軍事政権との対峙とは? わかりやすく解説

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軍事政権との対峙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:07 UTC 版)

アウンサンスーチー」の記事における「軍事政権との対峙」の解説

1988年3月31日に母が危篤との知らせを受け、病気の母を看護するため4月2日ビルマに戻る。1987年9月高額披露廃止令などをきっかけとして学生中心に始まった反政府運動8888民主化運動)は、デモ中の学生虐殺され3月以降激化した7月1962年軍事クーデターより独裁政治敷いていたネ・ウィン将軍ビルマ社会主義計画党議長辞任した戒厳令下では学生市民らが大規模なデモ行ったアウンサンスーチー8月26日シュエダゴン・パゴダ前集会で50万人向けて演説行った9月18日国軍クーデター起こしソウ・マウン議長首班とする軍事政権国家法秩序回復評議会SLORC。のちのSPDC国家平和発展評議会)が誕生した民主化運動徹底的に弾圧され数千人の犠牲者出たアウンサンスーチー9月に、翌1990年予定され選挙への参加目指して、1988年国民民主連盟NLD)の結党参加し書記長に就任全国遊説を行うが、1989年7月自宅軟禁され、NLD書記長解任される。国外退去条件に自由を認めともちかけられたが拒否したといわれる軍事政権1990年5月27日総選挙行いアウンサンスーチー率い国民民主連盟大勝した。しかし、軍政側は「民主化より国の安全を優先する」と権力移譲拒否した。この強硬な姿勢国際的に激し非難招きアウンサンスーチー1990年10月12日にトロルフ・ラフト財団からトロルフ・ラフト人権賞(en:Thorolf Rafto Memorial Prize)を受賞1991年7月10日サハロフ賞受賞10月14日ノーベル平和賞受賞したノーベル賞賞金130ドルビルマ国民の健康と教育のための基金の設立使われた。ただし自宅軟禁中のため授賞式出席できず、受賞演説行ったのは軍政民主化本腰を入れ始めてから21年後の2012年6月16日のことであった1995年7月10日自宅軟禁から解放される週末自宅前集会を行って大勢聴衆集めたが、軍政によって中止追い込まれる10月10日NLD書記長に就任NLD11月制憲国民会議ボイコット決断し軍政対抗措置として同党側委員除名した会議事実上休眠態となる(2003年再開)。 NLD1996年5月アウンサンスーチー釈放以後初の党大会計画したが、軍政側は国会議員235人を拘束する弾圧策に出た軍政アウンサンスーチーヤンゴン外への移動禁止していた。アウンサンスーチー側は1996年1998年にこれに抵抗したが、いずれも妨害された。NLD1998年9月国会招集要求無視した軍政対抗しアウンサンスーチー議員10人で構成する国会代表者委員会CRPP)を発足させる1999年3月、夫のマイケル・アリス前立腺癌死亡ビルマ入国求めたアリス再三要請軍政拒否した。再入国拒否可能性があるアウンサンスーチー出国できず、夫妻再会することができなかった。

※この「軍事政権との対峙」の解説は、「アウンサンスーチー」の解説の一部です。
「軍事政権との対峙」を含む「アウンサンスーチー」の記事については、「アウンサンスーチー」の概要を参照ください。

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