軍事政権の復帰とは? わかりやすく解説

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軍事政権の復帰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/06 09:03 UTC 版)

タイの歴史 (1973年 - )」の記事における「軍事政権の復帰」の解説

1976年後半までのタンマサート大学学生中心とする運動に、中産階級穏健派支持をしなかった。軍と右派政党リベラル学生対す宣伝戦始め学生活動家が「共産主義者」であるとレッテル貼った。そして、ルークスア・チャーオバーンや赤い野牛英語版のような右翼準軍事組織により、それらの学生多く殺された。そして事件は、恩赦により8月にプラパート・チャルサティエン元陸軍総司令官9月にタノーム元首相王立修道院 Wat Bovorn に入るためタイ戻った後の10月起きた1973年以来公民権運動がより活発になり、工場労働者雇用主の間の緊張激しくなった。社会主義左翼思想インテリ層や賃金労働者階級の間に浸透し始めた政治的雰囲気はさらに緊張するようにさえなった。ナコーンパトム県では工場雇用主抗議申し立てた労働者木に吊るされ殺されているのが発見された。タイにおけるマッカーシズムのような赤狩り広がり共産主義謀議をしているといえば誰でも人を訴えることができた。 1976年9月からタノームらの帰国抗議していたタマサート大学学生は、10月4日2つ非業の死への抗議として、絞首刑寸劇上演した翌日バンコック・ポストを含むいくつかの新聞は、寸劇の顔がワチラーロンコーン皇太子似ているとして偽物写真とともに不敬罪示唆した右派や超保守頂点達した学生活動抑圧するための激し暴力扇動した10月6日、サガット・チャローユー(英語版海軍大将率い国家統治改革評議会国境警備警察警察動員し右翼組織とともにタマサート大学包囲した。そこでは何百人もの学生銃砲撃を受け、拷問受けて殺された。(血の水曜日事件)。事件直後虐殺への追及和らげるための恩赦なされたその夜サガット憲法停止民主党政権終わり宣言しクーデター企てた。セーニー首相退陣し、軍は超保守的な裁判官ターニン・クライウィチエンを首相に就任させ、大学メディアおよび官庁全面的な粛清行った。何千人もの学生インテリ、および他の左派は、バンコクから逃れて北部東北部共産党反政府勢力合流し安全地帯だったラオス基地中心に活動した。他の亡命した左派にはタマサート大学の黄培謙博士権威ある経済学者大学学長含まれていた。経済はターニンの政策よりも、冷え切った外国からの投資のために重大な困難に陥り、新体制民主化への試み同じよう不安定だった1977年10月サガットは再びクーデター企ててターニンを退陣させ、クリエンサック・チョマナン(英語版司令官首相に就任した。1978年政府は「繁栄する国を造るために共に働く」ことを厭わないタイ共産主義者住宅家族との再会および安全を含む恩赦申し出たタイ軍同時にベトナム軍のカンボジア侵攻による状況対処しなければならなかった。大量難民国境押し寄せベトナム側ポル・ポト派両軍頻繁にタイ領に侵入し国境沿いで衝突した1979年北京への訪問により、鄧小平中国からタイ共産主義勢力への支援終わらせる引き換えとして、タイ当局カンボジアから西から逃れて侵入するポル・ポト派軍に安全な避難場所与えることに同意せざるを得なかった。また、明らかになったクメール・ルージュによる犯罪事実は、急激にタイ世論における共産主義への非難強めた。クリエンサック首相地位はすぐに維持できなくなりオイルショックにより経済悪化した1980年2月やむを得ず辞任した首相清廉潔白な評判伴った忠実な王党派最高位プレーム・ティンスーラーノン司令官によって引き継がれた。

※この「軍事政権の復帰」の解説は、「タイの歴史 (1973年 - )」の解説の一部です。
「軍事政権の復帰」を含む「タイの歴史 (1973年 - )」の記事については、「タイの歴史 (1973年 - )」の概要を参照ください。

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