韓国の民族主義に対する批判とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 韓国の民族主義に対する批判の意味・解説 

韓国の民族主義に対する批判

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 06:00 UTC 版)

韓国の民族主義」の記事における「韓国の民族主義に対する批判」の解説

李栄薫は、韓国の民族主義を以下のように批判している。 ある人は白頭山天下一名声高い中国崑崙山の脈を正統受け継ぐ山であると言いました。また別の人は白頭山の上から朝鮮領を見下ろし箕子の国がささやか広がっていると詠いましたこのように李朝時代白頭山は、性理学自然観歴史観とを象徴する山でした。李朝性理学者たちは、朝鮮文明古代中国聖人である箕子東遷建てた箕子朝鮮から始まった信じていました箕子朝鮮最後の王である準王南下し馬韓吸収され、その馬韓新羅吸収されたのですから、朝鮮の歴史伝統が、箕子朝鮮から馬韓へ、新羅へ、高麗へ、そして李氏朝鮮受け継がれたというのです。李朝歴史学このような箕子正統説を信奉しました。李朝時代人々檀君知らなかったわけではありませんが、ぞんざいに扱い、また脇に放っておいたのです。十八世紀になると若干変化生じて檀君古朝鮮朝鮮史先頭を飾るようになりますが、それでも文明正統箕子朝鮮から出発したという既存歴史観には変わりがありませんでした先に見たように、白頭山をめぐり、これを崑崙山嫡子であるとしたり、李朝を「箕子の国」であると言ったのも、すべてはそのような歴史観よるものです。そのように李朝時代歴史観中国中心とするものだったとすればその時代に今日同様な民族意識存在していたと考えるのは難しでしょう。これに関連しては、もう一つ例をあげましょう十五世紀初め世宗年間のことです。「箕子正統説」がちょう成立した時期にあたります。当時両班学者たちがなぜ箕子正統説を導入したのか、その理由考えると以下のとおりです。当時人口の三〜四割が奴婢という賤しい身分ありました両班たちは自分たちが奴婢思うまま支配してもよい根拠がどこにあるのかという問いぶつかります。そこで、聖人である箕子真っ暗な東の蛮地来て八条からなる禁則下したが、その中に盗み犯した人間奴婢とする法があるじゃないか。だから奴婢というのはもともと聖人教え従わない野蛮人であり、我ら両班聖人教え悟った文明人である。だから、両班奴婢支配するのは世の中風俗正そうとした聖人思し召しである。このような論理生み出されたのです。箕子正統説が出現する現実的な理由とはそういうものでした。そのような社会互いに異な身分人間たちが、自分たちは一つ血筋つながった運命共同体であるという意識分かち合えのでしょうか。私はおよそありえない話であると思ってます。 — 李栄薫 鮮馥(朝鮮語: 이선복、英語: Yi Seon-bok、ソウル大学)は、民族史観を以下のように批判している。 「5000年単一民族」が科学的歴史的な事実ではないと言うと激昂する人々周囲には多い。しかし各種資料明示するように、われわれの姓氏中には歴史時代通して中国日本ベトナムをはじめ遠近各国から帰化した人々祖先とする事例ひとつやふたつではない。もしわれわれが「5000年単一民族」を額面どおり信じるのならば、姓氏祖先がもともと韓半島にいなかったことが明らかな数多く現代韓国人たちを、今後韓国人みなしてならないだろう。(中略)われわれはよく、われわれ自身檀君の子孫と称し5000年悠久歴史をもつ単一民族であると称している。この言葉額面どおり受け入れれば韓民族5000年前にひとつの民族集団としてその実体が完成されそのとき完成され実体変化することなくそのまま現在まで続いたという意味になろう。しかしこの言葉は、われわれの歴史意識民族意識鼓吹必要な教育的手段にはなるであろうが、客観的証拠立脚した科学的歴史的な事実にはなりえない。 — 鮮馥 韓洪九は、韓国の民族主義を以下のように批判している。 韓国では、単一民族という神話広く信じられてきた。1960年代70年代比べいくぶん減ってはきたものの、社会成員の皆が檀君祖父の子孫だというのは、いまでもよく耳にする話である。われわれは本当に檀君祖父様という一人人物の子孫として血縁的につながった単一民族なのだろうか答えは「いいえ」です。檀君の父桓雄とともに朝鮮半島にやって来た3000人の集団や、加えて檀君治めていた民人たちの皆が皆、子をなさなかったわけはないのですから。彼らの子孫はどこに行ってしまったのでしょうか。箕子の子孫を名乗る人々渡来から、高麗初期渤海遺民集団移住にいたるまで、我が国歴史において大量に人々流入した事例数多く見られます。一方契丹モンゴル日本満州からの大規模な侵入朝鮮戦争残した傷跡もまた無視することはできません。こうしたことを考えれば檀君祖父様という一人人物の先祖から始まったのだとする単一民族意識は、一つ神話に過ぎないのです。(中略いろいろな姓氏族譜見ても、祖先中国から渡来した主張する帰化姓氏少なくありません。また韓国代表的な土着の姓氏であるである金氏氏を見ても、その始祖は卵から生まれたとされ、檀君の子孫を名乗ってはいません。これは、大部分族譜初め編纂された朝鮮時代中期後期までは、少なくとも檀君祖父様という共通の祖先をいただく単一民族であるという意識別段なかったという証拠です。また、厳格な身分制維持されていた伝統社会では、奴婢賤民支配層がともに同じ祖先の子孫だという意識存在する余地はないのです。共通の祖先から枝分かれした単一民族という意思初め登場したのは、わが国歴史においていくらひいき目見て大韓帝国時代よりさかのぼることはあり得ません。(中略)国が危機直面したとき、檀君掲げて民族求心点としたのは、大韓帝国時代から日帝時代初期にかけての進歩的民族主義者知恵でした。 — 韓洪九

※この「韓国の民族主義に対する批判」の解説は、「韓国の民族主義」の解説の一部です。
「韓国の民族主義に対する批判」を含む「韓国の民族主義」の記事については、「韓国の民族主義」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「韓国の民族主義に対する批判」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

韓国の民族主義に対する批判のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



韓国の民族主義に対する批判のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの韓国の民族主義 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS