録音史とは? わかりやすく解説

録音史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 15:52 UTC 版)

レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ」の記事における「録音史」の解説

ヴォーン・ウィリアムズ楽曲膨大な録音遺産恵まれている。初期には各交響曲ヘンリー・ウッドロンドン交響曲)、ジョン・バルビローリ第5番)、エイドリアン・ボールトレオポルド・ストコフスキー(共に第6番)によって録音され作曲者自身による第4番録音行われたこの後、数種類交響曲全集生まれることになる。ストコフスキー1943年NBC交響楽団行った第4番放送演奏や、1964年BBCプロムスにおけるBBC交響楽団との第8番公演CD発売されている。ユージン・グーセンス1941年に、シンシナティ交響楽団と「ロンドン交響曲」の1920年版RCAビクター録音したが、これはこの版による唯一の音源となっている。ボールトは初となる交響曲全集取り組み1950年代初頭デッカへの第1番から第8番までと、1958年のエヴェレスト・レコードへの第9番によってこれを完成させた。彼は1967年から1972年にかけて、EMI2度目となる交響曲全集録音している。他にも交響曲全集録音ではアンドレ・プレヴィンベルナルト・ハイティンクブライデン・トムソンヴァーノン・ハンドリーレナード・スラトキンリチャード・ヒコックス急逝により南極交響曲第9番未完)らが続いている。 他にも、他国指揮者らもヴォーン・ウィリアムズ交響曲録音取り組んでいる。ディミトリ・ミトロプーロスレナード・バーンスタインは、ともに第4交響曲ニューヨーク・フィルハーモニック管弦楽団録音しており、同楽団とはレオポルト・ストコフスキ1949年第6番初録音行っている。第6番は、1966年モーリス・アブラヴァネルユタ交響楽団録音を遺している。パーヴォ・ベルグルンド第4番第6番録音した。他にもCD音源存在し第9番ポルトガル初演となったペドロ・デ・フレイタス・ブランコポルトガル国立管弦楽団演奏発売されている。同様に第9番アメリカ初演となった1958年カーネギー・ホールにおけるストコフスキの「ヴォーン・ウィリアムズ追悼演奏会」の様子も、カラ・レコード(Cala Records)より発売されている。 ヴォーン・ウィリアムズ自身による1952年交響曲第5番録音が、イギリス近年になって初めて公式にサム・レコーディングズ(Somm Recordings)よりリリースされた。 デイヴィッド・ウィルコックス(英語版)は1960年代から1970年代にかけてEMI多く合唱作品録音した弦楽四重奏曲ではナクソス録音が賞を獲得しハイペリオン・レコードシャンドスとともにこれまで顧みられなかった楽曲光を当てている。そうした楽曲中にはブラスバンドのための作品ほとんど上演されないオペラなどがある。 EMIからは、ヴォーン・ウィリアムズ全作品をほぼ網羅し、同曲異演も含むCD30組(34時間以上)の廉価セット発売されている。

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録音史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 23:50 UTC 版)

フレデリック・ディーリアス」の記事における「録音史」の解説

ディーリアス作品最初の録音は、1927年ビーチャム指揮をしてコロムビア・レコード行ったのである曲目は「村のロメオとジュリエット」の間奏曲である「楽園への道」、「春初めてのカッコウを聴いて」で、演奏ロイヤル・フィルハーモニック協会管弦楽団であった。これがその後ビーチャム生涯にわたって続く、彼の一連のディーリアス録音始まりとなる。しかし、彼だけが録音行っていたのではない。1929年から1930年にかけては、ジェフリー・トイが「ブリッグの定期市」、「夏の庭で」、「川面の夏の夜」そして「楽園への道」を録音している。フェンビーは、彼が初めグレの家を訪れた際、イェルカビーチャム指揮の「春初めてのカッコウを聴いて」の録音をかけていたと述懐している。1934年死期が迫るディーリアスフェンビートイ指揮する夏の庭で」の録音をかけて聴かせた。これがディーリアスが耳にした最後音楽だったと、フェンビー述べている。1930年代終わりまでに、ビーチャム大半主要な管弦楽曲合唱曲の、コロムビアへの録音出していた。ソプラノのドーラ・ラベット(英語版)によるいくつかの歌曲録音では、彼はピアノ伴奏受け持った1936年までには、コロムビアHMVが「ヴァイオリンソナタ第1番」、「同第2番」、「エレジーカプリース」とより規模小さ小品一部発売したオペラ全曲録音は、第二次世界大戦後まで手に入らなかった。ここでもビーチャムが、今度HMV組み先陣切って1948年ロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団合唱団と「村のロメオとジュリエット」の録音行った。この曲はその後1971年メレディス・デイヴィスEMIへ、1989年チャールズ・マッケラスArgo録音しており、1995年にはクラウスペーター・ザイベルドイツ語版録音行った。かつてビーチャム弟子であったノーマン・デル・マーは、1985年BBCデジタルへ「イルメリン」の全曲録音行っている。「フェニモアゲルダに関して1997年EMIメレディス・デイヴィス録音再発売しており、同年にはリチャード・ヒコックスシャンドスドイツ語版を録った。全主要作品多く歌曲録音は、第二次世界大戦以降一定間隔をあけて再版重ねている。これらの録音再発売多くは、ディーリアス協会との連携によって行われているものである協会ディーリアス作品録音に関して様々なディスコグラフィー作成している。

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録音史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 16:26 UTC 版)

音楽へのセレナード」の記事における「録音史」の解説

ヴォーン・ウィリアムズは、この曲の原典版ロイヤル・フェスティバル・ホールこけら落とし公演の際に自ら指揮している。管弦楽ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団で、独唱者は初演16人のうち11人が集まった。この演奏録音されており、CD発売されている。16人の歌手管弦楽による原典版録音は、ヘンリー・ウッド1938年)、作曲者1951年)、エイドリアン・ボールト1969年)、マシュー・ベスト(Metthew Best1990年)、ロジャー・ノリントン1997年が行っている。管弦楽版は、ヴァーノン・ハンドリーロンドン・フィルハーモニー管弦楽団リチャード・ヒコックスとノーザン・シンフォニア・オブ・イングランドによる録音存在する

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