TSR退社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 19:00 UTC 版)
「ゲイリー・ガイギャックス」の記事における「TSR退社」の解説
1979年、ミシガン州立大学の生徒がおそらくライブ・アクション版のD&Dを遊んでいるときに、大学の蒸気トンネルの中で行方不明になる事件が起きた。(en:James Dallas Egbert III)これは結果として、メディアの主流が「ダンジョンズ&ドラゴンズ」のネガティブな面に焦点を当てる結果となった。1982年、パトリシア・パリング(en:Patricia Pulling)の息子が自殺した。彼の自殺を「ダンジョンズ&ドラゴンズ」の責任にして、パリングはゲームと、プロデュースした会社を攻撃するために、B.A.D.D. (Bothered About Dungeons & Dragons:D&Dに迷惑をかけられた)という名前の団体を組織した。1985年、ガイギャックスは60 Minutesというドキュメンタリー番組の中でゲームを擁護し、放送された。TSR社のオフィスには殺しの脅迫が届き始めたため、ガイギャックスはボディーガードを雇った。ただし、1982年に、TSR社の1年ごとのD&Dの売り上げは1600万ドルに達し、1983年1月、ニューヨーク・タイムズは、「ダンジョンズ&ドラゴンズ」は、世界大恐慌の象徴だった「モノポリー」と同じ方法で、1980年代の偉大なゲームになるかもしれない、と推測した。 1983年にTSR社が独立した会社に分割されたあと、ガイギャックスはTSR社の取締役会の社長兼会長に就任し、そしてTSR Entertainment社の社長に就任した。TSR Entertainment社(後にDungeons & Dragons Entertainment Corp.となる)の部分として、ガイギャックスはハリウッドに行って、CBS向けにライセンスされたD&DのTVアニメシリーズの副プロデューサーになった。シリーズは2年間続いた。 ガイギャックスは彼の役員であるケヴィンとブライアンのブルーム兄弟に任せ、TSR社の日々の仕事を去った。彼が1984年にウィスコンシンに帰ってきた時、会社は150万ドルの負債を抱えていた。この時点で、彼は経営のためにロレイン・ウィリアムズ(en:Lorraine Williams)を雇い、ブルーム兄弟の株式を購入し、TSR社の過半数支配を得た。ガイギャックスは残りの株式と過去のTSRを売却し、その間に、1985年の「ダンジョンズ&ドラゴンズ」の売り上げは2900万ドルに届いた。1985年10月、TSR社の取締役会はガイギャックスを会社の社長兼会長から外したが、ただし、彼は取締役の地位にとどまり、企業の創造的な努力にもさらなる貢献をした。1986年10月、ガイギャックスはTSR社の全ての役職を辞職し、1986年12月にTSRの彼の論争を解決した。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}私はかなりの間に会社のから離れていた。それはその二人の支配欲が強い男の中の一人が私より会社を上手く運営できると思っていたからだ。私も経営できたから私は子会社をの経営を引き受けることにした。1982年には西海岸で誰もTSR社と取引をせず、しかし"Dungeons and Dragons Entertainment"と呼ばれる私が始めた子会社とは取引した。エンターテインメント界で私達に確実な地位があることを認められるには、かなりの時間と努力が掛かった。しかし、最終的に、私たちはCBSでアニメ番組を始め、私の作品の他のプロジェクトの数だった。 しかしながら、私が会社の運営から離れていた間に、会社は深刻な財政難に落ち、そして私のかつてのパートナーで会社を運営していた一人がニューヨークのザ・ストリートで会社を売りに出していると聞いた。私は帰ってきて、会社の全ての部門で経営ミスを多数発見した。銀行は担保権を行使し、私たちは150万ドルの債務を負っていた。私たちは最終的に、言ってみれば私のパートナーをオフィスから追い出した(ケヴィン・ブルームは1984年にTSR社のCEOを外された)。それから彼はその報復のために、ロレイン・ウィリアムズへ彼の株式を売却した。私は法廷で阻止を試み、私は裁判官に対して苦闘したが、私に不利な判決が下された。私は会社の支配権を失い、それから私が持っていた株を全て売ることを決めた。 TSR社を去る前、ガイギャックスはTSR社のアドヴェンチャーシリーズである「グレイホーク」の「ゴード・ザ・ローグ」(en:Gord the Rogue)をフィーチャーした、(最初のグレイホーク小説である)「サーガ・オブ・オールド・シティ」と「アーティファクト・オブ・イーブル」という2つの小説を書いた。次の「ゴード・ザ・ローグ」アドヴェンチャーはNew Infinities Productions, Inc.社から発売された。(またイタリア語でも出版された)この中には「シーオブ・デス」、「ナイト・アラント」(短い話のコレクション)、「シティ・オブ・ホークス」、「カム・エンドレス・ダークネス」、そして「ダンス・オブ・デーモンズ」が含まれていた。 別にガイギャックスが制作したのは「ドラゴンチェス」 (en:Dragonchess)があり、これは3次元のチェスの変形(en:chess variant)であり、1985年8月の「ドラゴン」誌の100号で出版された。これは3枚の8マスx12マスの積み重ねたボードを互いに置き、上段は空中、中段は地上、そして下段は地下(en:underworld)を表す。駒は「ダンジョンズ&ドラゴンズ」にインスパイアされたキャラクターとモンスターで、王、魔術師、聖騎士、聖職者、ドラゴン、グリフォン、オイルファント、英雄、盗賊、精霊、バジリスク、ユニコーン、ドワーフ、シルフそして戦士を使う。
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