流派解説とは? わかりやすく解説

流派解説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/12 16:15 UTC 版)

土佐派」の記事における「流派解説」の解説

巨勢派巨勢公望の門人春日基光を遠祖とし、数々名手世に送り出した流派。本画派は、純日本的ないわゆる大和絵伝法樹立し14世紀南北朝時代藤原行光を祖とし、室町時代のおよそ200年長きわたって朝廷絵所世襲し、伝統権勢誇った。特に土佐光信時代には、宮廷将軍家密接な関係をもち、最盛期といえる。しかし、室町時代末期光信直系の孫土佐光元但馬攻め戦死したことにより絵所領職を失ってしまう。織豊政権の頃より狩野派躍進を受け土佐派勢い減速し桃山時代門人土佐光吉が堺に拠点移し一時狩野派下請け業者同然にまで衰退するも、江戸時代光吉後継者土佐光則その子土佐光起と共に京都戻り承応3年1654年)光起が絵所領に復帰流派再興され以後幕末までその地位維持したまた、光吉、光則の門人である住吉如慶江戸行き住吉派をたて、子の住吉具慶時に幕府御用絵師となり、土佐派同様に幕末まで続いた。光起は従来土佐派画風加え唐絵狩野派琳派技法取り入れるなど新たな表現手法積極的に用いていた。しかし光起・具慶以後は、新規画題表現取り組むことはあまりなかった。 丁寧で繊細な作風特徴である。土佐派朝廷御用絵師という立場上、浮世絵対し否定的だったが、浮世絵師にとって土佐派が描く日本の伝統的なモチーフは、画題様式基盤であり、浮世絵正統たらしめる大義拠り所であった岩佐又兵衛土佐光信末流記しており、菱川師宣も他の流派ならんで土佐派学んだことに言及している。

※この「流派解説」の解説は、「土佐派」の解説の一部です。
「流派解説」を含む「土佐派」の記事については、「土佐派」の概要を参照ください。

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