ベルナルト・ハイティンクとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ベルナルト・ハイティンクの意味・解説 

ベルナルト・ハイティンク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/29 16:22 UTC 版)

ベルナルト・ハイティンク
Bernard Haitink
ベルナルト・ハイティンク
基本情報
出生名 Bernard Johan Herman Haitink
生誕 (1929-03-04) 1929年3月4日
出身地 オランダアムステルダム
死没 (2021-10-21) 2021年10月21日(92歳没)
イギリスロンドン
ジャンル クラシック音楽
職業 指揮者
ヴァイオリニスト
担当楽器 ヴァイオリン

ベルナルト・ヨハン・ヘルマン・ハイティンク(Bernard Johan Herman Haitink, 1929年3月4日 - 2021年10月21日[1])は、オランダ指揮者

人物・来歴

アムステルダム出身で、同地の音楽学校に学ぶ。1954年から1955年までフェルディナント・ライトナーに指揮を師事するまでは、地元のオーケストラヴァイオリンを弾いていた。1955年にオランダ放送フィルハーモニー管弦楽団の次席指揮者(1957年より首席指揮者)に就任。1961年から1988年までアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の、1967年から1979年までロンドン・フィルハーモニー管弦楽団のそれぞれ首席指揮者に就任。1978年から1988年までグラインドボーン音楽祭の、1987年から2002年までロイヤル・オペラ・ハウスの音楽監督を務める。1991年エラスムス賞を受賞。1995年からボストン交響楽団の首席客演指揮者となり、2004年に名誉指揮者となっている。

2002年ドレスデン国立管弦楽団の首席指揮者に就任したが、これは音楽監督就任を要請されたものを辞退した結果であり、同時に次期音楽監督の選任への協力を託された。しかし2004年、楽団とザクセン州は、彼に相談なしにファビオ・ルイージ2007年からの次期音楽監督(ドレスデン国立歌劇場の同ポストと兼務)に指名。ハイティンクはこの事に対し、「オペラはともかく、オーケストラレパートリーの経験が少な過ぎる」として反対したが、聞き容れられなかったため、同年5月に辞任を発表、11月ロンドンでの演奏会を最後に辞任した[2]。 以後は同楽団には客演していない。2004年5月には、同楽団と最初で最後の来日をした。2006年からシカゴ交響楽団の首席指揮者に就任。2009年2月にはシカゴ交響楽団とともに再来日を果たしている。

日本には、1962年のコンセルトヘボウ(オイゲン・ヨッフムが同行)との来日を皮切りに、1968年に再度コンセルトヘボウ(ヨッフムも同行)、1969年はロンドンフィル(ジョン・プリッチャードが同行)、1974年はコンセルトヘボウと初の単独来日、1977年はコンセルトヘボウと首席指揮者在任中最後の来日、1992年はロイヤルオペラ(テイトが同行)と初のオペラ公演、1997年ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団2003年PMFとスーパーワールドオーケストラ(チョン・キョンファと共演)、2004年はドレスデン国立管弦楽団、2009年はシカゴ交響楽団、2013年はロンドン交響楽団(共演はマリア・ジョアン・ピレシュ)、2015年にもロンドン交響楽団(共演はマレイ・ペライア)と来日。

2019年6月12日、2019年9月6日のルツェルン音楽祭でのウィーン・フィルとの共演を最後に引退すると発表した[3]

2021年10月21日、ロンドンの自宅で死去。92歳没[4]

音楽

レパートリーは幅広く、ベートーヴェンシューマンブラームスブルックナーチャイコフスキーエルガーマーラーショスタコーヴィチヴォーン・ウィリアムズ交響曲全集を完成させている(ベートーヴェンについては、ロンドン・フィル、コンセルトヘボウ、ロンドン交響楽団のそれぞれで1度ずつ完成させている)。

脚注

注釈・出典

  1. ^ “世界的指揮者・ハイティンクさん死去、92歳…コンセルトヘボウの首席指揮者を長年務める”. 読売新聞オンライン. (2021年10月22日). https://www.yomiuri.co.jp/culture/music/20211022-OYT1T50085/ 2021年10月22日閲覧。 
  2. ^ Andrew Clark (2004年10月22日). “Bernard Haitink: unfinished symphony”. Financial Times. http://www.ft.com/intl/cms/s/0/ab093a38-2263-11d9-be80-00000e2511c8.html?siteedition=intl#axzz33yFnlWZl 2014年6月8日閲覧。 
  3. ^ “巨匠指揮者ベルナルト・ハイティンクが引退を表明”. TOWER RECORDS ONLINE. (2019年6月13日). https://tower.jp/article/campaign/2019/06/13/01 2019年6月16日閲覧。 
  4. ^ Vivien Schweitzer (2021年10月21日). “Bernard Haitink, Conductor Who Let Music Speak for Itself, Dies at 92”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2021/10/21/arts/music/bernard-haitink-dead.html 2021年10月22日閲覧。 

関連項目

先代
ダニエル・バレンボイム
(音楽監督)
シカゴ交響楽団
首席指揮者
2006年 -
次代
リッカルド・ムーティ
(音楽監督、2010年 - )

ベルナルト・ハイティンク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 13:41 UTC 版)

フェルディナント・ライトナー」の記事における「ベルナルト・ハイティンク」の解説

オランダ放送協会主催する指揮セミナー審査員務めたライトナーは、『オベロン序曲指揮した応募者ベルナルト・ハイティンクの才能見出し、他の審査員反対押し切って受講させた。1954年1955年の計12週間わたってハイティンク指導したのち、さまざまな指揮者見学するためにオランダ放送管弦楽団仕事をするよう勧めたその後ハイティンクは同団のヴァイオリニスト務めたヴァイオリニストとして1年間過ごしたのち、ハイティンクライトナーより、シュトゥットガルト来ても、オランダ放送管弦楽団で副指揮者務めて良いと言われ結局オランダ放送管弦楽団の副指揮者となった

※この「ベルナルト・ハイティンク」の解説は、「フェルディナント・ライトナー」の解説の一部です。
「ベルナルト・ハイティンク」を含む「フェルディナント・ライトナー」の記事については、「フェルディナント・ライトナー」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ベルナルト・ハイティンク」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ベルナルト・ハイティンク」の関連用語

ベルナルト・ハイティンクのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ベルナルト・ハイティンクのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのベルナルト・ハイティンク (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのフェルディナント・ライトナー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS