録音史
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「レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ」の記事における「録音史」の解説
ヴォーン・ウィリアムズの楽曲は膨大な録音遺産に恵まれている。初期には各交響曲がヘンリー・ウッド(ロンドン交響曲)、ジョン・バルビローリ(第5番)、エイドリアン・ボールトとレオポルド・ストコフスキー(共に第6番)によって録音され、作曲者自身による第4番の録音も行われた。この後、数種類の交響曲全集が生まれることになる。ストコフスキーが1943年にNBC交響楽団と行った第4番の放送演奏や、1964年のBBCプロムスにおけるBBC交響楽団との第8番の公演もCDで発売されている。ユージン・グーセンスは1941年に、シンシナティ交響楽団と「ロンドン交響曲」の1920年版をRCAビクターへ録音したが、これはこの版による唯一の音源となっている。ボールトは初となる交響曲全集に取り組み、1950年代初頭のデッカへの第1番から第8番までと、1958年のエヴェレスト・レコードへの第9番によってこれを完成させた。彼は1967年から1972年にかけて、EMIへ2度目となる交響曲全集を録音している。他にも交響曲全集の録音ではアンドレ・プレヴィン、ベルナルト・ハイティンク、ブライデン・トムソン、ヴァーノン・ハンドリー、レナード・スラトキン、リチャード・ヒコックス(急逝により南極交響曲、第9番が未完)らが続いている。 他にも、他国の指揮者らもヴォーン・ウィリアムズの交響曲録音に取り組んでいる。ディミトリ・ミトロプーロスとレナード・バーンスタインは、ともに第4交響曲をニューヨーク・フィルハーモニック管弦楽団と録音しており、同楽団とはレオポルト・ストコフスキが1949年に第6番の初録音を行っている。第6番は、1966年にモーリス・アブラヴァネルとユタ交響楽団も録音を遺している。パーヴォ・ベルグルンドも第4番、第6番を録音した。他にもCD音源は存在し、第9番のポルトガル初演となったペドロ・デ・フレイタス・ブランコとポルトガル国立管弦楽団の演奏も発売されている。同様に、第9番のアメリカ初演となった1958年、カーネギー・ホールにおけるストコフスキの「ヴォーン・ウィリアムズ追悼演奏会」の様子も、カラ・レコード(Cala Records)より発売されている。 ヴォーン・ウィリアムズ自身による1952年の交響曲第5番の録音が、イギリスで近年になって初めて公式にサム・レコーディングズ(Somm Recordings)よりリリースされた。 デイヴィッド・ウィルコックス(英語版)は1960年代から1970年代にかけて、EMIに多くの合唱作品を録音した。弦楽四重奏曲ではナクソスの録音が賞を獲得し、ハイペリオン・レコードやシャンドスとともにこれまで顧みられなかった楽曲に光を当てている。そうした楽曲の中には、ブラスバンドのための作品ほとんど上演されないオペラなどがある。 EMIからは、ヴォーン・ウィリアムズの全作品をほぼ網羅し、同曲異演も含むCD30枚組(34時間以上)の廉価セットが発売されている。
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録音史
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「フレデリック・ディーリアス」の記事における「録音史」の解説
ディーリアス作品の最初の録音は、1927年にビーチャムが指揮をしてコロムビア・レコードに行ったものである。曲目は「村のロメオとジュリエット」の間奏曲である「楽園への道」、「春初めてのカッコウを聴いて」で、演奏はロイヤル・フィルハーモニック協会管弦楽団であった。これがその後ビーチャムの生涯にわたって続く、彼の一連のディーリアス録音の始まりとなる。しかし、彼だけが録音を行っていたのではない。1929年から1930年にかけては、ジェフリー・トイが「ブリッグの定期市」、「夏の庭で」、「川面の夏の夜」そして「楽園への道」を録音している。フェンビーは、彼が初めてグレの家を訪れた際、イェルカがビーチャム指揮の「春初めてのカッコウを聴いて」の録音をかけていたと述懐している。1934年、死期が迫るディーリアスにフェンビーはトイが指揮する「夏の庭で」の録音をかけて聴かせた。これがディーリアスが耳にした最後の音楽だったと、フェンビーは述べている。1930年代の終わりまでに、ビーチャムは大半の主要な管弦楽曲と合唱曲の、コロムビアへの録音を出していた。ソプラノのドーラ・ラベット(英語版)によるいくつかの歌曲の録音では、彼はピアノ伴奏を受け持った。1936年までには、コロムビアとHMVが「ヴァイオリンソナタ第1番」、「同第2番」、「エレジーとカプリース」とより規模の小さい小品の一部を発売した。 オペラの全曲録音は、第二次世界大戦後まで手に入らなかった。ここでもビーチャムが、今度はHMVと組み、先陣を切って1948年にロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団、合唱団と「村のロメオとジュリエット」の録音を行った。この曲はその後、1971年にメレディス・デイヴィスがEMIへ、1989年にチャールズ・マッケラスがArgoへ録音しており、1995年にはクラウスペーター・ザイベルがドイツ語版の録音を行った。かつてビーチャムの弟子であったノーマン・デル・マーは、1985年にBBCデジタルへ「イルメリン」の全曲録音を行っている。「フェニモアとゲルダ」に関しては1997年にEMIがメレディス・デイヴィスの録音を再発売しており、同年にはリチャード・ヒコックスがシャンドスでドイツ語版を録った。全主要作品と多くの歌曲の録音は、第二次世界大戦以降、一定間隔をあけて再版を重ねている。これらの録音の再発売の多くは、ディーリアス協会との連携によって行われているものである。協会はディーリアス作品の録音に関して、様々なディスコグラフィーを作成している。
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録音史
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ヴォーン・ウィリアムズは、この曲の原典版をロイヤル・フェスティバル・ホールのこけら落とし公演の際に自ら指揮している。管弦楽はロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団で、独唱者は初演の16人のうち11人が集まった。この演奏は録音されており、CDで発売されている。16人の歌手と管弦楽による原典版の録音は、ヘンリー・ウッド(1938年)、作曲者(1951年)、エイドリアン・ボールト(1969年)、マシュー・ベスト(Metthew Best、1990年)、ロジャー・ノリントン(1997年)が行っている。管弦楽版は、ヴァーノン・ハンドリーとロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、リチャード・ヒコックスとノーザン・シンフォニア・オブ・イングランドによる録音が存在する。
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