『英雄記』)。劉備妻子は再び捕虜となった曹操は自ら出陣し劉備軍合流する共同して呂布攻めて呂布生け捕りにした。曹操呂布将軍として有能なので殺すのを少しためらったが、劉備は「呂布がかつて丁原董卓殺したことをお忘れか」と曹操諌めた。これを聞いた呂布激怒し劉備に対して「奴こそが一番信用ならぬのだぞ!」と罵倒したが、結局呂布絞首刑処された。 劉備曹操に連れられて曹操根拠地献帝のいる許昌入り左将軍任命された。ここでの劉備対す曹操歓待振りは、車を出す時には常に同じ車使い、席に座る時には席を同格にすると言う異例のものであった曹操歓談していた時に曹操から「今、この天下英雄申せる者は、お主とこのわしのみだ。本初ごときでは不足よ」と評されている。 この頃宮中では献帝よりの密詔受けた董承による曹操討伐計画練られており、劉備はその同志引き込まれた。その後討伐計画実行移される前に朱霊路招と共に袁術討伐に赴き、都から徐州逃げ出す名分得たという。袁術袁紹合流しようとしたが、劉備に道をふさがれたので、引き返し、やがて病死した。 袁術死去したので、朱霊らは帰還したが、劉備徐州居残り下邳根拠地とし、徐州刺史車冑殺した下邳守備関羽任せて自らは小沛に移ると、多数の郡県が曹操背いて劉備味方した曹操敵対することになったので孫乾派遣して袁紹同盟し曹操派遣した劉岱王忠の両将を破った劉備劉岱らに向かってお前達100人が来たとしても、私をどうすることもできぬ。曹操殿がご自身来られるなら、どうなるかわからぬがね」と言った。 だが、劉備の裏切りに激怒した曹操自身攻めて来ると敵し得ず袁紹元へ逃げ関羽劉備妻子と共に曹操囚われた。『三国志』蜀書先主伝の注に引く『魏書によれば劉備攻めて来た曹操指揮の旗を見ると、戦わずして逃走したという。袁紹長子袁譚をかつて劉備茂才郷挙里選科目一つ)に推挙していたので、その縁で袁紹元へ身を寄せて大い歓待された。 袁紹が、曹操官渡でにらみ合っている時に汝南で元黄巾軍劉辟曹操に対して反旗を翻したので、劉備袁紹の命を受けこれに合流して、数県を攻め取ると、多くの県が曹操背いて劉備らに味方した。この時に関羽曹操の元を去り劉備ところへ帰ってきた曹操曹仁派遣して劉備撃退したその後劉備袁紹の命を受け、再び汝南侵攻し、賊の龔都らと手を結んだ曹操蔡陽派遣し劉備らを攻撃させたが、蔡陽敗北し討たれた。『三国志』趙儼によれば、このとき袁紹豫州に兵を派遣し豫州の諸郡に味方になるよう誘いをかけると、多くの郡がそれに応じたという。 袁紹敗北したあと、自ら兵を率いて劉備討伐構えをみせてきた曹操に対して衆寡敵せず判断し袁紹の元から離れ荊州劉表元へ身を寄せた

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流浪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 07:26 UTC 版)

先軫」の記事における「流浪」の解説

驪姫の乱収まり夷吾即位する重耳刺客差し向けるようになり、危険を感じた重耳主従斉へ亡命することにした。当時の斉は覇者呼ばれた桓公時代であったからである。亡命する重耳従った者は僅かであったが、先軫はその一行の中で最も若かった重耳流浪の旅結局19年続いたが、先軫重耳帰国するまで従った

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流浪

出典:『Wiktionary』 (2021/08/14 13:45 UTC 版)

名詞

(るろう)

  1. あてもなく彷徨い歩くこと。

発音(?)

る↗ろー

動詞

活用

サ行変格活用
流浪-する

「流浪」の例文・使い方・用例・文例

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