録音技師兼監督
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:33 UTC 版)
退社後は東京映音に入社し、録音技術すなわちトーキーの研究をし、東日大毎ニュース映画、大日本ビールのコマーシャル映画など記録映画の製作に携わり、みずからトーキー録音機を考案、日活で『さくら音頭』を試作。さらには永田雅一の第一映画社に招かれて、トーキー映画の録音と現像を指導、この頃の伊藤大輔、溝口健二の監督したトーキーは「録音技師・マキノ正博」の手によるものだった。 1935年(昭和10年)に嵐寛寿郎プロダクションで『春霞八百八町』などで再びメガホンをとり、それまでのトーキー映画での成果を引っさげ、同年、安価で良質なトーキー映画を製作するためにマキノトーキー製作所を設立した。マキノトーキーの全作品は、正博自身がプロデューサーと録音技師を務めている。 詳細は「マキノトーキー製作所」を参照
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