TSRの創設
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1972年の秋、ミネアポリス・セントポール都市圏近郊に住むウォーゲーム愛好家であるデイヴ・アーンソンは、LGTSAの会合において新しい種類のゲームであるロールプレイングゲームを実演した。ガイギャックスはそれに触発され、想像上の「グレイホーク城」を舞台とした類似のゲームを作り出し、自分の子供達であるアーニーとエリスに「キャラクターを作って冒険しよう」と呼びかけた。翌晩、ケイは同じくガイギャックスの友人であるロブ・クンツとテリー・クンツと共にゲームに加わった。ケイはキャラクターとして「マーリンド」、ロブ・クンツは「ロビラー」、テリー・クンツは「テリック」をそれぞれ作成した。ケイはGen ConVI(1973年)において、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の試作品が非常に熱狂的にプレイされているのを目の当たりにし、ガイギャックスにこのゲームを自分達自身で販売するために会社を創立しようと提案した。このゲームの潜在的な需要に気付き、ケイとガイギャックスは出版社タクティカル・スタディーズ・ルールズを創立するために各々1,000ドルずつを投資した 。ケイは自分の持ち分を自身の生命保険から借用した。TSRは最初、ケイの自宅の食堂で運営されていた。彼らはすぐにイングランド内戦を扱ったミニチュアゲームである『キャバリアズ・アンド・ラウンドヘッズ』を出版し、その収益で『D&D』を印刷、出版することを計画した。しかしながら1974年、他の企業によって類似の製品が展開されるおそれがあったため、彼らはそれ以上待たないことに決め、ゲーム仲間であったブライアン・ブルームが1/3の対等な共同経営者としてTSRに出資するよう説得した。1974年1月、彼らは『D&D』を1,000部印刷し、ガイギャックス家の地下室において手作業でセット組を行った。製品の保管と出荷はケイの自宅で行われた。初版は1974年中に売り切れ、第2刷の売上げは急激に増加し始めた。1974年末、ケイは『ブーツヒル』と呼ばれる新たな西部劇ジャンルのゲームのルール開発を手伝った。
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