宮城県沖地震 (1978年)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 宮城県沖地震 (1978年)の意味・解説 

宮城県沖地震 (1978年)

(1978年宮城県沖地震 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/05 05:13 UTC 版)

宮城県沖地震(1978年)
地震の震央の位置を示した地図
本震
発生日 1978年昭和53年)6月12日
発生時刻 17:14:25.4 (JST)
震央 北緯38度09.0分 東経142度10.0分 / 北緯38.1500度 東経142.1667度 / 38.1500; 142.1667座標: 北緯38度09.0分 東経142度10.0分 / 北緯38.1500度 東経142.1667度 / 38.1500; 142.1667[1]
震源の深さ 40 km
規模    マグニチュード(M)7.4
最大震度    震度5:宮城県仙台市など
津波 岩手県大船渡市で最大37cm
地震の種類 海溝型地震衝上断層
余震
最大余震 同年6月14日 20時34分
M6.3 最大震度4
被害
死傷者数 死者28名
負傷者1325人
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
テンプレートを表示
各地域における震度を示した分布図

宮城県沖地震(みやぎけんおきじしん)は、1978年昭和53年)6月12日月曜日)の17時14分25秒(JST)に宮城県沖で発生したマグニチュード7.4(Mw7.5[2])の地震。最大震度仙台市などで観測した震度5(強震)であり、東京でも震度4(中震)を記録した。平均37.1年の間隔で[3]繰り返し発生していると考えられている宮城県沖地震の一つである。

各地の震度

震度4以上の揺れを観測した地点は以下の通り。

震度 都道府県 観測所
5
岩手県 大船渡
宮城県 仙台石巻
山形県 新庄
福島県 福島
4 北海道 帯広
青森県 八戸
岩手県 盛岡宮古一関
秋田県 秋田鷹巣
山形県 酒田山形
福島県 白河小名浜若松
茨城県 水戸八郷
栃木県 日光宇都宮
群馬県 前橋
埼玉県 熊谷
千葉県 千葉銚子館山
東京都 東京大島
神奈川県 横浜

加速度

地震の際に、東北大学工学部建設系研究棟の1階並びに9階に併設されたSMAC強震計により、地盤と建物の揺れが計測されている。9階南北成分の最大加速度は1040ガルを記録し、建物上の観測としては当時の世界最大であった。東北大学工学部の研究グループはこの計測値を元に建物の応答や損傷に対する解析を行った[4]

被害

画像外部リンク
宮城県沖地震(1978年)アマナ
河北新報紙面で振り返る大災害河北新報社
  • 死者28名
  • 負傷者1325人
  • 建物の全半壊7400戸
  • 停電70万戸
  • 断水7000戸

都市ガス仙台市ガス局・塩釜ガス・石巻ガス・古川ガス)が13万戸で供給停止となった。仙台市ガス局のガスホルダーが地震で崩壊炎上したためガス供給に支障をきたした、老朽化または手抜き工事だったブロック塀の倒壊、1960年代に造成された新興住宅街(緑ケ丘 (仙台市)など)の地盤崩壊、水田地帯を開発した卸町地区では液状化現象が発生しビルの倒壊や傾斜が見られるなど、宮城県内(特に仙台市)を中心に大きな被害が生じた。仙台市内(旧宮城町泉市秋保町(現在の青葉区泉区太白区)の区域を含む)の住家の被害は全半壊が4385戸、部分壊が8万6010戸に上る。こと住宅地に於けるブロック塀の倒壊が目立ち、震災での犠牲者のうち18名が倒壊した塀の下敷きに因るものだった。

交通では、国鉄が全面運休となり運行再開に1週間程度かかっている。仙台市営バス宮城交通バスは地震発生直後に運行を再開していたが、停電により交通信号が機能しなくなったため、警察官による手信号が行われていたが、夕方の帰宅ラッシュとも重なり交通渋滞が激しくなり、道路交通は深夜まで麻痺状態だった。更に登米郡(現登米市)では北上川に架かっている国道346号・錦櫻橋が一部落橋し不通になっている。

この地震では、ライフライン等が停止し都市生活が麻痺した。これは、50万人以上の大都市(当時旧仙台市は人口およそ65万人)が経験した初めての都市型地震災害であるとも言われている。

仙台市では電気・水道・固定電話は8日目までにほぼ復旧を見たもののガスの復旧率が99%を超えたのは地震発生後27日目であった。

6月12日は宮城県では「県民防災の日」とされ、地震に備えた防災訓練がなされる。また、東北放送ラジオでは、毎日夕方17時14分になると「1978年6月12日、宮城県沖地震が発生した時間」であることが冒頭でアナウンスされる地震防災番組が放送されている。

法制度への影響

家屋倒壊被害が甚大であったことから、本地震から3年後の1981年に建築基準法の改正及びその施行が行われることともなった。この時の建築基準法改正の要旨は、建築物の耐震基準の強化で「震度5強程度の中規模地震では軽微な損傷、震度6強から7程度の大規模地震でも倒壊は免れる」強さとすることを義務づけたものであった。

ところが、1995年に発生した阪神・淡路大震災で甚大な家屋倒壊被害が発生、2000年に建築基準法のさらなる見直しが行われることとなった。

マスコミ等の反応

  • 東北放送NHK仙台放送局はラジオで特別番組を編成し、安否情報を放送した。しかしテレビでは大半の番組がほぼ通常通りに放送された。
  • NHKでは、17時26分に五波全中で津波警報を実施した[5]
  • その当時在仙の各テレビ局は、カメラ取材を主にフィルム撮影で行っていた。地震の影響で局内にあったフィルム現像機に被害があり、現像が不可能になった経緯からENG (放送)に移行するきっかけになった。

脚注

  1. ^ 宮城県沖地震と直轄行動の管理、1978宮城県沖地震」(PDF)『道路』第451号、日本道路協会、1978年9月、36-39頁、ISSN 00125571 
  2. ^ 山中佳子、菊池正幸(2005)
  3. ^ 想定される宮城県沖地震の資料 仙台管区気象台
  4. ^ 柴田明徳「振動解析と構造設計」『コンクリート工学』第19巻第7号、日本コンクリート工学会、1981年7月、55-59頁、ISSN 038710612014年5月15日閲覧 
  5. ^ 津波警報(5波一斉) - NHKクロニクル

関連項目

  • 三陸南地震(2003年5月に宮城県沖で発生した地震)
  • 宮城県北部地震(2003年7月に宮城県北部で発生した連続地震)
  • 岩手・宮城内陸地震(2008年6月に岩手県内陸南部で発生した地震)
  • 東北地方太平洋沖地震(2011年3月に三陸沖を中心に岩手県沖から茨城県沖で発生した地震。宮城県沖地震が他の震源域と連動して再来した形となる。地震の被害は東日本大震災という。)
  • 石巻ハリストス正教会 - 旧会堂がこの地震によって被災したが、修理・移築された後、石巻市の文化財として保護されている。現存する日本最古の木造教会建築。
  • 青葉城恋唄 - 地震直前にリリースされ、復興応援ソングとしての追い風も受け大ヒットし、仙台を象徴するご当地ソングとなった。
  • 大阪府北部地震(2018年6月に大阪府北部で発生した、大都市直撃でブロック塀倒壊による死者が発生した地震。宮城県沖地震の教訓が生かされなかった事例)

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「宮城県沖地震 (1978年)」の関連用語

宮城県沖地震 (1978年)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



宮城県沖地震 (1978年)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの宮城県沖地震 (1978年) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS