流浪と儀式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 15:23 UTC 版)
旅行記者の Sarah Wheeler は著書「An Island Apart」の中で、エヴィア島にいるサラカツァニの末裔を辿っている。末裔はポロス島にもいる。以下、引用。 魅惑的で不思議な起源をもつ、神出鬼没で、超然とした、この移牧民達に私は魅了された。彼らはバルカン山脈中に広がり、その中でも特にギリシャ本土の北部のピンドゥス山脈とロドピ山脈の山々との強く結びついてきた。1950年代には彼らは約8万人いた。一年の半分を牧草地で、残りの半分を平地で過ごしていた。彼らの根無し草のような感覚は、日々の生活の全ての様相においてみられる精巧な儀式によって平衡を保たれていた。エヴィア島とポロス島は、サラカツァニが使用した島である。また、ポロス島は(恐らくアイギナ島と共に)彼らがたどり着いた最南端の地であった。エヴィア島では、今世紀に至るまで、彼らはハルキスとキミを結ぶ線の北側の Ayianna辺りまでの一画でしか出会うことはできなかった。Skiloyanni 辺りの集落には、この島ではサラカツァニが最もぎっしりと集まって住んでいるところである。kandili 山には50のサラカツァニの家族が暮らしており、精緻な衣装を纏って松脂採りの仕事をしていた。ほんの数十年前位にサラカツァニ女性たちを撮った写真では、伝統衣装を身に纏い、ウィグワム型の小屋の外に座って帽子を織る姿があった。彼らの多くは全く「非ギリシャ人」の外見で、美しく、それはあなたが今見ている金髪からもわかるだろう。 サラカツァニは、移住先の先住民族から様々な名前で知られており、通常は、その名前は「どこから来たのか」に基づいていた。そして、エヴィア島では、中央ギリシャを指すルメリアの名に従い、一般に Roumi、Romiまたは Roumeliotes と呼ばれていた。人々はしばしばサラカツァニを誤ってヴラフ人と言った。彼らは現在、主に農民として、彼ら自身の恒久的な牧草地と共に定住しています。彼らの物語は総合的な同化の一つである。
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