マキノトーキー製作所とは? わかりやすく解説

マキノトーキー製作所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/29 05:24 UTC 版)

マキノトーキー製作所(マキノトーキーせいさくしょ、1935年11月 設立 - 1937年4月 解散)は、かつて京都に存在した映画会社である[1]。当時27歳の映画監督マキノ正博が、自ら開発した録音機材を投入して設立した初期のトーキー映画のプロダクションであり、1936年9月に組織変更しマキノトーキー株式会社となったが、短命に終わった[1]


  1. ^ a b c d e f g h i j k l マキノ[1977], p.246、p.280、p.338-374.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 石割[2000], p.376-384.
  3. ^ Wikipedia甲陽映画の項の記述を参照。
  4. ^ 立命館大学衣笠キャンパスの「マキノ・プロジェクト」サイト内の「マキノ映画活動史」の記述を参照。
  5. ^ 日本映画データベースの「今井理輔」を参照。
  6. ^ 日本映画データベースの「マキノ雅弘」の「製作」と「録音」のリストを参照。同リストの「マキノトーキー」と明記された68本が、すなわち同社の全作品リストである。
  7. ^ 無鉄砲選手、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月30日閲覧。
  8. ^ 國定忠治 信州子守唄、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月30日閲覧。
  9. ^ 松平外記、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月30日閲覧。
  10. ^ 次郎長裸旅、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月30日閲覧。
  11. ^ 加賀見山、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月30日閲覧。
  12. ^ 黒蜻蛉、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月30日閲覧。
  13. ^ 芝浜の革財布、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月30日閲覧。
  14. ^ 修羅八荒 第二篇、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月30日閲覧。
  15. ^ 修羅八荒 終篇、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月30日閲覧。
  16. ^ ごろんぼ街、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月30日閲覧。
  17. ^ 忠治活殺剱、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月30日閲覧。
  18. ^ 赤垣源蔵、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月30日閲覧。
  19. ^ 喧嘩菩薩、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月30日閲覧。
  20. ^ 1936年 公開作品一覧 558作品、日本映画データベース、2012年11月30日閲覧。
  21. ^ 1937年 公開作品一覧 573作品、日本映画データベース、2012年11月30日閲覧。


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